”叱る”コマンドの使用を減らす方法 その②
昨日の”叱る”コマンドの使用を減らす方法の続きです。
”叱る”を因数分解してみると”伝える”と”教える”と”注意する”の3つに分けられるんじゃないかと思います。
これらの出来事に対して、全部”叱る”というアクションをとってしまうのは、もしかしたら違うかもなと。
昨日は”伝える”についてでしたが、今日は”教える”と”注意する”について。
叱るコマンド→「教える」コマンドへ
ついつい叱っちゃう時って「何かを教えたい」時だったりします。
例えば、ご飯を食べている最中に、ふざけちゃって牛乳こぼしたとか。
「なんで何回も同じことを言わせるの!」と叱るとか。
これはレアなケースだと信じたいけど、以前電車の中で3歳位の男の子が自分の洋服のボタンを上手にとめられずに四苦八苦していたら、お母さんが「なんでそんなこともできないの!」と怒鳴り散らしているのを目撃しました。
いま思い出しても、胸が締め付けられるような気持ちになります。
***
もしも目的が「教える」だった時、そのための手段として「叱る」のはとても非効率的。だって、叱られた恐怖や不快感の方が強くて、覚えられないから。
バイト先ですごくチマチマとうるさい先輩とかいた人なら、なんとなく分かると思います。「口うるさく、しかも高圧的に物を教える人の言うことって、全然覚えられない」ってことに。
教えるのは、とにかく時間がかかる。
言ってすぐには覚えられないし、ましてや行動に反映させることだって難しい。
「ご飯食べている時に、ふざけたり、遊んだりしない!」
なんて、超簡単そうなことだって、目の前に面白いことや興味を惹かれることがあればそっちに気が行ってしまうのは当たり前です。
むしろ、その興味や関心に向けて脇目も振らずに集中が向いてしまうことこそ、子どもとしての才能だし、素晴らしいところです。
そういう意味では、ぼくは「娘が僕が言ったことをちゃんと守るようになる」なんて期待はほとんどしていない。
僕だけじゃなく、妻、幼稚園の先生、お友達、じいじやばあばが言ったこと。これらが娘の中に蓄積されていって、自分で判断をしていけばいいと思っている。
気を長く持てば、わざわざ叱らなくても、のんびりと構えて何度でも教えてあげればいいだけのことだったりするのではないでしょうか。
「注意する」は叱るコマンド発動案件
最後は注意する。
注意とは、主に「命(や怪我)に関わること」「人権や犯罪に関わること」。これは、真剣に叱ります。
度々紹介している、麹町中学校長の工藤勇一氏の著書の中で教員指導の際にこの厳しくしかるべきことの優先順位の話が出てきます。
4歳の娘で言えば、
車が走っている駐車場の中で無防備に走り出そうとしたり。
ブレーキをかけないで下り坂を自転車で疾走しようとしたり。
電車や公共施設の中で大声を出したり。
こうした時はきちんと叱ります。
叱る時の声の大きさは緊急度(命の危険)と、比例して大きく強くなります。つまりお店で大きな声を出してしまった時よりも、走っている車に向かって飛び出そうとした時の方がきつく叱ります。
言ってしまえばこの「命に関わること」「人権や犯罪に関わること」以外は、声を荒げて叱りつける以外の選択肢が結構な割合で取れると思っています。
とにかく、叱るってめちゃくちゃ体力を使います。精神だって疲弊します(お互いに)。
だから、叱ることが習慣になってしまうと親も子も常にグッタリ疲れちゃうことになる。だから、子どもはますます自制が効かなくなるし、親もゆとりある対応ができなくなってくる。
この悪循環のループにハマりやすくなるのかなと思うのです。
つまり「なるべく声を荒げて叱らない」のは、子どものためと言うよりも親や自分自身のためだったりする。
なんだか昔、「叱らない育児」みたいなのが流行った気がするのですが、なんでも親が子どもの言いなりになっちゃうとか、甘やかし放題させるとか、「叱らない」ことに対してそういったイメージが付いてしまっているようなきがします。
そうではなくてメリハリと優先順位をつけて叱らないと、「親自身」が冷静な対応するだけの体力も精神力も残らないよってことだと思うのです。
今日も、見に来てくれてありがとうございます。
無事に幼稚園も始まり、僕も今日からほぼ1週間ぶりの完全仕事復帰。
夕方には頭がぼーっとしてしまい、晩御飯も作れず今夜はスーパーのお弁当。それでも、家族みんなで食べたら美味しくて楽しい時間だったりするもんです。