自分の喜ばせ方が下手くそな人へ
(2022年7月のアメブロ記事をリライト)
自分を喜ばせよう。
この言葉もずいぶんと
よく聞く言葉になった。
と感じていたのですが
尊敬する専門家の方に聞いたところ、
なんとまだ約8割くらいの人が
自分が何で喜ぶかを
「わかっていない」そうです。
自分を喜ばせる方法は
人によって
またその時によって
変わるものですから、
「コレ」です。
といった正解はありません。
自分を喜ばすなら
自分に聞いて、
自分で決めれば良いのです。
でもこの、
正解のないことを自分で決める。
これが意外と出来なかったりするのよね。
思いついたことを
実行してみたとしても、
しばらくすると
こんな声が聞こえてくるのです。
「これで良かったのかな…」
「こんなことしてて大丈夫かな…」
「これ、あってる…?」
子供の頃からずっと
正解を求めることが当たり前だった私たちには
ある意味当然のことかもしれません。
自分の事なのに
自分の喜ばせ方がわからない人と、
自分を喜ばせることが上手な人の差は
普段からどれだけ
自分に問いかけ
自分の声を聴いているか
自分とのコミュニケーションが取れているか?
これだけなのだと思います。
問いかけた。
やってみた。
でも、
「これでいいのかな…?」
という声が
どこからともなく聞こえてしまう時や
もしくは、いろいろ浮かんではくるけれど
どれが本音なのかわからない時って
意識を向ける方向が
真逆だったりするの。
∞∞∞∞∞
考えること≠感じること である。
にも関わらず、
ここがごちゃ混ぜになると
(思考に引っ張られると)
いとも簡単に、
喜びを他人に明け渡してしまうようになる。
(無意識ながらも)
考える事と感じることは同時には出来ない
ということは、
日常を少し振り返ってみれば
わかることだと思う。
例えば、
トイレに行きたい!と
尿意をMAX感じている時に
夜ご飯の献立を考えることは出来ないし、
明日のプレゼンやばい!と
頭をフルMAXで働かせて
資料をつくっている時に
空腹って感じない。
(気が緩んだ瞬間に感じるよね?)
体感は思考を黙らせるし
思考は体感を鈍らせる。
どちらが優れていて
どちらが悪者か、という話ではありません。
ただひとつ確かなことは、
感じてしまった感覚に嘘はないけれど
頭は巧妙に嘘がつける。
しかも他人からの影響を
モロにうけるし、
変なプライドを立てたがる。
自分を喜ばせているつもりが
周りへの幸せアピールにすり替わっていたとか、
身に覚えありませんか?
ごちゃごちゃと考え始めた時などは特に
その中に本音などはないのです。
∞∞∞∞∞
ではどうすればいいのか?
どこを見ていけばいいのか?
答えを知っているのは
あなたの体「体感」のほう。
熱いものは熱い
冷たいものは冷たい
感覚は絶対的に正直です。
だから体の感覚に意識を向ければ良い。
心地よさを感じる?
ほっとする?
ゆるむ?
それをやって気持ちいい?
そうやって感じていることを指針にする。
あなたの体で感じたことは
あなただけにしか絶対にわからないことだから、
それが
あなただけが知っている、
あなただけの答えなのだ。
感じたことに、
正解も不正解もない。
だって確かに、
そう感じたのだから。
それを頭の声で誤魔化さないこと。
それだけでも
「私」は喜ぶと思うんだ。
あなたがあなたを喜ばせようとした。
そこに意識を向けたこと。
それがまず何よりも、
あなたを喜ばせる。
行動はちょっとしたことでも十分なのです。
▶︎感じるお稽古にこちらも是非
▶︎ノートタイムのお供にどうぞ
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