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「ごちそうさま」ってちゃんと伝えられてる?

まだ実家暮らしをしていた10代の頃。ささいなことだけどひとつ、心残りに思っていることがある。

それは、いつも料理をつくってくれていた母にちゃんと「ごちそうさま」を伝えられていなかったこと。
思春期特有の反抗的な気持ちもあったのか、ごはんを食べ終わっても「んー」とか「そーさーん(ごちそーさーん)」みたいに適当にもごもごと口にして、さっさと自室に引きこもってしまっていた。

当時母は、ぼくや弟の分のごはんをささっと作って先に食べさせてくれていた。食べざかりの男の子ふたりは、腹が減るとすこぶる機嫌が悪くなってしまうのだ。
自分はまだつくりながら、息子のおかわりをしたり「肉くいたーい」なんてわがままな要望に答えたり、いつまでも食卓につくことができなかった。

父も帰りが遅く、その分をべつに用意したりもしていたので、母が夕食にありつけるのはいつも、ぼくたち兄弟がごはんを食べ終わってからだった。

まだ母が食卓につく前に、息子たちは夕飯を食い散らかし、適当なうめき声をもらして、さっさと部屋に引き返していっていたのだ。

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ある夕食後。自分の部屋から台所へ行こうとして、ぼくはふと立ち止まった。
ひとり黙々と夕飯を食べる母の姿が、とてもさみしく見えたのだ。

母はごはんを食べ終わると小さく「ごちそうさま」とつぶやいて、大量にある食器たちを静かに洗いはじめた。

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その姿がいまも脳裏にしっかりと焼き付いている。ということは、当時のぼくも何かを感じたのだと思う。だけど、記憶にあるかぎりぼくの「ごちそうさま」はいつもうめき声のままだった。

それから20年近いときを経て。
ぼくはいま、家族にごはんをつくる立場になった。母と同じように、まだ作っている最中でも娘にさきにごはんを出して、自分は後から食べる。
せっかくつくっても娘から「これ嫌いー」なんて平気でいわれたりもする。
やっと椅子に座ったと思ったら「おかわりー」といわれてろくに座れなかったりもする。

そのかわり、妻は「ごちそうさま」を伝えるのがとても上手だ。
いつも美味しそうに食べて、褒めて、感謝を伝えてくれる。


「ごちそうさま」は、感謝を伝える言葉だ。
TVや茶碗に向かっておざなりに言うのではなくて、ちゃんと作ってくれた人に向かっていう。
たったそれだけで「ありがとう」「おいしかったよ」の気持ちが伝わる。

たったそれだけで「つくってよかった」「またおいしいごはんを作ろう」と思える。


「ごちそうさま」をいわれるようになったいま、自分がちゃんと「ごちそうさま」をつたえてこなかったことが悔しい。
取り返せない過去を後悔するよりも、数はもう少ないかも知れないけど食事をつくってもらったときには、ありがとうの気持ちを込めて、しっかりと「ごちそうさま」を伝えるようにしたい。


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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
コジカジというWEBメディアで、感謝を伝える方法についての記事を書きました。そうしたら、昔のことを色々と思い出したりしました。

簡単なことなんだけど、感謝を伝えるってむつかしくて、奥が深いんだなぁと思います。
ぜひ、明日もまた見に来て下さい。


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三木智有|家事シェア研究家
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