無意識で行っていたことと私の知らなかった世界
私は一度に複数のことをするのが苦手だと思っていた。
それが間違いだったと気づいたのは、病気になったときだった。
病気が発覚したあとは、寝込むほどではなかったが、体調はそれなりに悪かった。
しかし、日常のやることは決まっている。
休み休みだが、家族の手を借りながら何とかこなしていた。
腫瘍が発覚してから手術まで、5ヶ月ほどあった。
その間に体調はだんだん悪化していった。
悪化していく中で、私は気づいたのである。
日常の些細な動作が難しくなっていることを。
例えば、食料品の買い物に行ったとき。
いつもならその週の献立を考えながら、お買い得品と照らし合わせ、買うもの決めている。
それと同時に、在庫がなくなりつつあるのは何か考えながら、必要なものをかごに入れていく。
そんな、毎週していたことができなくなっていった。
頭が回らなくなって、記憶力も低下していたのには気づいていた。
しかし、上記のようなことは無意識下で行っていたので、普段は頭を使っていたことに気がついていなかった。
記憶力が低下すると、材料が不足して判断力が低下する。
頭が回らなくなっているから、さらに判断力が低下する。
そうなると、何もできず動けなくなる。
子どもたちから言われることが覚えていられない。
学校からの手紙の内容も覚えていられない。
それは、まるで痴呆症になってしまったかのようだった。
私はそのような状態に陥ったため気がついたが、無意識下で行っていることの何と多いことか。
これだけ同時に無意識下でさまざまなことを行っているのだから、意識下で複数のことを一度に行うなど、無理難題なはずだと思った。
こうして図らずとも痴呆症の疑似体験をした私だが、これから先は年を取り、頭の回転力や記憶力、判断力などが低下していくのだろう。
そうなったとき、どうすれば良いのかが、今後の課題となった。
術後、私は毎日服薬することになった。
飲み忘れると動けなくなるので、忘れてはいけない薬だ。
完全に頭の状態が回復したわけではないので、薬の飲み忘れがないように、忘れたか否かを確認できるように整えた。
今のところ、飲み忘れていたかなと思ったら、すぐに確認できているので安心だ。
判断できなくなるのはすごく怖かった。
何が怖いのかというと、危ないことが危ないとわからない。
あとから正気に戻ったとき、何であんなことをしてしまったのかと怖くなったことが何度もあった。
車を運転していると、年配者が突然道路を横断するのに遭遇することがあった。
なぜ、すぐそこに横断歩道があるのに、何もないところを突然渡り始めるのか長年不思議だった。
しかし、自分の物忘れが激しくなって、思い至ったことがある。
もしかしたら、横断歩道の存在に気がついていないのかもしれない。
また、今そこを渡るのが危ないと気がついていないのかもしれない。
もし、病気にならなかったら、自分が年をとるまで気が付かなかっただろう。
そして、年をとるまで気づかなかったなら、気づけなくなるということにも気づかなかったかもしれない。
そして、病気になる前は知らなかったからこそ、気遣えないときもあったと思う。
未熟だった自分を反省し、今後はさまざまな角度から相手を慮ろうと思った。
無意識の意識は偉大だ。
もしかしたら、意識的にしていることより多くの物事を処理しているかもしれない。
これを味方にすると、人生が変わるようなことを『引き寄せの法則』では言っていたが、確かにそうかもしれない。
また、私は、経験していない立場で物事を想像するのが苦手であることにも気がついた。
病気になることで得られることもあったのだと、過去の苦しみを肯定できたのも、この件の収穫だった。
年をとると、足腰が弱るだけではなく、見えないところも全て弱る。
いつかは私も通る道。
今は回復できたことを喜び、人を思いやれるゆとりを持ちたいと思う。
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