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ライカ?何それ美味しいの?

皆様ご機嫌麗しう。写真家の畑と申します。
ああまた写真家って言わないといけないのですね。
背中に何か毛虫か蛙が這っているような気持ち悪さです。

ということで僕も世の流れに乗ってみることにしました。最近のユーチューバーとかこのnote界隈でも色々と話題になっているライカです。

まあね、ぶっちゃけ言いますとね、多分ライカの話をしたら誰かが必ず腹を立てると思うんですよ。多分全ての人が納得いく答えは出ませんから、そこはあくまでも僕個人の感想です。

1:贅沢品にご縁がない(涙)

ということでライカ。

うん全く興味ない。
そういえばシンガポール住んでた時にお金持ちの華人の子がライカ提げてたなー、あれで何撮ってたんだろう、とか、シンガポールのライカのギャラリーってやっぱりライカ使ってる人だけが応募できるのかなー、とか、そのくらい。

でもお高いんでしょ?

っていうのは知ってます。ただ僕としては自分の腎臓より高いものは買わない、という人生のルールを設定しておりますので、特段欲しいと思うこともなく。まあ自分の家にいきなりエルメスのバーキンがやってきたら「どーすんのよこれ?置く場所ないよ?っていうか怖くて触れないんですけど」みたいな感じになると思うんですけど、ライカもそんな感じだと思います。今僕の手元には何故か弥生土器があるんですが、弥生土器とライカ、どっち触るのが怖い?って言われたらぶっちぎりでライカですね。


実用にもなる弥生土器

僕ね、写真家を名乗ってるんですが、正直カメラにほとんど興味ないんです。カメラのレンズとか、スペックとか、細かなことはほぼ気にしたことありません。レンズはにょーんって伸びるやつが便利でいいよねー、くらいの語彙力。気にすることといえば、お値段くらいですかね。安くて頑丈なのが一番。シャッターボタン押したらシャッターが切れて写真が撮れたらそれでいいよね?という立ち位置。もう写真に関わり出して25年くらい経っていますが、多分カメラの知識はそこら辺の写真部の大学生より知識ないと思います。その辺の態度は車に対する態度と全く同じで、もし僕が車を買うとしたら「車輪が4つあってハンドルが付いてて座席があったらそれでよし。エアコンついてたら最高」くらいの概念しかないので、カメラに関してもレンズの性能がどうの、とか、ほぼ気にしておりません。むしろ聞かれても困る。

ただ本格的に写真に関わるようになって唯一気にしているのはシャッターボタン押してからAFの焦点が決まってシャッターが切れるまでの反応の速さ、ですかね。あのシャッターボタンのコンマ1秒の差で撮れるものの質が変わります。特に瞬発力の必要な写真を撮るときはここはかなり気にします。結局ここの反応の良さを追求すると機材として使えるカメラの種類はもう大体決まっちゃいますね。あととにかく機動性の高さ。できるだけ小さく、できるだけ軽く。でかい望遠レンズをつけて街中歩いている人を見ると
「やはりここはフロイト先生の解釈としては男根の象徴と取った方が良いのだろうか」と思ったりします。フロイト先生ちょっとやりすぎ。

ちなみにここ15年愛用していたのは富士フィルムのGA645です。中判フィルムカメラでは最軽量でAF機能付きでフラッシュ内蔵。今では値段が以前の倍になってしまいましたが、中判フィルムカメラでは一番お手頃の価格帯で応用範囲が一番広いんじゃないかと。そのうち皆さんにご紹介する近作はほぼこれで撮ってます。都合4台くらい使ってますかね。多分それでもコストはライカ1台の半分以下じゃないでしょうか。とても優秀なカメラだと思うんですけど、びっくりするくらい誰も使ってませんね。

とか書いていると「お前はおライカ様を信仰しないのか!この異教徒め!火炙りにしてやる!」ライカ真理教の皆様からお叱りを受けるかもしれませんが、個人的には「お好きなんだったらそれでいいじゃないですか」と。

https://www.youtube.com/watch?v=PcDbU3M8aOM

異端審問の様子

2:贅沢が悪いとは思わない



実際「ちょっと背伸びする」っていうのは案外大切だったりします。実際の生活ではちょっと苦しくて、お財布のことを考えたらユニクロ一択だけど、清水の舞台からバンジージャンプしてあのお店のあの服を買う。実際の生活ではどう考えても無駄な出費だけど、でも美意識ってそういうところから生まれるもんですよね、と。見えないものにお金を払う、って、美意識がないとできないことですし、見えないものに価値を見出すことこそが文化的な行為だと思うんですよね。それは紙と絵の具の集積でしかない絵画に価値を見出すのと同じことで、その行為がないと文化は発展しない。たかだか静止画が撮れるか撮れないかだけの金属の塊に高い価値を見出すなんて、なかなかの文化的行為だと思いますよ。世の中ユニクロやしまむらだけのコストと実用性だけの価値観になったら終わりですよ。

人間やっぱりモチベーションって必要ですからね。以前、お知り合いの素敵な女性がこんなことを言っていました。

「女の子はね、素敵なお洋服が素敵な場所に連れて行ってくれるのよ」

けだし名言だと思います。確かに王子様の舞踏会にジャージと便所スリッパで行ったらどんだけ素材が良くても無視されますわ。やっぱり普段よりお洒落して外出するから得られる幸福もある。ライカを肩から下げて街を歩くことであなたの人生の1日が素敵になるんだったら、それは素晴らしいこと。
それを他人がどうこう言う資格はありません。

3:やっぱ実用を選ぶ人なんです


とはいえ。ライカ買いますか?って言われたらまず買わない。
センサーのサイズがフルサイズならともかくAPS-Cだと流石に大きいプリントを作るのには不安がある。中判フィルムのサイズや解像度に慣れてしまうとAPS-Cサイズでギャラリーで展示するのを前提にした作品作ります、とかちょっと考えられない。あくまでも日常のメモ、程度くらいでしか使い道ないよね、と。

単純に作品の「質」を追求するのであれば、そもそも35mmフィルムやそれに相当する画素数のデジカメ使うよりは中判フィルムや中判デジタルで撮影したほうが圧倒的に写真としての奥行き、空気感は出ますから、ライカだから良い写真が仕上がる、というのは流石に思い込みなんじゃないかと。あくまでもライカの個性がありますね、くらいだと思います。っていうかそもそもデジタルカメラってフィルムカメラよりずっと色の個性とか少なくないですか?コントラストとかもかなりフラットで均一な感じで出るような気がするんですけど。かつての巨匠が絶賛したライカの個性、みたいなのがデジタルでそこまで顕在化するんだろうか?という気はします。

なので作家としてプリントを作るところまで考えるとライカ買うお金があるならそのお金で中判デジタル買ったほうがプリントの質は高くなると思います。でもまあプリントの「質」の定義なんてあってないようなもんだしなあ。やっぱ単純に好みの問題かなあ。

あとやっぱりこの治安の悪いニューヨークであんな高級なカメラ提げて街歩くのは怖い、っていうのはありますね。まして世界的なブランドですから、誰が見ても「こいついいもん持ってんな。首から100万ぶら下げとるやんけ」って簡単に見破られますし。高級なものを首から下げて歩いて大丈夫、というのは日本かシンガポールくらいじゃないですかねえ。ほんと治安が悪いとお高いものなんてそもそも怖くて買えませんからねえ。つまんないもんですよ、実際。

さらに条件を甘くして、「もし誰かからライカを貰ったとしたら?」

とっとと売り捌く。

多分今やってることの全てにおいて役に立ってくれなさそうなので、
今必要な機材を買うために売る。容赦無く売る。秒で売る。

ということで、もし不必要なライカがあればぜひご一報ください。
それ売って機材買うか温泉行きます。湯治大切。


「どんな写真撮ってんのよ?」とお思いの方。
ぜひこちらをどうぞ。

https://www.instagram.com/tomoakihata_jpn/




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