
学びを続ける大切さ
「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。 自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。」(アルベルト・アインシュタイン)
学ぶことの大切さは、年齢を重ねれば重ねるほど知らないことが増えていくのは何故なのだろうか。
様々な人に出逢うことで、自分の無知を何度も思い知らされる。
人前に立ち話をするときには、「知ってる」顔で人前に立つ。人前に立ち話すことで、また自分の無知を思い知らされる。
何を言ってんだこいつはというのは分かるが、私自身が知っていることを話しているはずなのに、話したそばから、話したことについて考えることが増えていく。このことをもっと詳しく話したいが、そこに深みがなく話が深まりきらないと気付く。
また、違う機会では誰かの話を聴き、「あぁ、全然知らなかった」と感心し、私自身の無知に気付く。無知であるが故に、その場の話に入れず何度も悔しい思いをしてきた。
昔は、無知であることを誤魔化す為に、「知ったかぶり」な感じでそこに存在し聞き耳を立てていた。若さ故のことでもあり、その度胸だけで学ばないと生きていけない恐怖を味わった。
さすがに40前からはそんなことも出来ず、ひたすらに吸収できることはしていこうともがいていた記憶はある。
そんな中で出逢ったのが
「勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。」(ビートたけし)
という言葉であった。
少しだけ、私自身が安心した記憶がある。
学んできたことがあったからこそ、今があるんだなと。
この業界の仕事をしていて、両極端になっているように感じる。
学ぶ人はとにかく学び続け、学ばない人はその場しのぎでずーっと支援をし続けている。果たして、人を支援することでサラリーを得ている人々が学ばずにその場に存在していることは正しいのだろうか。人の人生に大きく関わっていることに恐怖はかんじないだろうかと考えている。
クライエントは支援者を選ぶことはできるものの、かなり難しい。その場しのぎ系支援者は「いい人」の顔をして寄ってくる。気付いた時には、選べない状況になっている。
だからこそ、支援者は学び続ける覚悟を持って欲しい。
自分の知識や力を常に疑い続けて欲しい。
学び続けることで、無知への自覚が深まり、さらに学びたくなっていくはずである。
たまに聞かれることが「どこを目指しているのですか」と。
残念ながら、学びのゴールはない。学び続けるために学んでいるのだから。
ダイアローグに少し似ている。
「ダイアローグの目的はダイアローグを続けていくこと。」