写真を確実に「上達」させる方法・2
ということでみなさまご機嫌麗しう。写真を生業としております畑と申します。秋深まる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。僕は相変わらず突然襲ってくる肋間神経痛との戦いに日々戦々恐々としております。ちょっと油断するとあっという間に脇腹が痛くなり。まあ昔からそうなんですが。
ということで、写真を「上達」させる方法、続編です。
1:日本には「道」という教育方法がある
海外に住んでおりますと、日本の伝統的な文化が海外でいかに高く評価されているのか、という事実に驚くことがよくあります。今の流行りで言うと抹茶。もう抹茶大ブーム。一昔前ならこういうブームの時は生産地すら怪しいアジアンなパチもんが現れて胡散臭い商売を広めるのが一般的だったんですが、最近はガチ本格派、というのがきちんとお店を出すようになりました。ちょっと前までは京都の一保堂がマンハッタンの一角に「ここは日本か?」と錯覚するくらいのお茶屋さんを出していましたし、先日知人と行ってみたお茶専門のカフェーはお店入ったところに石臼があって、そこで抹茶挽いてました。流石にそこまでやれとは言ってない。
他にも色々日本の文化は広く楽しまれています。運動で言うなら、柔道
もそうですし、空手道もそうですね。いけばななんかもそうですし、枚挙にいとまがない。
まあもうみなさん薄々お気付きだとは思うんですが、これらのものには共通点がございます。「茶道」「華道」「書道」「柔道」「剣道」「空手道」、、、
そう、「道」です。
畑としては「Yawara!」ではなく「柔」なのよ
この「道」というシステムのすごいところは、徹底した実践の理論を追求した教育システムだ、というところにあります。具体的に言うと、「型」の習得です。「茶道」ですと、人間の振る舞い、動き方、その全てが厳密にコントールされます。そこを個人の意見やスタイルで踏み外したりアレンジすることは基本許されません。「柔道」とかですと、受け身から始まって技の習得まで、全てが「型」というものできっちり決まっています。
で、学習者は有無を言わさずその「型」をひたすら体に叩き込みます。
そこには学習者の能力の差とか身体能力とかの個性のようなものは一切関係ありません。ただひたすら理由もわからず黙々とその「型」を習得する。そして一定の訓練量に達すると、その「型」がなぜ作られたのか、という理論が目に見えるようになります。そこで気がつくわけです。「型」は何百年と続く先人の知恵の結晶だった、と。「型」はすべての人に等しく開かれているのです。
この教育法のすごいところは、個人の能力の差を問わないところにあります。どんな人でもそこそこの所に到達できる、という訓練法です。これがヨーロッパやアメリカ式の考え方になると、能力のある人だけが才能を伸ばせば良い、という話になるので、貧乏人はいつまで経ってもマナーも教養もない野蛮人、という扱いになります。実際アメリカでの貧困層の悲惨さは確実にそこにあります。教育もマナーも無く、もうどうやっても野蛮人レベルで生きるしかない。「道」の教育法はそんな貧乏人でもそれなりの振る舞いを最速で可能にする、極めて実践的で平等な教育プロセスなのです。日本人の「民度」の高さはぶっちゃけこの教育法にある、と断言しても良いでしょう。
2:我寫眞之道是即婚姻之儀ニ有ト知ル
となると、「良い写真」というものを確実に習得する方法は、日本の「道」の教育方法で「型」を学べば良い、ということになります。この「道」という教育システムを、写真という表現の場で利用できる機会があるのか?写真の表現の場で「型」に裏打ちされた学習の場があるのか?と言われたら、実はこれがあるんですよね。そう、
結婚式カメラマンです。
結婚式カメラマン。それは世間の皆様の8割をハッピーにさせるための職人技の世界です。花嫁さんをいかに美しく可愛く撮るか。人生最大のイベントを、いかに華やかに切り取るか。ここには写真家としての個性などというものは1ミリも介入できないほどの、厳密に規定された「美」の基準とルールがあり、それを粛々と一定時間の中で作り上げるのが結婚式カメラマンのお仕事です。
僕も未熟ながら若い頃に数年結婚式カメラマンのお仕事を学業の合間にさせていただいておりました。僕が写真を撮るきっかけになったのは京都のドラァグクイーンのパーティーで記録係を仰せつかったことに始まりますが、夜はクラブでクイーンのショー見ながら朝まで阿鼻叫喚、昼は院生、休日は結婚式x2という今から考えると頭おかしい日々を送っておりました。ちなみに最初に結婚式カメラマンのアシスタントとして現場に入った時に花嫁さんをみて、
あ、メイク地味
と思ったのは内緒です。普段から見てるものが濃すぎた。
話が逸れましたが。元に戻します。
結婚式カメラマン。まさに「型」の集合体です。しかも「儀式」ですから、時系列で起こるイベントも完全に定形化しています。そもそも結婚式自体が「型」でできているわけですから、カメラマンはその「型」に従って粛々と仕事をするわけです。そこでカメラマンとしての個性とやらをうっかり出してしまって、大口開けてステーキ頬張ってる花嫁さんとか、喫煙ルームでやさぐれてる花婿さんとか撮ってると後で社長にぶん殴られます。しかも結婚式後のアルバム作成のことを考えると、このシーンではこういう写真、このシーンではこれを縦横角2〜3カット、別角度で2〜3パターン、集合写真は各テーブルごとに数カット、花嫁の手紙朗読はここからの角度でこのカット、、、などと、その場面場面で必要なカット数まである程度厳密に決まってきますから、実際はシャッターを押す回数まである程度決まってきます。撮る写真の種類もポートレートから集合写真、何気ない仕草を撮ったドキュメンタリー風、そしてさらには出てくる料理の写真やウェデイングケーキなど、物撮りの要素も入ってきます。これを数時間の間に失敗なく全て基準値以上で仕上げる。しかも儀式の場ですから、きちんとした装いをして、その場に見合った立ち居振る舞いもしないといけない。緊張した花嫁さんの表情を和らげるためのウィットに富んだ会話の技術も必要。結婚式カメラマンは、写真家に必要な全ての技術を習得しないとできません。
3:結婚式カメラマン最強説
この結婚式カメラマンを経験するとどうなるか。
だいたいどのジャンルでも「良い」写真が確実に撮れるようになります。
しかもスタジオ撮影のような完璧な機材を準備するわけでもないですから、
明るい場所から暗い場所までを自分の持つ機材一つで全てカバーする知恵が身につきます。これは「夜道で暴漢に襲われそうになったけど空手習ってたから思わず体が動いて相手の鳩尾にパンチ喰らわしてた」みたいな感じで、体に染みついたものとして自分が意識しなくてもすごく役に立ってくれたりします。
ここまで来て最初のテーマに戻ってみたいと思います。
写真を確実に「上達」させる方法。もしあなたが写真家として、またはフォトグラファーとして生きる道を選びたいのであれば、人生のうちの数年でも良いので、結婚式カメラマンの修行をするのをお勧めします。これは写真の表現における「型」の習得が目的で、「型」を体に染み込ませることでまずは
「一般的な良い写真の定義」を身につけるわけです。で、そこからその「型」を捨てるか、より発展させるかは自分で考えれば良いのでは、と。実際これは一種の修行なので、習得するのはかなり大変です。先輩カメラマンから邪魔者扱いされたり、ありえない失敗をすることもあります。それでも結婚式カメラマンを一人で立派にこなせるようになったら、ぶっちゃけそれだけでちゃんと食っていける技術になります。ハードルは高いですが、得られるものも多い。まして撮って差し上げる皆さんの幸せに貢献できるわけですから、本当に素晴らしいお仕事だと思います。やってみる価値はありますよ。
こいつどんな写真撮ってんのよ?と興味を持っていただいた方。
僕はそんなあなたが大好きです。こちらもぜひご覧くださいね。
https://www.instagram.com/tomoakihata_jpn/
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