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35thアンダーライブ〜変わるもの、変わらないもの〜
「センター筒井あやめ」の意味
今回のアンダーライブは近年の個性的なアンダーライブの中で、特に異質なものだったかもしれない。表題曲『チャンスは平等』のメンバーの関係上、ここ数年のアンダーライブ色を作っていたメンバーはいない。そして、今回のアンダーライブの新曲である『車道側』のセンターを筒井あやめさんが務めることもあり、言うなれば「選抜色の強い」アンダーだった。
そうした楽曲だからかはわからないが、奇しくも同時期にファンの間でもあまり見かけないようなコミュニケーションが行われた。『車道側』MVのコメント欄をまだ見たことがない方がいるなら見てほしい。そして、それは「表題曲の再生数をアンダー楽曲が上回る」という結果を生んだ。
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ちなみに、『チャンスは平等』の公開日は3/18で、『車道側』の公開日は4/4。
そうした異例の状況もあり、非常に期待値高く始まったライブだったがその期待を上回るものだった。冒頭から、筒井あやめ、菅原咲月それぞれ自身がセンターを務める『ジャンピングジョーカーフラッシュ』『バンドエイド剝がすような別れ方』で会場のボルテージを最短でピークに引き上げ、そのまま10曲をMCなしで披露した。合間を短いダンストラックでつないでいく構成は非常にテンポがよかった。今回のライブのVTRは筒井あやめさんに関する一本のみで、それもまた端的な内容でライブの流れの良さにつながっていただろう。
その一方で、合間に挟まれる「お楽しみ企画」は、メンバーの人柄や「最新の関係性」が垣間見える面白いものだった。パフォーマンスにせよ、企画にせよ、すべてにちゃんと意図があり交通整理が行き届いているところが、とてもよかった。
アンダーライブらしさの再定義
前回、前々回のアンダーライブも最高だったその一方で「では、アンダーライブからある種の「劣等感」のような文脈をとってしまったら、この場所にはどのような特別な意味があるのか」という疑問がわいていた。もはや、選抜とアンダーに技量的な差はほぼなく、またまったく別のものとして魅力を確立したからこその疑問だった。
かつて、しばしばアンダーライブというと「鉄骨」だったり「飛び散ったペンキ」のようなモチーフが使われていたが、そうしたものは今回ほとんどなく、また「劣等感の克服」のようなシーンもなかった。唯一最後、筒井あやめさんが意思表明をしていたけれど、あれはある種「未来の乃木坂そのもの」に対する意思表明に近いもので、そこには選抜もアンダーも関係ない、ある種の未来への希望が詰まっていた。
今日のアンダーライブの意味とは、通常のライブでは伝えきれないメンバー各々のストーリーに時間を割けるところにあるのではないかと思う。単純に、扱っているメンバーの人数も多いし、何より「グループ全体のストーリーを進める」という目的がある以上、それぞれのメンバーの別個の物語にはさほど時間が割かれない印象がある。
その意味で、むしろアンダーにいるということは、選抜よりも長くスポットライトが当たっているという状況にも見えてくる。ライブに関してだけなら、間違いなく割を食っていない。とてもおいしい。
2020年以降、配信ライブが一般的になり、アンダーライブが伝わる手段も機会も比べ物にならない規模になった。会場の拡大はもちろん、仮に会場に足を運べなくても、予定さえ合えば、自宅で配信を見ることが可能になり、格段に見やすくなった。アンダーライブで深堀された人間模様は、これまで以上に広く伝わり、そのメンバーの新たな魅力を伝える。だからこそ、アンダーライブの意味合いは本当に強まっており、そうした環境的要因がアンダーライブの意味合いも変えていると思っている。
アンダーという「チャンス」
私は今まで、筒井あやめさんにこんなに長い時間フォーカスして見たことはなかった。事実、彼女と彼女にかかわる人々の人間模様にこれほど長い時間スポットライトが当たるライブも見たことがなかった。そして、筒井あやめさんという人がこれほどまでに「華やかな人」であったと気が付いた。それは、もちろん、柴田柚菜さんや菅原咲月さんも新たな一面が見られた。
そして、こんなに清宮レイさんがメンバー間で大きな人だったとは知らなかった。あんなに一様に涙を流して、感謝を述べるメンバーたちと、それに寄り添いつつ優しく微笑む姿に、こういうところが好きになったんだよなと振り返っていた。
今回のアンダーライブは構成するメンバーの兼ね合いもあって、ある種の「継承」や「歴史」から一歩俯瞰したライブになっていたと感じる。もし今後も、歴史にメンバーを当てはめるのではなく、今回のような現在のメンバー間の人間関係やパフォーマンスを曲を通して投影するようなライブであるなら、それは一種のチャンスであると感じる。選抜で垣間見えるものと、アンダーで垣間見えるものは全く違う。だからこそ、等しく選抜とアンダーと二分し、固定化するのではなく、その「チャンス」が等しく行き渡ることこそが、よりグループの面白さを加速させるのではないか。
これは、「アンダーもすごい」という従来から言われていることよりももう一歩進んだ感想としてどうしても言いたいことだ。もちろん、この言い方は単純化しすぎで、また、メンバーが実際「選抜」や「アンダー」という言葉にどのような思いを抱いているかはわかりかねる。したがって、正しくない言い方かもしれない。しかし、そうした可能性に期待してしまうほど、今回のライブは、あまりに多くの人の魅力に満ちあふれていた。グループ全体のストーリーを紡ぐ全体ライブに対して、あるメンバーの物語を補完するある種のOVAのようなライブとしてこれからも開催されることを、とても楽しみにしている。
いうまでもなく、そうした一連のストーリーのテーマソングとして『車道側』は抜群に効果を発揮していた。最後に黒見明香さんや筒井あやめさんや松尾美佑さんが流した涙と、配信終了後に流れる『車道側』のオケ音源が妙にぐっときた。
最後に(清宮レイさんありがとう)
今日は祈るように、見守るようにライブを見ていた。そして、楽しみだった。ライブしている姿をみられるのがもうほんとに最後なことが寂しい。
※※※
「アイドルは応援されてなんぼだとおもうけど、私はみなさんを応援したかったんです」
と、最後に明るく語ったのを聞いて、すべての答え合わせができたような気がしました。
清宮レイさんの好きなところは、「応援」もそうだし、その他もすごく「誰かのため」になってるけど、それを「自分がやりたくて、なおかつ楽しくてやっている」ってことが伝わってくるところです。奉仕じゃなくて、きっとレイちゃんが幸せであり、その先に私たちもいる。そういうことなんだと、今日やっとわかりました。
『Against』や『Actually…』でばっちり決めたかと思えば、体力測定企画のシーンではいつも通りの負けず嫌いと勝負強さと明るさがあふれていたし、Wアンコール後恒例のマイクなしでお礼を言うシーンで、「せーの、地声で行っていい?」と言って、ほんとに一人の地声だけで会場に声届けちゃうところが本当に清宮レイさんでした。
今回のライブで何度か「応援」という言葉が出ていましたが、本当にその応援は伝わってます。もらいすぎなくらいです。これからもきっと身近な人を応援し続ける人だと思いますし、そういう人がいるということだけで、元気づけられます。時々といわず、しょっちゅう思い出してこれからも遠くから応援してもらう気がします。これからもお世話になります。できるだけそれを僕も誰かに返せるように頑張ります。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。