”自己肯定感”との付き合い方
今日は妻と自己肯定感と自己評価の話になったのでメモ。
自己肯定感とは
自己肯定感とは自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。
そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となります。
参照: 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会
つまり、自分もいいところちゃんとあるよね 、とどれだけ思えているか。
自己評価とは
自己概念は自分がどのような特徴を持っているのかを認知活動を通してとらえたものであり、自己評価はそれを評価したもの、あるいは自己概念を基に行動した結果を評価したものと考えることができる。
参照:科学辞典
ちょっと難しいけど、つまりは、客観的に見た時の自分の評価です。
自己肯定感が低い人のマウンティングはヤバイ
【なるほど】自己肯定感が低い人が無意識にやってしまいがちな「一番ムカつく嫌なマウント」がこちら! 自虐するからこそ陥る罠・・・ : はちま起稿
上記まとめに詳しいですが、自己肯定感が低い人のマウントってヤバイよね、という話になりました。
「こんなわたしにだって出来たんだから、あなたに出来ないはずないよ! だから頑張りなよ!」
この、一見謙遜しているような励ましの言葉。
確かに、人によっては下から上目遣いでバカにされているような気になってしまう。僕もひねくれているのでこう言われたら「その無能な君よりも、僕のほうが無能だっていいたいんだね」って思うかもしれません。
でも、こう発言してしまう背景って本気で「何もない自分」というのを前提にしていると思うんです。つまり自己肯定感はとっても低いのに、自己評価が高い状態。
このひねくれた状態は数々の不幸を招くと思うのです。
・質より量の努力至上主義
・体育会系の超長時間労働
・1日数百本の営業電話が今の地位を築き上げた的、聞くに堪えない武勇伝
など。
自己評価は低くても、自己肯定感は高いほうがいい
子育てにおいても、自己肯定感を育むのって大切だよねと言われます。
僕はこれらは生きていく上で、自己肯定感はエンジンに、自己評価は地図上のフラグ(旗)になるんじゃないかと思いました。
謙遜と自己肯定感の低さは全く別だと思うのです。
謙遜とは自分の成果という事実に対して行うもので、自分の存在そのものを謙遜するのは卑屈なだけ。
自己肯定感の元になるのは「自分の強みを知ること」。非認知能力でいうところの「自己認識」にあたる力です。参照:学力の経済学
これは、人生を走る上でまさにエンジンにあたります。
自分が持っている力を知っていれば、悪路やスペックに合わない道を避けて走れる。
走り続けることができるというのは、まさに存在の肯定感に繋がるのです。
そして自己評価は、現在地。
現在地を客観的に把握していなければ、道に迷ったり途方に暮れたりする。
でも、自己肯定感が高ければ道に迷っても、途方に暮れても「また走り出そう」と思えます。
自己肯定感を育む鍵
個人的には非認知能力の中の「自己認識」と合わせて、もうひとつ大切なのが「回復力と対処能力」だと考えています。
自己肯定感は単純に褒めれば育まれるようなものではないのかなと思うのです。
子どもの強みを客観的に伝えてあげることは「自己認識」を子ども自身がしていくための指標になるでしょう。
そして、他人からの評価や自分の失敗などで気持ちが折れそうになったときに、立ち直る術を伝えたり、一緒に対処方法を考えたりすることは、「回復力と対処能力」を育んでくれると思うのです。
そうした親子の付き合いの中で、少しずつ自己肯定感が育まれていけばいいなと思っています。
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今日も、見に来てくれてありがとうございます。
今日で無事に39歳になりました。40歳に向けてこの一年ものんびりと歩いて行きたいと思います。
ぜひ、また見に来て下さい。