秘密主義と思われていた理由と子どもの頃の夢
何を考えているのか分からない。
小さい頃からあまり話さなかった私が良く言われた言葉だ。
そんな私が日々考えていたこととは、何だったのかというと、実は何も考えていなかったというのが真実である。
何かを話そうとしても、誰も聞いてくれない。
何かを考えても、実現はできない。
そんな日々が当たり前だったから、考える行為そのものを諦めてしまっていた気がする。
自主性など、影も形もなかった。
友達と何かをするときも、意見は言わず、流されるままだった。
「何でもいいよ」としか言わない人の気持ちなど、誰だってわかるわけはない。
秘密主義だったわけではなく、ただ全てを放棄していただけだ。
だからこそ、やりたいことや好きなものを考えたとき、何も思い浮かばなかったのである。
今も昔も、やりたいことが分からないという子どもたちはわりと多い気がする。
やりたいことが分からないから、頑張る気力もわかない。
そしてダラダラと時を浪費する。
うちの子どもたちもそのような傾向が強く、よく時を浪費している。
致し方なく時を浪費してきた私からすると、なんてもったいないことをしているんだろうと思ってしまう。
しかし、子どもたちがこうなってしまったのには、おそらく私にも原因があるのだろう。
無気力な母を見ていれば、子どもたちだって必然的にそうなってしまう。
できれば、子どもたちには何かに熱中してもらいたいが、何かに熱中したことのない私には、どうサポートしたら良いのかわからなかった。
私が進学を諦め、就職することを決断したとき、思ったことがある。
それは、やりたいことができたとき、迷わずやれるよう、お金を貯めておこうということだ。
金銭的な理由で諦めたことがたくさんあった。
だから、次こそは諦めなくて済むように、お金だけは貯めておこうと誓ったのだ。
結論から言えば、結局私のやりたいことでできたことは趣味レベルで、仕事になるようなことではなかった。
仕事となると、どうしても学歴や年齢がネックになる。
何となく、思いが消化不良を起こし、鬱々としていた頃、私は何かであることを聞いた。
小学校高学年の頃にやりたいと思ったことが天職だから、迷ったときはそれをやると良いよ、という話である。
はたして私は、小学生の頃、何がやりたかったのか。
よくよく考えてみると、そういえば、文章を書くのは好きだったかもしれないということを思い出した。
別に作家になりたかったわけでも記者になりたかったわけでも無い。
物語を作りたかったわけでは無いし、何か取材をして記事を書きたかったわけでもない。
うまく言えないが、多分『言葉』が好きだったのだ。
今でもたまに、心に残るコピーがある。
短い文章で人の心に残るコピーを作れるのは、本当にすごいと思う。
今更コピーライターになりたいと言うつもりもないが、せめて、私の言葉で心を動かされる人がいれば良いなとは思う。
さて、秘密主義と思われてきた私だが、noteにはあれこれ赤裸々に綴っている。
隠しておきたかった秘密は、私が親に愛されていない存在であることだったように思う。
それを知られないために、心を閉ざし、流れに身を任せていた。
でももう、公開してしまった。
もう全く秘密はないかと問われれば、そんなことはないと思うが、他の秘密は上記のことに比べると、取るに足らないことのような気がする。
やりたいことのない子どもは、いつまでたってもやりたいことが見つからないのか。
そういう子もいるかもしれない。
でも、歳を重ねてから生まれる思いもあると思う。
私の場合、仕事にはつなげることができなかったが、それでもこうして書き綴っていれば、『スキ』と評価してくれる人も現れる。
もし今、やりたいことがわからなくてさまよっている人がいるなら、小学生の頃に戻って考えてみて欲しい。
心を閉ざし続けた私にだって、小さな『スキ』があったのだ。
自分でわからないなら、身近な人に聞いてみてもいい。
すぐに仕事になるとは言わないが、小さな『スキ』から、生まれる変化がきっとあると思う。
私の場合、天職にはならなかったが、重荷を暴露したことで心が軽くなり、今とっても幸せだ。
仕事にすることだけが幸せなわけでは無い。
これからは何も考えないを卒業して、どんどんやりたいことを発信していきたいと思う。
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