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工場勤務10年→ニート。そして10日で海外へ行き決定。

こんにちは、ひらいです。

このnoteを見ていただいているということは、

「今からでも人生を変えたい。」

もしくは

「ひらいって誰やねん。」

と感じた方だと思うので、僕の経験が少しでも誰かの役に立てばありがたいと思い、記事を書いています。

工場勤務10年、30歳から、たいしたスキルもなく海外に飛び出すクレイジーな男の行く末を温かく見守っていただけたら幸いです。


1.逃げの人生

【大学を1コマで中退】

一言で言えば、僕の人生は逃げてばかりでした。高校は地元の進学校に通い、当然大学に進学することに。

ただ、僕は流されるままに学力にあった受かりそうな大学を選び、理系のクラスだったから工学部を受けた、という完全受け身の状態でした。

大学はなんとか受かったものの、正直、工学系に行くことに興味がなかったんです。どちらかといえば、パソコンとか機械が苦手でした。

なので、とりあえず1コマ授業を受け、そのまま大学に通うことはありませんでした。

今思えば、ただのバカなやつ。そんなことは100人に聞いたら5,000人がそう思うはずです笑
親にも迷惑をかけました。

休学して他の学部に編入するとか、色々方法はあるはずなんですが、当時は落ちこぼれたという感覚がとても嫌だったんだと思います。


【工場勤務の始まり】

それからしばらく免許取得とニート期間があり、メンタルもだいぶやられていました。

自動車教習所で、大学を辞めた話を教官の人に話したところ、なぜか他の生徒にも伝わっていて、少し人間不信になりかけてました。

それから1年間スーパーでアルバイトをして、工場勤務につくことに。

当時は自己肯定感がとても低く、視野も狭かったので、

「自分には工場勤務くらいしかできない。」

そう思って工場勤務を選びました。(工場勤務が悪いわけじゃないですよ)


【チャンスから逃げる】

工場勤務をしばらく続けていて、先輩が割と厳しめな方だったので、何度も辞めようと思いました。今考えると、仕事の効率化など、鍛えていただいて感謝してる部分もあります。

ただ、先輩は先輩で、動かない上司との戦いにメンタルをやられて僕よりも先に辞めることに。

その流れで主任的な立場になった僕は、生産の予定を立てたり、中国に機械の下見に行ったり、新工場の工場長に打診を受けたり、いい経験をさせてもらいました。

ただ、そこでも自己肯定感の低さから、「自分には工場長は荷が重い。」と感じて逃げてしまったんです。


その後はまた同じように食品加工工場へ転職。ここでは前の工場で鍛えられた経験から、2年後に副工場長に昇進しました。

順調に行っていた仕事ですが、自分にはどうにも不満があったんです。

それは、

「自分の人生はこのままでいいのか?」

という漠然とした不満。

何か変えたいと思うようになり、インフルエンサーの影響を受け、ブログやプログラミングを始めて見ることに。

ただ、元々パソコンに苦手意識があったので、どれも続かず。

結局モヤモヤし続ける毎日でした。


2.人との出会いが人生を変える

コミュニティに入ることに

この頃、友人の紹介で、「正確な情報と知識を身につけ助け合うコミュニティ」という、東海地区を中心に活動しているコミュニティに入れてもらうことに。(ア◯ウェイとかではないです笑)

そこには、工場勤務では出会えないような、いわゆる世間で言う「意識の高い」方々が交流されていました。

自分のお金を守るための金融セミナーや、某有名大学の講師の方のセミナーなど、受ける機会があり、工場の中では全くされないようなお話を聞くことができました。

コミュニティって聞くと、宗教とか、大金払ってセミナー受けてるイメージあるかもしれませんが、全然そういうのではないです笑

シンプルに、「この人たちと学んでいきたい。成長していきたい。」そう思えるような人たちだと感じています。


工場勤務から初めての営業職

そこからその仲間の紹介で、営業職として静岡から初めて上京することに。

営業の経験もなければ、東京で仕事をするのも初めて。正直不安も大きかったのですが、「今行かなければ自分は変わらない。」そう思っての決断でした。

東京では、シーシャ(水タバコ)の関連具の営業に従事。初めての営業で、上手くいかないことが多く、30歳の自分はどんどん落ち込んでいきました。

そんな中、元々タバコを吸わない人間だったので、体に合わず、東京を去ることに。

紹介していただいた仲間には、本当に申し訳ないことをしたと今でも悔やんでいます。


3.ニートで就活してたらあることに気づく

名古屋で就活していたら

その後は、地元の静岡に戻るのも嫌になってしまい、名古屋にいる弟のアパートに居候させてもらうことに。

30歳にしてニートです。

名古屋でまた人生やり直そうと就職活動。ニート、無職の状態はかなりメンタルに来るので、早く就職を決めたいと焦っていました。

そんな中、幅広く業種、職種を見ていると、「フィリピンで働ける」という募集を発見。

そして、あることに気づきました。

『あれ?無職って最強じゃない?』
『時間あるし、どこにも行けるし、なんでもできるじゃん。』

自分を縛るものがないので、海外にだっていける。弟には驚かれましたが、自分はチャンスだと思って海外に行く方法を調べ始めました。


色々と調べてみると、どうやら0円留学というものがあるらしい。半日はインターンとして働きながら、半日は英語の勉強ができる。

もちろん普通に留学するよりも英語の勉強時間は少ないです。英語の勉強のためだけなら選ばないほうがいいです。

ただ、僕の目的は人生を変えること。逃げてばかりだった自分を変えに行く。そんな過去の自分を救うには十分な理由でした。


0円留学に応募

0円留学には面談をして受からないといけないらしく、無職で焦っていた自分はとにかく片っ端から0円留学できるところに応募していきました。

6社ほど応募した中でも、すぐに対応してくださったのは

この2社でした。

「留学比較Style」さんは0円留学は2023年4月からの受付ということで断念。

Face to Faceさんはインスタから問い合わせをして、簡単な履歴書のようなヒアリングシートを提出した後、面談に進みました。

面談はFace to Faceさんと提携している日本の会社の方が担当し、インターンとして働くのはその日本の会社の業務をするという形です。

0円留学の目的や、お互いの留学に関しての思い違いや適性などがあっているかどうか、面談で確認しました。

「英語を本気で伸ばしたい!」という方は向いていないそうですよ。


そして面談後というか、面談の中でもう内定。冷静になって1日じっくり考える時間をいただき、フィリピン行きを決めました。この時10月6日。

来週の日曜日(10月15日)のフライトで来れるかどうかを確認され、「行けます。」の2つ返事で、10日余りでフィリピンに行くことに。


準備期間が短すぎて、手続き関係がかなり忙しかったですが、10日あれば留学に行けることを証明できたんじゃないかなと。

手続き関係、準備したものなど、また改めてまとめようと思います。

4.今日が人生で一番若い日

フィリピンで0円留学

そして、現在フィリピンにて、0円留学中。

30歳からでも海外に飛び出すことは可能です。人生を変えることはできます。

「あの時ああしとけば良かった。」何回も思いました。

だったら、「10年後、5年後の自分から見たら、今の自分はどうするのかな?」そう考えたらいいんだと。

今動かないと、どんどん動けなくなるのは体力的にも精神的にもわかってる。「だったら今行っとこ。」

それくらいの感覚で動いてもいいんじゃないかと思います。

勉強熱心なあなたはすでに知っているかもしれませんが、

今日が人生で一番若い日です。

by リベラルアーツ大学 両学長

さらに、

81歳でプログラミングを学び、世界のアプリ開発者が集まるイベントに招かれたという日本人の方もいます。


30代なんてまだまだ若いです。

この先何十年と生きていくのに、「このままでいいや。」って自分の人生を決めてしまうのって早くないですか?

10年間工場勤務、逃げ続けた人生の僕でもできるんだったら、あなたにもできますよ。

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
フィリピンでの活動の様子や、自分の考えはTwitterを中心にやっています。
また、僕に興味を持ってくださった人がもしいたら、DMください!
ぜひ話しましょう!

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