ありたい姿とあるべき姿
こうしていろんな活動をしていると「ありたい姿」と「あるべき姿」を考えることが大きいです。たとえば、今は2つの社団法人の代表理事を務めています。さらに、一つの株式会社の代表取締役を務めています。
するとそのような場面では「代表者として」の立ち居振る舞いを求められていると感じます。だからそのように動きます。
『役割期待』こんな言葉を大学の心理学の授業で習いました。
この言葉は衝撃でした。
そうか……みんな期待をされているからそのように振る舞うのか。
確かにそうです。
子供の時は「子供らしさ」を求められていました。
だから、そのように振る舞っていたように思います。
意識してというよりも、無意識に近い感覚です。
そして、ある程度、大きくなってくると「社会人らしさ」「男らしさ」のような感じで、社会の規範と照らし合わせ、まあ……こいういう振る舞いが正解だよね。って感じで、行動をしていたように思います。
社会には、いろんな役割や「~らしさ」があります。
役割があるから、社会が上手く回っていくんだと思います。
たとえば、こんな役割があるでしょう。
・社長として
・従業員として
・講師として
・父として、母として
・兄として、姉として
・弟として、妹として
・夫として、妻として
・著者として
などなど。
役割期待があるから円滑に動く反面、ここから大きなストレスを感じる人もいます。あるいはちょっとした居心地の悪さを感じるかもしれません。
「本当の自分はこうじゃないのになぁ」
「本当は真逆のことやりたいのに」
これが多少の違和感だったらまあいいでしょう。
違和感があったときに、私は「ありたい姿」と「あるべき姿」を考えます。
これは「ありたい姿」なのだろうか?
これは「あるべき姿」なのだろうか?
「ありたい姿」というのは、自分のため。
「あるべき姿」というのは、社会や他人のため。
どちらが正解とは言い切れませんが「あるべき姿」があまりにもストレスになるなら、「ありたい姿」を基準として選んだ方が良いでしょう。
「あるべき姿」:「ありたい姿」=9:1
これだったら、やめた方がいいかなぁって思います。
最低限……この割合でしょう。
「あるべき姿」:「ありたい姿」=6:4
今、私が講師業を続けているのも「あるべき姿」「ありたい姿」の両方を満たしているからです。これが人前で話すことや教えることが大嫌いで責任感だけでやっているなら、ちっとも楽しくありません。
この両方の円が重なるところは自分にとっても、すごく安心できる場ですね。だから、努力がまったく苦になりません。というか……努力だと思っていません。
これって、素晴らしいことですよね!
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