”私たち”だけの光~乃木坂46神宮2023~
はじめに
4日目に現地で参加した際、「今回は先輩のいない中でまわる初めての真夏の全国ツアーでした」とMCで改めて話されたとき、その時初めてその事実を思い出した。言われるまですっかり忘れていた。
というのも、その日のライブが、あまりに安定感があり、「乃木坂46」というものを雑味なく、着飾らず、ありのままで味わわせるようなものだったからだ。演出家の変更が関係したのかはわからないが、掛け値なしに近年で一番ストレートにあらゆることが伝わってくるライブだった。過剰なほどの「らしさ」だったり「継承」といった演出に縛られることなく、今の乃木坂46として活き活きしている姿は、観ていてこちらも晴れやかな気持ちになった。
精神を受け継ぎつつも、ある程度過去と距離を取る。言うまでもなく、いつもの「乃木坂46らしさ」は各所に垣間見える。わざわざ言わなくとも、そこに受け継がれたものの重みは、本編通してバシバシと伝わってきた。それは、過去の再現ではなく、「今の乃木坂46」として。
「後輩だけでやれるのか」みたいな、いかにも「ドキュメンタリーとしては描きたかったであろう挫折」とは無縁なライブは純粋にとにかく楽しかった。光を放っていたのは歴史でも、事実でもなく、そこに立っているメンバーである。そしてその輝きは何にも代えがたい自信に満ち溢れたものに感じた。
この4日間がメンバーの皆様の自信につながり、「私たちが乃木坂46です」と叫んだ日、そこからさらなる飛躍につながる船出の輝かしい日として、記憶に残ることを祈っている。
3.4.5期生主体の「オリジナルとして」の乃木坂46を語るためのセットリスト
いざライブを終えてみると、『インフルエンサー』『制服のマネキン』等のキラーチューンはもちろん、クラップで会場を一つにし、コロナ禍のライブの最重要楽曲でもあった『SingOut!』さえセットリストから落ちていたのは驚いた。勿論、いわゆる『裸足でSUMMER』をはじめとした「夏曲」と言われる楽曲は過不足なくやっているが、これらももったいぶることなく、初めのMCまでに済ませてしまっている。ストーリー性というより、会場のボルテージを上げるための楽曲たちだった。
加えて、日替わりのユニット曲ブロックや上記の「夏曲」という例外を除けば、その後の表題曲ブロックで披露された楽曲のほとんどが、3期生ないし4期生がセンターをオリジナルで務める楽曲。このことから、ほとんどすべての演目がいわゆる先輩から「継承」されたようなものではなく、少なくとも誰かはオリジナル、場合によっては100%オリジナルメンバーになるような構成になっていた。
口で言うのは簡単だが、意外とこの縛りはきつく、当然初期の楽曲は披露できなくなる。また、最近のライブでも頻繁に披露されている楽曲も一部あった。
しかし、それによる物足りなさのようなものは、全くなかった。むしろ感想を書く段階になって冷静に振り返ると、そうしたことに気が付いた程度である。
また、ファンの盛り上がりも申し分なかった。極端な話『バンドエイド剥がすような別れ方』をやって『I see…』やって『僕が手を叩く方へ…』をやってしまえば、ライブが過不足なく盛り上がり、そしてエモーショナルに収まる…というある種のコンボで生み出される感情は、まさに乃木坂46らしいものだった。また、『おひとりさま天国』と対になる形で、今後のグループの決意を示すかのような『人は夢を二度見る』。ここまでの一連のストーリーが「今の乃木坂46」だけで語られたことには非常に大きな意味があり、改めて今後のグループ像をくっきりとしたものにしたと感じている。
継承されているものは確かにあったとしても、具体的な表現としては先輩に頼ることなく「乃木坂46のライブ」を完遂できたという事実。何より、ファンの反応として、コロナ禍以降の楽曲中心で、これだけ俗にいう「定番曲」を省いてもなお、これだけの熱気に包まれたライブになったということ。これは一つ世代交代成功の目安と言ってもよいだろう。
今までとは違う「涙」、そこからの「叫び」
また、4日間のMCを通して印象的だったのは、強がることなく素直に不安を打ち明ける人が多かったこと、そしてその時追い詰められたように涙を流すわけでもなく、きわめてフラットに不安を打ち明けているように見えたことだった。
数年前、遠藤さくらさんが流していた涙は、正直こちらの心が痛くなるようなものだった。センターに立つ重圧、そして恐怖。そうしたものに押しつぶされそうな姿を見て、応援するという形で熱狂していたあの頃。
本人の心情は本人にしかわからないにせよ、あの頃が手放しに楽しそうだったという風にはあまり見えない。ここで触れるには場所が狭すぎるので詳細は書かないが、中西アルノさんだってそうである。
今回のツアーの座長である井上和さんからも確かに涙は流れていた。しかし、その奥には、大きな安心感があったように思える。
彼女に対しては、初めからファンが歓迎的だった(そんな「歓迎か否か」で10代そこそこの女の子の精神をぐちゃぐちゃにする状況には本当に腹が立つ。勿論、自分もそれに加担する一員なのは否定できない。)のはもちろんだけれど、それ以上に同期や先輩に対する安心感があるように見えた。
悲壮感があるわけではなく、ものすごく前向きな、必要な涙に感じた。その寂しさや、悲しみは行き場をなくすことなく、優しく受け止められているように感じた。今回、アンダーセンターを務める松尾美佑さんだってそうだった。
基本的に、メンバーが泣いている状況は苦手である。どこかエンタテインメントにされている状況はもちろん、「本当にそれは泣かなければならない状況だったのか」「どこかでその人が泣かずに済む手立てを打てたのではないか」とつい思ってしまうからである。しかし、今回、観客としてメンバーが泣いている姿を直視できたのは、その涙が不安だけではなく、むしろ信頼によるものが多かったと感じられたからだと思っている。
叫ぶキャプテンと”約束”
最後に、このライブのMVPを選ぶとするなら、全員と行きたいところだが、それでも梅澤美波さんと言いたい。
正直なところ、今年の三期生ライブのような、過剰にも感じるほどの熱量をグループ全体がもてるのかというところは想像がつかなかった。ともすればそれがある種のアンバランスさに繋がるのかもしれないとも思っていた。
しかし、その熱は見事にグループ全体と同期し、全員がある種やけどするくらいの熱を持つグループに変貌していた。何より、このメンバーたちが、当たり前だが「乃木坂46」であらゆる夢をかなえることを微塵も諦めていないということが、はっきりと示されたようだった。
現状、必ず神宮球場は近いうちになくなるし、正直未来が全て明るいとは言えない。「たかだか日本のアイドルでトップとったところで次は何なのか」というくらい、戦う相手は多様かつ強敵になっている。
あえてここでこの話をするが、正直なところ、世界的な訴求力はもちろん、もっと言えば日本のバイラルヒッツなどと比較しても、お世辞にも元気のある再生数ではない。隣国のガールズグループに押されているという見方もあるし、ある種そうした見方に乃木坂ファンでさえも弱気になっているような印象があった。
しかし、このライブをみて、仮に事実がそうであっても、それさえを超越してしまうのではないかという、根拠のない自信、あるいは祈りに似た感情が浮かんできた。これだけの熱量を共有しているようなグループが報われないなら、周りが悪い、と言いきりたくなるくらいだった。
というか、これだけやり切っているのだから、そういう世界との勝負、日本との勝負だとかそうしたものを全部「くだらないもの」にしてしまうくらい、唯一無二の何かとして、もう一旗あげてくれそうな予感が本気でしているのである。乃木坂46が乃木坂46としてブレないというかなんというか。むしろ、変化を拒む頑固さが何かを生むのかもしれない。
「みんなでまとめて幸せになってやるんだから」と本気で叫ぶキャプテン、「私たちが乃木坂46です」と叫びながら涙ぐむキャプテンを見ていると、何も決まっていない未来でもどうにかなってしまいそうな、いやどうにかなると確信してしまうのである。
私は、この人たちが、その願いをかなえられるように祈るしかない。間違いなくこのグループには「他の誰も持っていない力」がまだまだ眠っている。そして、それが光輝き始めた今こそが、新たなスタートなのである。
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