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頑張れば、"顔晴る"ことができるのか?

ふと気づくと、「誰かのために生きている」人生になっていて、

不思議と使命感に駆られ、本気なのに本気になれない感覚で、

心から生きることができなくて、会社を退職しました。


どうも、2024年の8月から無職になった、ともです。

素敵な会社に新卒入社して、4ヶ月で辞めることになっちゃいました。

なんとか生き延びているので、今の価値観をシェアします。



あなたは、こんな気持ちになったことがありませんか?


これまで精一杯、たくさん活動をやってきたけど、
平均点しか出せなくて悩んでいながら、がむしゃらに頑張ってる

周りで社会的に素晴らしい結果を出している、もしくは出そうとしているような仲間がいて、自分はどう追いつければいいのかモヤモヤする

別に自分は何者でもないのに、何者かであるように振る舞うことに疲れる

「やりたいことは何?」と聞かれても、
大したものがなくて「自分の答え」に困ってしまう


これら全て、過去の自分なんですけれども。


こんな状態から、どんなに頑張ったとしても、

顔が晴れるような、心から満たされるほどの笑顔にはなれなくて、

なぜか「たとえ乗り越えたとしても、その先まで苦しい」状態でした。


なんのために頑張っていたんだっけ?と、

目隠しでマラソンしている感覚。


現状に満足をしてしまったら成長が止まる、と教わってきて、

止まらずに頑張り続けないといけないって考えていましたが、

いつまで頑張っても、その先「自分は満たされない」んだと気づきました。


一体、何がしたいのかわからなくなってしまって、

でも、『とりあえずコレ』と行動しても、何も進んだ気がしません。


僕にとっては、会社で出した結果が良くても悪くても、

特に「報われた」ようには感じなくて、ただ「何か」が残っただけ。

その「何か」は、僕が本当に望んだ結果ではなくて、淡々とこなす作業。


いつしか、機械と大差ない、『心を押し殺した』人間になっていました。

自分が自分を面白いやつだと思えない、つまらない人間だと思うことも。


なので!そんな生き方はやめます。

もっと「幸せ」になる人生を追究して、自由な人間になりたい!

この自分の気持ちに、自分でフタをしたくないです。

自分が自分ではなくなることの方が、よっぽど人生を頑張れないから。


もし、僕の行動が「報われた」としても「報われなかった」としても、

笑って次に進めることができるほど、『顔晴る自分』でありたいです。


だからこそ!

がむしゃらに行動をすることを、やめます。

誰かに追いつこうと頑張ることを、やめます。

何者でもないんだから、着飾ることをやめます。

誰かの答えに惑わされず、自分が満足する答えを信じます。


そんな生き方ができれば、とっても幸せだと思うんです。



僕は退職してから、

普段は仕事していた平日5日間の8時間、心から話したい人と話して、

心から関わりたいイベントやプロジェクトに関わることができています。

仲間に恵まれていたから、今の僕があるんだと、常々思います。

(いつも本当にありがとうございます、、、!!)


その上で頑張れば、自然と顔晴れる。


現状に満足できるからこそ、もっと成長し続けられる。


『顔晴れるかどうか』だけを生きる指針にしたいです。


だから、社会的に評価されそうな実績とか、誰かのモノサシは気にせず、

自分を満たすために、『自然に、おのずから』生きていこうと思います。


ありのままの自分を認めて、もっと顔晴れる生き方のヒントが、

少しでも伝わっていれば嬉しいです。

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