こども達から教えてもらったこと
最近、こども系の仕事がよく入ってくる。保育園、子育て支援者などなどのダイアローグの研修を多く依頼されることが増えている。それはなんだか、1周してようやく「やりたかったこと」に近づいてこれたかなと感じる。
理系学生だった私が何故この仕事に就いたのかということに大きく関係している。
私は両親が共働きで長期の休みなどはなかなか旅行やなんやらが難しい状態があった。そこで両親が考えたのが、YMCAというところでキャンプやスキーなどの宿泊体験を代替案とした。当時はYMCAはとても魅力的に感じた。そこには、ボランティアの大学生がいて、かっこいいとただただ感じ、いつかリーダー(ボランティアの呼称)になりたいと憧れていた。
大学生になった時には、ついに憧れであったリーダーになった。スキーや夏のキャンプ、そして幼児体操や幼児水泳などなどあらゆる場面で関わり、YMCAに住んでるのか位に通っていた。その中での進路変更への決意、何を考えてそうなったのか。
おそらく私自身はそのころ、大学という興味もないが必要と思われるであろうところにいることが苦痛でしかなかった。YMCAを現実逃避に使っていた。でも、そこには何の曇りもなく私自身と同じような目でリーダーを見ているこども達がいた。現実逃避と承認されることの両方が満たされていた。逃げられない依存的な環境だったのも間違いない。
それを気付いた時に、こども達にとって何が必要かを考えるようになっていった。こども達には様々な環境がありつつも、こども達自身が成長していくことの大切さを切に感じていた。私ができることは、なんだろうか。多くのこども達が成長していくことの手助けができないかと。それ以前に、こども達が成長していくことを端から見ていると、私自身の依存的な自己満足の環境で成長もせずにいていいのだろうかと考えた。
こどもが成長していく中では、こどもが成長しようと思える環境が必要で、こどもが安心できる大人や場所が必要である。大人がこどもを成長させるのではなく、こどもが成長しているだけと感じる。水泳などを教えていたときに技術の伝達ではどうにもならない水への恐怖感は、こども達は自ら考え克服しており、大人はその環境や「何かあったらなんとかする」ってちゃんと伝えることで克服していた。意外に大人ってこどもへの成長に対しては、誘導もなにもできないんだなと。
ここが私自身の衝動性の高いところで
「じゃあ、そんな仕事をしたい」
と、考えて方向転換をするわけで、そこからは怒濤の様な突き進み。ここで登場するのが、たぶん一生勝てないと思わせるのが両親で、様々なことを決めていざ両親と話すと一言
「ようやく、その道に気付いたんだ。そうなると思ってた。頑張って。」
なんだかなぁと。。
今、ようやくこども達がいる場所や人に関わることができるようになった。
こども達の声をしっかりと聴くこと、こども達が安心できる環境のために対話のスペースを創ることがライフワークにはなっていきそうな気がする。私のフィンランドの師匠のトムさんも元々は小学校の先生で、こども達との対話のコツを教えてくれたことがあった。それも今後しっかりと伝えていければと。
これからは、「こども達への恩送りをしていくこと」を大切にしていきたい。常にこども達と同じ時間や空間を過ごすと、新しい発見や気付きがある。それをちゃんと言葉やなんやらにして、伝えることができる立場にはなってきてるので、できるだけ多くの人に伝えられたらと思っている。
こども達だけの為ではなく、多くの大人にも必要なことはいっぱいあるので伝えられたらと思っている。