写真を確実に「上達」させる方法・1
ということで皆さんご機嫌いかがでしょうか。
こちらはすっかり秋のの気配でございます。10年前くらいだとこの時期だとすでに雪が降ったりしていたんですが、最近ではそういうこともめっきり少なくなりました。やはりこれも温暖化ですかねえ。
ということで。写真愛好家の皆様のnoteなどをぼちぼちと閲覧させていただくことがありますが、その時にやはり皆さん気にしておられるのが、「良い写真を撮る」ということ。この「良い」っていうのが一体何なのよ、というのがわからない、と悩んでおられる方がそこそこおられるようにお見受けしました。そのお悩み、超わかる。今回はそのことについて書いてみようと思います。
1:世間様はそもそも鈍臭いものが好き
さて。良い写真とは?という話ですが。一つ例を挙げてみるのが良いと思うのですが。「建築」というもので話をしてみようと思うのですが。
なんか「建築家」って偉そうじゃないですか?なんか文化の先端を担ってます、みたいな感じで。で、なんか難しい顔して眉間に皺寄せながらよくわかんない形の住めるか住めないかギリギリの建物を作ってる感じ。で、出来上がってくるのが
どう考えても罰ゲームやんけ、みたいなものだったり。毎日が自然気象との戦いなのに、こんな妙な環境にわざわざデザインしてしまうわけです。
その一方で、僕のパートナーは建築家ですが、テーマパーク専門の建築家。
普段デザインしているものはこんな感じ。
このどちらもが「建築」ですが、明らかに方向性も考え方も違います。
その違いは?、と言われると、最初の建築の方が明らかに洗練されていて、お洒落ですよね?なんかいかにもハイセンス!みたいな感じで、そこに住んでいたら自分の価値も上がりそう。あの空間でグンゼの白いブリーフ履いて生きてはいけない。それに対して僕のパートナーがデザインしているものはとりあえず派手、お洒落とは真逆、ぶっちゃけチープ、ですよね?Casa Brutus読者が見たらあまりの俗っぽさに失禁しそうです。あ、グンゼの白いブリーフありますけど、履きます?
ところが。
じゃあどっちが金を産むのか?って言われたら、ぶっちぎりでパートナーの生み出すデザインです。なぜか。答えは簡単です。
世間の8割を楽しませるためのデザインだからです。
確かに。
「建築家」という肩書きを名乗って妙な物体をデザインをし続けるのはかっこいい。だいたい限りなく刑務所の独房みたいなコンクリの部屋か、はたまたどこからでも覗かれ放題な露出過多なガラスの家みたいなのを作って、全身コムデギャルソンとかで固めて孤高の才能を気取ってた方が気持ちいいに決まっている。ぶっちゃけ僕もそういうの大好きだし、もし大金があれば多分建築家に依頼して変な家建ててると思いますし。変な家最高。ビバ独房。
だからと言って、世間の8割(下手すりゃ9割5分)がこの美意識に賛同することはないわけですよ、ええ。上の写真の建築だって、近所のおっちゃんおばちゃんに「ここ住みたいですか?」って聞いたら殆どの人は「ごめん無理」っていうと思います。つまり、「最先端」などというのは世間の皆様の求めるものではない、ということです。
その一方で、僕のパートナーのデザインは、徹底的に世俗的です。明るい色にわかりやすいデザイン、誰でも楽しめるワクワク感の演出。世間の皆様の求めるものが全てそこにあります。そしてそこにはたくさんのお金が生まれていきます。先鋭的なデザインの建築は一見アーティスティックに見えますが、世間の1割以下の金持ちを相手にしたニッチな商売でしかありません。世間の8割にとってどうでも良いデザインは、果たして「良い」デザインなのでしょうか?
2:凡庸であるということは金を産む
ということでここで写真に戻ってみましょう。
私は写真家を自称しております。実際写真集も出していますし、同じ出版社で本を出した人(レーベルメイト、ということにしておきましょうか)は、木村伊兵衛賞とかばんばか取ってる人たちです。でも、僕の写真、そして彼らの写真は本当に「良い」のでしょうか?たかだか日本に数十人いるかいないかの「批評家」だの「キュレーター」だのが決める「最先端の表現」と呼ばれるもの、あんな狭い世界でしか評価されてないものが、果たして一方的に「良い」と言えるのでしょうか?
さらに言えば。巷には優れたカメラマンの方が沢山おられます。そういう方は「女の子を可愛く撮る」「結婚式を完璧に収める」のに特化したプロの皆さんです。そういう方の撮る写真は、悪く言えば凡庸ですが、それゆえに世間の8割の要求を確実に満たしています。僕は世間の1割を相手にせざるを得なかった写真家ですが、巷の優れたカメラマンさんのことはいつも大変尊敬しています。だって世間の8割を納得させられるんですから。そんなこと自分にはどうやっても出来ない。そしてそれだけ世間の大半を満足させることができたら、そのスキルは必ずお金になります。「お金を発生させることのできる技術とクオリティ」を良しとするのであれば、一見どこにでもありそうな写真館のポートレートこそが「良い写真」だと僕は思います。
3:変態か否か?
noteやインスタで投稿されている写真を見て、なんとなく感じるのは、
「自分の個性」みたいなのを探しているけど、それをどう見つけていいのかわからない、どこでどうやって表現していいかわからない、という漠然とした迷い、みたいなのが漂っている写真が多いように思いました。まあ分かる。自分の個性を出したいけれども、本気で個性を出したら一気にマイノリティ化しちゃう。インスタのいいねも一気に減少。若くて可愛い女の子をお洒落な街でふんわり仕上げるのが世間様が求めることなのに、頭の中の理想は中年男性を鼻フックで責め立てる姿に美を感じる。そういうタイプの人は世間の8割を捨てて1割の世界に足を踏み入れた方が色々と楽。1割のニッチな世界で自分の美意識を研ぎ澄ませて行った方が良いでしょう。多分そのニッチな世界で自分自身の美意識を磨いていけば、ある日「写真作家」として日の目を見ることがあるかもしれませんが、お金はほとんど発生しないし、そもそもそんなことは世間様にはどうでも良いことです。
その一方で、表面上は個性派ぶってるけど中身は至って普通、という人もいます。なんかエッジの効いた写真を撮りたくて色々頑張ってるんだけど、なんか煮え切らない。そういう人は自分に正直になって、お洒落な街で可愛い女の子がキャッキャうふふしてる写真をとって世間の8割の皆様を楽しませれば良いのです。中年男性を鼻フックして愛でるような修羅の世界に無理している必要はありません。きっとあなたの写真は凡庸であるがゆえに多くの方に愛されるでしょう。そしてそのノウハウを活かして生活には困らない程度のお金を稼げるかもしれません。その代わり、あなたは誰にもそれほど注目されることなく、「普通の人」として穏やかな人生を過ごすことになるでしょう。
ここで改めて、悩んでおられる皆さんに質問です。
あなたの「良い」は世間の8割を納得させることなのか、
それとも残りの2割以下のニッチな層を納得させることなのか。
まずそこをはっきりさせましょう。
そうすることであなたがどこに向かうべきなのか、はある程度決まってくると思います。
「こいつどんな写真撮ってやがるんだ」と興味をお持ちの方。
こちらに写真を載せております。よろしければご覧ください。