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”変わってる”が長所になりにくい日本【LGBTをカミングアウトした留学生】

先日私の生徒がLGBTQ当事者であるというカミングアウトをしました。

2020年8月22日の土曜日、生徒と一緒に行ってるコミュニティ活動 Sydney Survival 2020 (シドニー・サバイバル)の活動の一つ、Zoom Upで(zoomを使用したオンライン交流会)私の生徒が自身の性別について公表しました。


彼は既に戸籍の性別も変えていて、結婚もしています。今は男性として生活をしているためカミングアウトをわざわざしなくても生活に支障はきたしません。

ですが今回彼は公表することを決めました。Zoom Upには彼のことをよく知っているクラスメイトや友達から彼のことを全く知らない人も参加します。そして、その様子の動画もSNSであげることを決意してのカミングアウトになりました。(動画はこの記事の最後に貼っています)

きっかけは私が背中を押したことにあります。

なぜ私は彼にカミングアウトを勧めたのか。この記事ではその理由と人と「違う」ことが長所になりにくい日本という国についてどうすれば強みにすることができるのか、どうすれば価値に変えることができるのか、その初めの一歩について私の経験を交えて書きたいと思います。

まずは私自身のことを少しお話しさせていただきます。あまりまとめずに言いたいことをそのまま書いていますので読みにくいかもしれませんが少しだけお付き合いください。

おそらく今の私を知っている人は驚くかもしれません。なぜなら今の私からは想像できないからです。ただここで一つ言っておきたいことは、今の私は最初からあったものではなく、訓練と努力、そして「ある気付き」で身につけたモノなんです。

「変わってる」=「バカ」と思ってた学生時代

私は昔から変わってると良く言われます。ですが自分で何が変わってるのかわかりません。それが不安で話していても何か間違ったことを言ってしまったんじゃないか、とよく心配になって人と付き合うことが億劫になって避けるか、もしくは何も言わないようにした時期もありました。

基本あまり友達はいなかったです。できたとしてもいつのまにか離れていきました。とにかく人とコミュニケーションをとることが苦手でした。相手の思ってることや言わんとしてることを表情や雰囲気、遠回しの表現から読み解くことが苦手でした。いわゆる察する能力、空気を読む能力が著しく低かったんだと思います。

みんなができる「普通」が自分にはできない、そう思ったら自分は「バカ」なんじゃないかって思って中学になって勉強と部活を限界まで頑張ることにしてみました。

そしたら中学校入学時の成績は中の下、だったのに超スパルタ塾に通って(殴られながら勉強するという今では絶対タブーな塾)3年間必死に勉強した結果、(平均睡眠時間4時間x365日x3年間)国語と理科以外の教科は模擬試験や学期末テストで満点を取ることもできるようになりました。

勉強だけでなく部活も両立させることを決めた私は毎日の学校での練習以外に塾から帰ってきて(大体夜11時)素振りの自主練を寝る前にやって部活内では3年間一度も誰にも負けることがありませんでした。

あまりにも忙しかった私は、とうとう3歳から習っていたあれだけ大好きだったピアノも中学2年の時に随分と悩んだ結果、辞めてしまいました。一度始めたことはどれだけ辛くても自分から絶対に辞めたことがなかった私が、途中で辞めてしまったことと言えば後にも先にもピアノだけでした。

自分が「バカ」じゃないことを確認したかっただけ

好きなことを辞めてまで打ち込んだ勉強と部活、そのモチベーションはなんだったのか。負けず嫌いということではなく、自分が「バカ」じゃないことを確認したかっただけでした。

あの頃の私は「変わってる=バカ」だと思っていました。

その反面、誰かのことを「変わってる」と思ったことが一度もありません。自分が人と違うと言われる理由がわからないのに人の違う部分なんてわかるはずがないですよね。(笑)何が違うのかっていうことがわかればきっと私も人と同じであれたと思います。

小学生の頃は知的障害を持っている特別学級のクラスメイトと一緒にいる時が1番落ち着きました。彼女は私のことを「変わってる」と思わないという絶対的な信頼と安心があったからだと思います。彼女と一緒にいると自分らしくいることができました。

そんな私に「自分にもっと自信を持って!」という人がいました。ですが、私はこのコトバが1番好きではありませんでした。こんな無責任なコトバがあるのか、とまで思いました。

自信っていうのは今までずっと持つことができなかった人が急に持てるものじゃない。「自信を持ってもいい」という自分自身が納得することが必要なんです。

結果を出しても自信はつかない

私の場合、勉強と部活で結果を出せたことは嬉しかったですがどれだけ頑張って結果を出してもバカでない証明ができても自分自身に自信はつきませんでした

逆にこのままずっと頑張らないといけないんだと思うと疲れました

私が欲しかったのは頑張らなくても認めてもらえるという自信でした。頑張り切って気付いたことは、頑張った自分ではなく、まるごとそのままの自分を受け入れてもらいたかったんだということです。

頑張ることがよしとされている世の中で、頑張りすぎる人を追いつめる日本は自分にとって息苦しさを感じました。


日本の「普通」とオーストラリアの「普通」

さて、本題に戻ります。

「人と違う」は日本では「変わっている」と変換されます。そして「変わっている」は往々にして人はマイナスのイメージを持ちます。しかしオーストラリアではそうではありません。それはなぜか。それは日本の社会がもつ「普通」がオーストラリアとは違うからです。

日本では「人と同じ=普通」、オーストラリアでは「人と違う=普通」です。この「普通」の感覚がある限り、日本で変わってる人が認められることは厳しいです。

「人と違う」が認められる条件

ただ、人と違うことが「才能」として日本の社会で認められている人たちもいます。有名なアーティストや芸能人、スポーツ選手や将棋士、大きな会社の経営者やノーベル賞を受賞した研究者等々。そういう方々はむしろ人と違う部分がもてはやされ、認められ、称賛されます。

ではそういう人たちは何が違うのか。以下私が思う「変わってる」が日本で認められる条件を3つ挙げてみます。

①お金がある ②名声がある ③すでに認められている人が認めている

これらは確かに手に入れると他人からの自分に対する評価は変わります。ただ本当にこれで自分に対して自信がつくかというと私はそうは思いません

理由は前述した私がそうだったからです。運動ができれば、勉強ができれば、私は人から認められる、自分に自信がつく、そう信じていましたが実際はそうではありませんでした。

上記3つの条件は全て自分ではなく、社会、もしくは他人が決めた基準です。結局自分が自分らしく自信を持って生きていくには自分で自分の価値を見つけ、受け入れなければいけないのだと思います。

そうでなければ、社会の基準が時代によって変わることもあれば、国が違うと基準が変わることもあり得ます。外的なモノによって自分の価値が変わるというのはあまりにも不安定でそれが1番の解決策とは私には思えません。

カミングアウトしなかったのは間違った思い込みから

今回カミングアウトした生徒はこれまでしなかったことの理由として「カミングアウトされた方も困ると思っていた」とあげていました。そして「自分のカミングアウトでこれだけの人が勇気をもらったと言ってくれると思わなかった」とも言っていました。

結局軸が他人にあるとこのように「間違った思い込み」を生んでしまうこともあります。他人のせいでカミングアウトができない、のではなく自分がそれを選択してきたんだという事実も受け入れることが大事かもしれません。

お金が手に入っても、有名になれても、周りが変わっても結局は「自分で自分の価値」を見つけない限り自信はつかないのだろうと思います。

カミングアウトから1週間経って、彼とニュータウンという街に行きました。ちょうど1週間前、カミングアウトの直前も実は同じ街を彼と訪れていました。その街はジェンダーだけでなく、国籍を始め本当に多様なヒトが住んでいるシドニーイチfunky でcoolな街です。そしてカミングアウト後ここで彼が私に言ったコトバがとても印象的でした。

「ともこー、オレ、この街がこんなに明るくってカラフルやと思ってなかったわ。自分が変わるだけで世界がこんなに変わるんやなあ。」






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