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ボブさん、あなた何もご存知ないーサブカルチャー理解のための1例として

ということで皆様ご機嫌麗しう。写真家の畑と申します。こちらでは米大統領戦の結果も出て、ガッツポーズを取る人やら泣き叫ぶ人やらで悲喜交々でございます。まあ僕は現時点で日本国籍ですし、多分これからも米国籍を取るということは余程のことが起こらない限りないと思うので、この国で投票するチャンスはほぼないと思うのですが、正直今回はトランプさんなんじゃないかとは思っていました。どう考えてもバイデンさんの4年は色々とダメすぎましたね。

ということで。以前にちょっと自分の過去の写真集のご紹介をさせていただいたので、「ああ、そういえばこの記事であの写真集に興味を持ってくれる人がいるかもしれないしちょっと確認しておかなきゃ」と思ってAmazonのページを見てびっくり。
星一つのレビューが一つだけ(笑)


まあなんて辛口(笑)

とはいえ実はこれは数年前から把握しておりました。できれば誤解を解きたいんだけど、それをこの方にお伝えする方法がありません。うーん、困ったなあ、と今でも思っているのですが、せっかくこのnoteというものがあるのですから、ここでこのボブさんのご指摘の部分について、写真家として、そしてこのドラァグクイーンカルチャーを見続けてきた人間として、説明をしておくのは悪いことではないように思いました。

これ、多分サブカルチャーをどう理解するか、という部分で非常によく起こりそうな誤解だと思うんですよね。なので、今回はこの星一つレビューを元に、日本におけるドラァグカルチャーの簡単な歴史や世界観を通じて、文化現象とそのコンテクストをどう理解するか、という部分についてお話ししたいと思います。

1:ごめんなさいこっちが本家筋です

ボブさん、最初にお伝えしたいことがあります。
お買い上げいただき誠にありがとうございます!
とはいえ、ボブさん、日本のドラァグカルチャーの背景はほとんどご存知ない様子。なので、これから僕が説明する事を読んでいただいて、改めてこの写真集をご覧になってください。多分見方が変わってもっと楽しいものになるはずです。

ということで本題に入りましょう。
ボブさん、まず最初にお伝えしないといけないのは、プリシラとかヘドウィグは日本のドラァグカルチャーの誕生よりも後、ということなんです。この辺の歴史的な資料に関してはなんと森美術館のリサーチプロジェクトによってアーカイブ化されています。


「クロニクル京都1990s」僕もちょこっと資料の提供をしてるっぽい


この資料を見る限りでは、日本で最初のドラァグクイーンパーティーが始まったのは1989年。プリシラの日本公開は1995年。ヘドウィグ・アンド・アングリーインチのミュージカル版の初演は1998年。日本のドラァグカルチャーはこれらの「エンターテイメント化」されたドラァグよりもずっと古いのです。実際僕が彼らの写真を撮りはじめた1995年ごろ、映画「プリシラ」をドラァグクイーンと一緒に見よう!みたいなイベントをメトロでやっていたのを覚えております。ちなみに日本のドラァグの歴史、というは諸説あるとは思いますが、主に僕が関わっていた関西のドラァグカルチャーはダムタイプの故・古橋悌二さんとシモーヌ深雪さんが中心に、彼らの友人達と共に作り上げたもの、というふうに僕は理解しております。僕が聴いたお話しですと、古橋悌二さんがNYに留学中に触れたNYスタイルのドラァグカルチャーを日本でもやろう、ということで始まったのがきっかけ、ということらしいので、少なくとも関西で行われていたドラァグカルチャーはプリシラやヘドウィグなんかよりもより本来のNYスタイルに近かった、と言うことができます。ちなみに、プリシラの世界観は、
「オーストラリアの田舎のダサいドラァグ」という設定なんです。
なので、ごめんなさい、ボブさん、
プリシラよりこっちがより「正統」なんですよ。

あなたがお好きな「ドラァグ」は、映画やミュージカルの世界で大衆に向けて味付けされたものであって、生きたサブカルチャーとしてのドラァグではないのです。プリシラやヘドウィグにはない、「毒気」がサブカルチャーのドラァグにはあります。そこはご理解ください。


©︎Tomoaki Hata

2:閉鎖的だったので閉鎖的な空気が写っている

ボブさんがこのレビューを書いてくださったのは2018年。この頃はどんな感じだったかな、って思うんですが、この頃にはすでにマツコ・デラックスさんとかミッツ・マングローブさんとかがすでにお茶の間に浸透していた頃ではないかと思います。いわゆる「オネエタレント」って言うやつですね。彼らの登場で日本のLGBTに対する印象も随分と変わったように思います。でも、この写真が撮影された1990〜2000年代初期はどんな空気だったの?って言われたら、今よりもずっと閉鎖的でした。実際のところ、いわゆるゲイやレズビアンと呼ばれる人たちが、自らを「ゲイ」「レズビアン」と呼称し、カミングアウトする風習が起こり始めるのがこの時代です。だからと言って皆が全員勢いよくカミングアウトするのか、といえばそんなことはなく、実際にカミングアウトするのは数千人、いや数万人に一人いるかいないかくらいだったのでは、と思います。世間様の目に触れずにそっと静かに生きてゆく、そう言うゲイやレズビアンがほぼ99.9%を占める中、ド派手な衣装とメイクで夜な夜なクラブを賑わせるドラァグクイーンは、「自分たちは普通だ」と思いたい一般的なゲイやレズビアンには厄介者扱い。「あいつらみたいなのが俺たちの代表みたいな顔して出てくるのが嫌」と言うのは今でもたまに聞く言葉です。

自分がゲイである事を隠したい、殆どのゲイにとって、ドラァグクイーンのパーティーは「行ってはいけない場所」でした。当時のゲイクラブは基本的には男性のみ。ところがドラァグクイーンのパーティーは男女関係なく入る事ができたのです。「俺たちの安全地帯に女が入ってくるとは何事か」と言うのが当時のゲイ男性の大半の本音だったでしょう。さらにタイミングの悪いことに、当時はゲイの間でHIVが爆発的に蔓延した時代でもあります。上述した関西におけるドラァグカルチャーの創始者である古橋悌二さんも、やがてエイズによってその命を奪われることになりました。

この写真が撮られたその時代は、ゲイ=エイズという短絡的なレッテル貼りが行われる中、ゲイであるということは何があっても隠さなくては社会では生きてはいけない、という空気が濃厚に漂っていたのは事実です。職場や日常生活ではゲイである事を隠しているのに、男女ミックスの場にいけばたまたま知り合いに見つかってしまうかもしれない、という、今から考えれば「そこまで慎重にならなくても」と思うようなことが当たり前だった時代、それが今からたった30年ほど前の世界でした。


©︎Tomoaki Hata

ボブさんに知っておいていただきたいことがあります。ドラァグカルチャーというのは、こういった社会の偏見や蔑視と深く関わったサブカルチャーなのです。それは単に社会の大多数から同性愛者に向けられる蔑視、だけではなく、同性愛者間の蔑視でもあったのです。キラキラした奇妙な世界の裏には、ゲイやレズビアンに対する偏見やHIVの蔓延など、そういった現実の閉塞感が潜んでいた、ということはぜひ知っておいてください。陳腐な衣装に大袈裟なメイクで、時代遅れの歌手の歌をリップシンクする。その陳腐なラブソングは、時には不治の病で失った友人や恋人を悼む歌となったり、明るい場所では手を繋ぐことすら難しかった当時のゲイやレズビアンの心を代弁するものとなったりしながら、暗闇の世界の一瞬の輝きとしてその夜を明るく照らしていたのです。



3:「美しい」は「美しい」ではない

これはほんと説明が難しいんですよね。
個人的にはドラァグクイーンカルチャーは「ウルトラハイコンテクスト」の世界だと思っています。一言で言うと「見る人の知識・センスで意味が全く変わるもの」という感じ。特に京都のドラァグクイーンカルチャーに関してはその傾向が高く、パーティーに初めて参加する人が見ている世界と、同じパーティーを20年以上見ている人では同じショーを見ているのに得ている情報が全く違う、というよく分からない状態になってきます。価値がなさそうなものに最大の価値を見出してみたり、稚拙さ、不器用さが最大に評価されてみたり。だからと言って単なる稚拙さだけではダメだったり。まさに千利休の「ととやの茶碗」状態。良いものが悪くなり、悪いものがよく見える。かっこいいがカッコ悪くなり、カッコ悪いがかっこいいと感じる。「このかっこよさは意図的なものなのか?それとも偶然か?」と、自分の持っている知識やセンスを総動員してそれを楽しもうとする、極めて知的なゲームだと思っています。

何をもってすれば「良い」とされるのが全く分からない世界。
ただそれでもいわゆる「ドラァグとは何か?」についてはある程度の共通認識があったように思います。それは「女としての美しさを越えるかどうか」という点にあります。ざっくりいってしまえば、「女を追求した結果女を追い越してしまった」と言うのがドラァグクイーンの世界観なのです。なので、ある意味「美しい」世界を通り過ぎてしまった、奇妙な「美しさ」を追求することになります。そしてそこには特別なルールがあるわけでもなく、ただそれぞれがひたすらに「女」を超えた女、つまり「クイーン」としてその瞬間を生きることが最大の目的になります。逆に、誰もが見て「美しい」とされるものはドラァグクイーン的な世界観においては「不十分な美」であるとも言えます。この「美」を超えたところにある何かについてそれぞれが自らの体を使って表現するのがドラァグクイーンの世界観であり、そこに知的・直感的なレベルでのコンテクストがあるのでは、と僕は理解しています。


大阪で活躍されたエレクトラ・レイガンさん。
「定義的・コンテクスト的に正しいドラァグ」の一例

「美」を超えたところに果たして「美」はあるのか。「美」を超えた「美」は果たして「美」と認識できるのか。「女」を超越した「女」は果たして「女」なのか。そう言った極めて複雑なコンテクストを背景に、さらに舞台上で演じられるパフォーマンスには「衣装・メイクの文化的背景とその引用」「リップシンクで歌われる歌詞の意味」「身振り手振り」などが重層的に重ねられ、一つの世界を作り上げていきます。そしてその重層的なコンテクストを読み解く知的・美的レベルの高さを観客は要求されるのですが、その読み解きの面白さをボブさんは体験しておられないのかもなあ、と思います。ひょっとしたらライブでドラァグクイーンのパフォーマンスすらご覧になったことがないのかもしれません。


ただ、この前提がある時から崩れてきたように思います。
それは「ル・ポールのドラァグレース」の登場です。


すっかすかで金の匂いしかしない

この番組の登場でいわゆるドラァグというものが一気にマスカルチャー化しました。元々この番組のプロデューサーであるル・ポールが化粧品のコマーシャルに出たり、ゴルチェのショーに出演したり歌手としてデビューしたりして、マスカルチャーへ積極的に自分を売り込んだ人ですから、まあル・ポール姐さんならこうなるな、というのは分かります。その一方でメイクや衣装などはお金はかかっているものの、いわゆるパリコレモデルのメイクを基本にした、画一化されたものになり、世間一般の人が見ても不快にならないラインを攻めた、優れた商品として登場することになったのです。そこには例えばゲイに対する差別やHIVによる死への恐怖、「悪趣味」の礼賛、など、ドラァグカルチャーの裏にあった暗い文脈や背景は綺麗さっぱり排除され、ただ派手な人が並んでいるだけのペラい世界が完成しました。つまりこの番組をもってサブカルチャーとしてのドラァグクイーンの時代はそのコンテクストを失い、終わりを迎えた、ということになります。

おそらくボブさんにとってはこういう商業化された「ドラァグクイーン」が本来のドラァグクイーンである、とお考えなのだと思います。それは仕方がないことではあります。自宅のテレビをつけたら彼らが「ドラァグクイーン」として登場するわけですから。こういう商業化されたクイーンから比較すると、サブカルチャーの「本当の」クイーンは見劣りがするように見えるのかもしれませんね。実際アメリカでも、サブカルチャーとしてのドラァグクイーンのショーを見られる場所は殆どなくなり、かつてはクイーンと呼ばれて夜の街に君臨していた異形の者たちは、今やカラオケイベントやビンゴ大会の司会にまで落ちぶれました。

4:それは人生

そんなボブさんから見て、このDarcelle XVのようなクイーンはどのように見えるのでしょうか。もしかしたらこの年老いたゲイのしわがれた声に「美」など見出せないかもしれません。人間とは思えないようなメイク、どう考えても偽物のジュエリー、安っぽいペラペラのドレスに衰えた肉体。ここには世間一般で言うところの「美」というものは微塵も存在していません。しかし、僕にとっては、このパフォーマンスが涙が出るほど美しいもののように思えます。それはこのパフォーマンスが単なるキラキラした商品のプレゼンテーションではなく、アメリカの激動の時代を生き抜いた、一人の「変態」の燃えるような生き様をまざまざと見せてくれているからなのです。そしてそれは僕が出版した本に登場する日本のクイーン達も同じです。彼らの姿は、一人の人間の生き様として、かりそめの夜に君臨する「女王たち」として、今でも誇り高く美しく輝いているのです。

ボブさん。せっかくですから、一度本当の「生きたサブカルチャーとしてのドラァグ」を見に行きませんか?今まで着たことのないような、ちょっと派手な服を着て。終電が終わってから始まる、本当の「夜の女王」が君臨する王国は、あなたが想像するよりもずっと美しく、醜く、下世話で高貴な世界です。そしてきっと女王たちはそんなあなたを優しく迎えてくれるはずです。



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