見出し画像

高校卒業を一か月後に控えて

4度目の卒業が目の前にある。
1度目は幼稚園、2度目は小学校、3度目は中学校。

結局人間は、過去に3回も経験すれば慣れるようにできている。
新しくサイトをブックマークして2回使う機会があれば、3回目は見ないでもサイトを開けるようになる。

でも、今までとは大きく違うところがある。
「ネットの学校のネットのコース」というところ。

毎日同じ教室に集まり、勉強し、ご飯を食べる。
体育祭や合唱コンクールのために一丸となる。
部活でいい成績を残すために切磋琢磨する。

これが中学の記憶を思い出しながらひねり出した多数派高校生の日常。

でも実際はもちろん違った。
毎日不規則な生活習慣。
思っていたより勉強にも注力を注がず、
入学時したいと思ってたプログラミングは齧っただけだった。

あと僕の場合、同い年でよく話した人がそんなにいない。
ぱっと思いつく限りでも片手で数えられるくらいだ。
あと話した人はみんな学年が違う。
先輩だったり、後輩だったり。(っていうか今2学年の人たち活動的な人が多すぎてなんかもうなんなn)

数日だけ同じ学年の人が同じ教室に集まり勉強するスクーリングはあるが、そこで話したほとんどの人は、今どこで何をしているかはわからない。
DMを教えてくれた人も、全く連絡を取っていない。
(自分がその後も連絡を取らないせいでもあると思うけど……)

ということで本題。
最近、いけとも少年は気になった。

「そんな高校生活が終わる時、自分はどのような気持ちになるのだろうか。」

N,S高はSlack上で交流をする。
感覚的には、Slackは学校である。
4/1になったら、Slackアカウントが順次消されていく。
僕のスマホ、PCから一つのアプリが使えなくなり、いずれ消える。

その時の気持ちは悲しいのか、喪失感か。
それとも入っている全部のチャンネルの未読をなくさなくてもよくなると、肩の荷が下り楽になるのか。

でも僕の手は勝手にSlackを開き未読のチャンネルを探すように形成されてしまった。
最初の方はそのせいで余計に寂しくなりもするだろう。

丁度今日経験した喩えがある。
自分の好きな人のラジオを聴いていて、気が付くと2時間あっという間に過ぎてゆく。
ED曲も相まって、「それではまた来週」(のような言葉)を聞いた時、今まで自分に語り掛けてくれた人がいなくなるような気がして少し寂しくなる。

・・・きっとそんな気持ち……かな?

――――――――――――――――――――――――

この文章は、2/29に書いています。
まだ、ただの予想。
それを3/31に投稿する。
その後の答え合わせは4/1で。


そんな日記。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?