お金の話と日本人
お金の話をしよっか。
お金がないと何もできない。
お金をしっかりともらえることは大事。
無料やディスカウントはできない。
こんな話をすると、何故か私の業界周辺では特に嫌な顔をされる。
結論から言わせてもらえば
『だから、人材不足になる』
この一言に尽きる。
この業界だけではなく、日本人の方々に聞きたい
『お金嫌いですか』
『お金って、そんなに禁句ですか』
ことさら日本の人たちは、お金の話をできるだけしたくないように感じる。かくいう私もお金の話をするのは苦手だった。今もそこまでは得意ではないかもしれない。
それなのに、お金の話に関しては、暗黙の了解的な『分かるよね』みたいな感覚で話を進めていく場面に多く出くわす。結果的には、互いの金銭感覚が噛み合わないことも少なくない。そこからの感情論になって、話が進まなくなることも多々。
何故、そんなにお金の話が苦手なのか。諸説あるものの、文化的や歴史的な背景がその感覚を作っている。ただ、お金に執着し、自分のお金を出したがらない人ほど、お金の話をしない。
私はできるだけ、オープンにお金の話をすることを心掛けている。それは、お金の価値は社会の中では一般的な指標として示されているから、はっきりとしてわかりやすい。一方で、お金の占める個人の資産的な価値基準は変わるからそこはしっかりと話をしていきたい。
今回、お金のことを考えたのは主催するワークショップに関して一部の方から、お金について思ってもいない言葉を投げかけられることがあった。さも暴利を貪り、悪徳な金儲けをしているように言われているのもある。経費や人件費などを入れると、利益はほぼないと伝えると、私の前では話さなくなり裏で話をしている(何故だ……)。
では、そのオープンにした経費などから考えて、持ち出しを多くし皆のことを考えた寄付的な動きで様々な企画をしろ、人件費は営利であるとするのが納得するのだろうか。
身内の方に、同じように伝えるのか。親や子や孫などに、その間違ったボランティアシーの金銭感覚で話をするのか。私は違うのではと思っている。
お金の価値は皆が同じであり、誰もが大切なものである。だからこそ、オープンにしっかりと感覚的な部分を話すことが大切ではないだろうか。
日本でオープンにお金の話をすることが、なかなか上手くいかないのは分かる。ただ、ソーシャルビジネスでもお金は掛かる。ボランティアではなかなか。だからこそ、その一致点を見つけ落としどころが必要なのではないか。
『無い袖は振れない』けど、あるものや作り出せるものを考えなければ、多くのことが持続できなくなる。助成金や寄付金とかなんやらは大切だが、梯を外されたら持続できなくなる。それでもいいならいいが、始めからお金の話をして、これからの人たちのためにも、お金のことをオープンに考えられたらと私は思っている。
基本的には、継続や発展していくためにも、始めからちゃんとお金の話は伝えていきたい。たとえそれが非難されるとしても、私はこれから何かをしたい人のためにも大切なことと考える。
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