【考察】「ロマン」と「現実主義」のジレンマ、バルセロナの征く先に待つものとは
はじめに
ロマンと現実主義のジレンマとは?
皆さんご存知の通り、バルセロナというクラブは、黄金期の度に独自のあり方で世界を席巻してきたクラブです。その独自性と、それによる華々しい歴史が故に
バルセロナはカンテラーノ中心のクラブであるべきだ
バルセロナはバルセロナらしい伝統的なフットボールで勝つクラブであるべきだ
バルセロナはソシオによって運営される、あくまで地域に根ざしたクラブであるべきだ
といったような「バルセロナにはこうあってほしい」という理想があまりに大きなものになっているという事実があります。クレは、バルセロナが持つ独自性、そしてそれによる強さに「誇り」を見出している訳です。(もちろん人によって程度の差はあります。)
しかしこれらの理想とは裏腹に、近年のバルセロナはかつてのような「独自性のある強豪」であるとは言えません。もちろんカンテラーノもいるにはいるけど、決してかつてのようにカンテラーノが中心となって躍動しているわけでもなければ、フットボールの指針も監督によってバラバラ…。これが大局的に見た近年のバルセロナだと言えるでしょう。
では、バルセロナが世界を席巻した時代のような輝きを取り戻すには、理想を取り戻すための「原点回帰」をすれば良いのでしょうか。できるかどうかは別として、大切に時間をかけて若手カンテラーノを育て、クライフやペップの時代のフットボールを再度チームに根付かせ、ソシオたちの会費によって健全に経営するようになれば、バルセロナはかつてのような強豪に戻れるのでしょうか。
これに対し、私は明確に「NO」と答えます。そしてバルセロナの経営陣たちも「NO」と答えるであろうと推定します。それはすなわちどういうことか。
バルセロナはかつての栄光に起因する「理想(ロマン)」を有するクラブである。しかしそのロマンに固執するだけでは、恐らく強豪に返り咲くことはない。
強豪になるためには、今と未来を理性的、そして現実的に見つめ、「現実主義」に立ってクラブを動かしていくべきだ。
バルセロナは「ロマン」と「現実主義」とのジレンマを抱えるクラブである。
これが私の持論であり、近年のバルセロナが抱える問題の本質的な部分こそ、このジレンマであると考えています。さらに言えば、このジレンマについて考えてゆくことで、今後のバルセロナのあり方が見えてくるのではないか、とも考えています。
したがって、以上のモチベーションからこのnoteでは
なぜ理想(ロマン)ではかつての輝きを取り戻せないのか。
なぜ強豪になるには現実主義が必要であり、その現実主義とはどのようなものなのか。
バルセロナは今後どのようにしてジレンマを克服するのか、その先には何があるのか。
といったことを考え、バルセロナが抱える問題を明らかにする。そしてそれを通して、バルセロナが今後どのようになってゆくのかを考察していこうと思います。
かなり長くなるとは思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
現代の強豪が強豪たる所以、そしてそれと「ロマン」との乖離
私個人が考える「強豪クラブの持つ三つの要素」
先述の通り、かつてバルセロナが欧州を席巻した頃、バルセロナのフットボールは世界で唯一無二と言えるものでした。例えばジョゼップ・グアルディオラが監督を務めていた時代、世界一の戦術家である彼によって生み出された戦術は、それを支える優秀な選手達によって緻密に遂行され、数々のクラブを蹂躙していきました。そしてルイス・エンリケが監督を務めていた時代は、そもそもMSNの存在自体が戦術と言えるほどのもの。さらに前線の彼らを支えるだけの能力を持つ後方の選手により、バルセロナは圧倒的な攻撃力を誇りました。
このように、バルセロナが強かった時代というのは、バルセロナにしか持ち得ないものが必ずあったのです。さらに遡れば、ヨハン・クライフが率いたドリームチームも、当時の欧州では異端だと言えるフットボールであの地位を築いた訳ですからね。
さて、少しバルセロナから視点を移します。
現代のフットボールにおいては、クライフの手により生み出され、バルセロナの代名詞となっていた「トータルフットボール」は、強豪クラブのフットボールの中には当然の如く組み込まれています。
そして視点を変えて「金」について考えると、現代フットボールというのは、プレミアリーグのビッグクラブを中心に、巨額の資金が経営のエキスパートによって動かされるマネーゲームと化している訳です。
では、今日の強豪クラブを中心にこれらの具体例を見ていきましょう。
あのジョゼップ・グアルディオラ(以下ペップ)が率いるマンチェスター・シティは、監督が希代の天才であることに加え、中東のオイルマネーという強力な資金源を有する上に、賢明な経営陣によって育成にも力を入れた運営がされており、まさに強豪クラブに相応しいシステムが築かれています。フィル・フォーデンは、この全く新しくなったマンチェスター・シティのシステムが生み出した最高傑作だと言えるでしょう。
そしてユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘルの戦術は、ラルフ・ラングニックのゲーゲンプレスに端を発する訳ですが、ゲーゲンプレスにおける「即時奪回」のアイデアも、クライフのトータルフットボールの影響を受けたものです。クロップ自身、ドルトムントを率いていた時代に「バルサの守備戦術を参考にした」と明言しています。そして2人の監督を支える優秀な経営陣がリヴァプールにもチェルシーにもおり、豊富な資金をベースに彼らもまた強豪に相応しい地位を築いています。(リヴァプールに関しては資金の多さ以上に経営の上手さが目立ちますが。)
また現在ユリアン・ナーゲルスマンが率いるバイエルン・ミュンヘンですが、バイエルンはペップが率いていた時代のフットボールを上手にアップデートさせてきました。強さには波がありましたが、それでもブンデスリーガでは無類の強さを誇り、さらに19-20シーズンのハンス・ディーター・フリック監督の時代には、残酷なまでの強さによって欧州を制しました。今日のバイエルンもかつての地盤を活かしながら、ナーゲルスマンという新時代の革命家の手によって強さに磨きがかかっている訳ですが、そのバックにはドイツ国内の強力な企業がついています。バイエルン・ミュンヘンというクラブは、もはやドイツの産業の一環と位置付けられるクラブ。優秀な経営者達が、その向かう先を真剣に考え、安定した強さを保てるようになっている訳です。
以上のように、近年の欧州強豪クラブに関して考えてみると、その多くにある共通点が見てとれます。それはすなわち、
トータルフットボールのアイデアが戦術に組み込まれており、かつストーミング戦術など、多種多様な形を介してアイデアがアップデートされている。そのアップデートの度合いと、選手個々のクオリティが強さを決めている。
クラブの強さと収益を安定化させるために、クラブ運営に関するノウハウを有する優秀なフロントが組まれている。
シンプルに金がある。
という三点です。私はこの三点こそ、近年の強豪クラブが強豪であることのかなり直接的な理由であると考えます。
現在のバルセロナの状態と、それの強豪の三要素との乖離
さて、それではこの三点を踏まえた上で、バルセロナに目を移しましょう。
まずはフットボールの中身についてです。
先述の通り、バルセロナが強かった時代のフットボールは、既に欧州中のクラブが研究し、多くの強豪がそのエッセンスを取り入れています。すなわち、多くの強豪がバルセロナのかつての独自性の部分を吸収し、その要素をさらに現代フットボールに適したものに進化させているため、バルセロナにはかつてのような戦術的独自性、優位性はもはや存在しない訳です。バイエルンがペップの残したものをアップデートしていた一方で、バルセロナはクライフとペップの残した偉大な哲学をただ食い潰してきただけでした。
それだけでなく、バルセロナが誇るカンテラ「ラ・マシア」の教育システムも、既に欧州中の育成機関によって研究され、そのエッセンスが吸収されています。つまり、バルセロナはトップチームのフットボールどころか、育成の段階から既に独自性と優位性を失っている訳です。
また、トータルフットボールのトレーニングの根幹をなすものに「ロンド」がありますが、これを適当にこなしているラ・マシアの選手を見てチャビが絶句したというのも記憶に新しい話。その上、バルセロナではこれまでフィジカル的な側面が軽視されがちでした。
進化する界隈においては、停滞しているだけでも遅れをとっていることになるのですが、バルセロナの育成は停滞どころか衰退すらしていた訳です。
ラ・マシアとトップチームの問題点に関しては後の項で詳述しますが、このように今のバルセロナはフットボールの中身において、既に確実に後手を踏んでいる訳です。
続いては経営、フロントに関する部分に焦点を当てましょう。
バルセロナではソシオがクラブの運営に関する権利を持ちますが、残念ながらソシオはクラブ運営のエキスパートではありません。クラブへの愛だけは間違いないのでしょうが、会長にしてはいけないような人を会長に選んでしまったりと、ソシオによる運営がクラブの状態が安定しない理由の一つになってしまっているのも事実です。
そもそも、欧州の強豪に「会長選挙」や「ソシオ制」を採用しているクラブはほとんどありません。レアル・マドリードもソシオによる会長選挙を行うクラブですが、現会長のフロレンティーノ・ペレスはクラブの規約を変更し、対立候補が立つのを実質不可能にしたことで独裁体制を固め、現状ソシオの意図以上にペレスの独断がクラブを動かしている状態です。実際ペレスは非常に優秀な人材ですから、形骸化したソシオ制を維持しながら、他のオーナー制の強豪クラブと似たようなシステムを作ることができています。もちろんペレス政権には、透明性の無さ、反対意見の徹底的な排除など、決して誉められたものではない要素もありますが、クラブの運営としては結果的に上手くいっている訳です。
一方バルセロナは、政策の是非に関する投票でソシオが「イエス」と言うための係になっているなど、一部ソシオ制の形骸化が見られるのは否めませんが、それでも会長選挙は対立候補の出る形で定期的に行われるなど、マドリーに比べればソシオの影響は強いと言えるでしょう。古き良き伝統の維持と言えば聞こえは良いですが、最近のバルセロナでは、会長をはじめとする理事会の面子が頻繁に変わることで運営方針は一貫性を欠き、そもそも本当に会長に相応しい人物が就任するかどうかもわかりません。実際にソシオたちがバルトメウを会長に就任させた際も、MSNの台頭によるスポーツ面での輝かしい功績のみを見てしまい、彼につきまとう金銭面の問題に気づけてはいませんでした。また、そもそもバルセロナの会長というのは名誉職。すなわち、給与は出ないものの、なれることそのものが名誉という立場。この名誉を求め、多種多様な「賢い金持ち」が立候補し、聞こえの良い言葉でソシオを誘惑する訳です。その人物がクラブ運営に明るいかどうかに関わらず、ソシオたちは候補者の言葉、そしてカリスマ性に惹かれて新たな会長を選びます。そう、重要なのは「ソシオ制が続く限り、バルトメウの悲劇は何度繰り返されてもおかしくない」ということ。もちろんオーナー制にしたとてそれが起き得ないとは言いませんが、現在のリヴァプールやミランを見れば、確かな実力を持ったオーナーによる運営というものがいかに偉大かはわかるはずです。ミランについては私も応援しているため、よく情報をチェックするのですが、ミランにおけるオーナー就任や、その後のクラブの動きの素晴らしさは、クレの方にも是非知っていただきたいと個人的には思っています。
以上のように、このような現状では、クラブ経営のエキスパートが中長期的な視野を持って運営するクラブに引けをとるのは仕方がないと言えるでしょう。クラブの運営が安定しなくなる度にクラブは瓦解し、その度に建て直す必要があるため、クラブの強い時期を安定して持続させられません。
最後に資金について。
バルセロナは、収益面で見れば世界トップクラスのクラブです。これまでの輝かしい成績と、独自のあり方でファンを増やしてきたことは、バルセロナにとって今でも大きなアドバンテージになっています。これによってクラブの「格」が確固たるものになっており、今でも金銭面以上に名誉を重視してバルセロナを選んでくれる選手がいる訳ですからね。
しかし今日の強豪クラブは、莫大な資金を持つ企業がバックについていることで、ファンの出資による収益以外の部分で大きなアドバンテージを得ています。とりわけプレミアリーグのクラブでは、リーグの方針によって莫大な額の放映権料を受け取ることができているため、そのアドバンテージは更なるものです。(この点に関しては、そもそもラ・リーガ自体が大きく遅れをとっています。テバス、しっかりしろ。)
ただ、経営陣と金については完全に切り離して話すことはできません。経営陣が優秀でも金が無ければできることに限りもありますし、クラブを大きくするのに時間がかかります。金があっても経営陣が無能だと、かつてのミランや今のマンチェスター・ユナイテッドのように、クラブは一気に力を失います。すなわち、優秀な経営陣と豊富な資金、この組み合わせこそが重要なのです。しかし今のバルセロナでは、どちらの面においても遅れをとっていると言えます。
さて、ここまで強豪の三要素と現在のバルセロナの状態を比較してきました。以下ではここまでの議論を整理しておきましょう。
以上の議論から私は次のようなことが言えると考えます。
スポーツ面から言っても、経営の観点から言っても、今のバルセロナに大したアドバンテージは無い。
しかし、バルセロナの経営陣自身は恐らくロマンからある程度離脱することの必要性を理解し、それ故にこれまでバルセロナは中途半端な状態になってきた。
一つずつ見ていきましょう。
私は「バルセロナが強い時代には、独自性によるアドバンテージが必ずあった」と再三述べています。しかし、今のバルセロナではかつての華々しかった独自性への固執が足枷となっており、スポーツ面と経営面の両方の進化から置いていかれているのです。バルセロナが過去の遺物を消費している間、現在の強豪クラブは、バルセロナのフットボールのエッセンスを吸収し、自分達独自の要素を交えたアップデートされたフットボールを作ってきました。それにより、バルセロナのフットボールが誇る独自性、すなわちアイデンティティは、もはやバルセロナのみが持つものではなくなったのです。したがって、バルセロナのかつてのフットボールで欧州を制することは難しくなったと言えるでしょう。そしてさらに強豪クラブたちは、優秀なオーナーによる経営によって安定した基盤を築いてきました。これが「スポーツ面から言っても、経営の観点から言っても、今のバルセロナに大したアドバンテージは無い」と言える理由です。
そして二つ目について。先ほど少し述べたように、今のバルセロナでは外部から選手を積極的にとってきたり、ソシオ制に一部形骸化が見られたりと、新たなエッセンスを求めていることもわかります。とりわけサンドロ・ロセイの時代には、バルセロナもレアル・マドリードのようなスーパースター主義をとろうとしていましたし、バルトメウの時代には、名将ではあるもののバルセロナらしくはないエルネスト・バルベルデがトップチームの監督に就任するといったこともありました。しかしその名残により、スーパースターだらけな上に、監督ごとでフットボールの中身がコロコロ変わるトップチームのフットボールと、バルサのエッセンスを大事に育成をするラ・マシアのフットボールの間に乖離が生まれたのもまた事実。また、ソシオによる運営とは言いながらも、ソシオからの会費はクラブ収益のたった3%程度。結局は、カタール航空や楽天などの大金を用意してくれるスポンサーを求めるようにもなりました。このように、バルセロナでは過去の独自性と現実的に必要なものとの間で揺れる中途半端な状態が続いてきた訳です。
ジレンマを抱え、中途半端な状態のバルセロナが「今」歩んでいる道
さて、ここまでは「黄金期を終えた過去」のバルセロナがどのような状態に帰着し、現在の強豪との間にどのような差があるのか、それらはなぜ生まれたのかについて見てきました。
ここからは「今」のバルセロナがどのような道を進んでおり、ジレンマをどのように克服しようとしているのか、そしてそこからどのような「未来」に進もうとしているのかについて考察していきます。
第二次ラポルタ政権の誕生と、急速な革命の予感
クラブ史上最悪の会長であるジョゼップ・マリア・バルトメウの辞任後、もはや崩壊したと言えたバルセロナの再建を期待して会長選挙が行われ、その結果、現会長であるジョアン・ラポルタが就任しました。そしてその傍らには、クライフの息子であり、世界中の移籍マーケットで顔が効くジョルディ・クライフ、どれだけ不可能に見えるオペレーションも実現させてしまう敏腕SDのマテウ・アレマニー、Audax Renovable社の副社長であるエドゥアルド・ロメウなど、錚々たる面々が揃いました。そして2021年11月には、ロナルド・クーマンに代わってチャビ・エルナンデスが監督に就任。
こうしてクラブを率いる面子は総入れ替えされ、今は彼らによって崩壊したクラブの建て直しが行われている訳です。
さて、そんなクラブの建て直しに関して、ラポルタをはじめとする理事会の面々、そして我らが監督のチャビは、どちらもこのように言います。
「バルセロナは常に勝利しなければならない。バルセロナをかつての姿に戻す。」
と。
彼らが語るこの言葉、私は当初「これはクレの心を掴むためのプロパガンダのようなものだろう」と思っていました。すなわち、言葉ではこう言いながらも、実際は地道に地盤を固めながら、それなりの時間をかけてクラブをかつての姿に戻していくのだろうと思っていたのです。
ところが実情は想像とは異なりました。2022年の夏、フロントは放映権の譲渡や子会社の株式の売却を行い、これによって7億ユーロに及ぶ資金を獲得。するとそのうち2億ユーロほどを補強に充て、スカッドの大幅な強化に取り組んだのです。しかもこれらの補強はフロントの独断で行われたものではなく、チャビのリクエストに対し、SDのマテウ・アレマニーを中心にフロントが全力で応えたものです。
これが何を示すのかは想像に難くありません。すなわち、フロントとチャビは、今すぐにでもバルセロナをかつての欧州屈指の強豪、世界中の誰もが憧れるクラブに戻したい訳です。そのためならば、資産売却だろうが半ば強引な移籍市場での振る舞いだろうが手段は問わない、とにかくバルセロナを強くしたい訳です。
そう、彼らは若手カンテラーノを起用することで時間をかけてクラブを強化する「ロマン」よりも、既に完成された選手による強いクラブを求める「現実主義」的な立場を今まで以上に強めようとしています。
2022年の夏のバルセロナの振る舞いに関しては、多方面からさまざまな声が飛んできます。純粋にこれからのバルセロナの飛躍を楽しみにする声、単にクラブのやり方を非難する声、クラブの将来を懸念する声、選手に対する不誠実なクラブの対応を非難する声…。
しかしそれによってフロントやチャビの方針が揺らぐことは無いというのは想像に容易いことです。ではこれまで以上にバルセロナのやり方に対する賛否両論の声が大きくなるほどの抜本的な改革を通して、今のバルセロナはどこへ向かおうとしているのでしょうか。
チャビがこだわるものは?バルサらしさとは?
さて、チャビという人物に対し、クレはどのようなイメージを抱くでしょうか。ラ・マシアが産んだ最高のインテリオール、バルサのサッカーの権化、ペップに続く哲学の後継者、など、そのイメージはいかにも「バルサらしい」というか、少し保守的なものだったはずです。しかし、実際のチャビのフットボールを見れば、チャビは保守的であるどころか「勝利のためなら使えるものは何でも使う現実主義者」であることが窺えます。21-22シーズンの試合終盤におけるルーク・デ・ヨングの起用は、その象徴と言える出来事でしょう。ボックス内のターゲットを目掛けてクロスを放り込むなどというやり方は、ペップ時代のバルセロナでは考えられなかったはずです。
アル・サッドの監督をやっていた時代、チャビはこのような言葉を残しています。
もちろんチャビ自身は、ボールを保持し、失ったら即時奪回するフットボールを好む監督です。しかし、何よりもこだわるのは、「スペースを用いて攻撃する」こと。それが達成可能なら、別にカウンターによる速攻も厭わない、縦に速いフットボールでも構わない。(このようなアイデアはエンリケ時代のプレーが影響を与えたものでしょうか。)
すなわちチャビが目指すのは、かつてティキ・タカで世界を驚かせた「古き良きバルサのフットボールの再興」ではなく、あくまで「トータルフットボールの要素を持つ、現代フットボールの中で勝てるフットボール」なのでしょう。今日、マンチェスター・シティやリヴァプールが目指そうとしている地点をチャビも目指していると言えるのかもしれません。
そうは言っても、チャビの就任にあたり「チャビなら『バルサらしさ』で勝てるチームを作ってくれる」「またカンテラーノが活躍する『あのバルサのサッカー』が帰ってくる」といったことを期待した人も多いでしょう。このような人たちからすると、今チャビがやろうとしているフットボールには少しがっかりするかもしれません。
しかし、私個人は
今チャビが進もうとしている道こそ、バルサが進むべき道である。
その方向への舵取りをチャビが行なっているということに大きな意味がある。
と考えています。どういうことか、一つずつ見ていきましょう。
先述の通り、バルセロナがかつて誇った独自性というのは、今では多くの強豪クラブが身につけているものです。すなわち、「かつてのバルサらしさ」をどれだけしっかり身につけ直しても、それは現代のフットボールではもはや優位性の無いものになっているだろうと言えます。では、このような状況でバルセロナが強豪相手に勝てるようになるにはどうすれば良いのかというと、それは先述の「『トータルフットボールのアイデアが組み込まれていて、かつそのアイデアが何かしらの形でアップデートされたフットボール』を身につける」に他なりません。
そしてこれこそ、今チャビが目指しているフットボールだと言えるのではないでしょうか。すなわちチャビは、クライフやペップのもたらしたアイデアは大事にしつつ、そこにこれまでのバルサには無かったような強度の高さ、必ずしも4-3-3にこだわるのではない柔軟な配置の方法、フィジカル的な優位性、そしてチャビ独自のアイデアなどをもたらすことによって、バルセロナのフットボールをアップデートしようとしているのではないでしょうか。少なくとも私は、最近のバルセロナのフットボールを見ているとそのように感じますし、以上が私が「今チャビが進もうとしている道こそ、バルサが進むべき道である。」と述べる理由です。
二つ目に関してですが、先程から述べてきたような「バルサの哲学のアップデート」を他の監督がやろうとしていたら、クレはどのように感じていたでしょうか。結果が出ていればまだしも、もし結果がついて来なければ、多くのクレから「哲学に対する冒涜だ」「バルサのフットボールを返せ」などと言われているはずです。チャビにですらそのような言葉が飛ぶのですからね。
これが二つ目の「その方向への舵取りをチャビが行なっているということに大きな意味がある。」という主張のポイントになります。
チャビの監督就任という出来事が意味するのは、単なる監督交代以上のものでした。先程も述べましたが、チャビというのは、クライフやペップに続く「バルサの哲学の継承者」と位置付けられ、現状「バルサらしさとは何か」を最もよく知る人物。いつかはバルサを率い、その時には再びバルサの哲学が再構築されることが予感されていたはずです。
そのチャビが監督に就任したという事実が示すのは、「これからバルセロナに第三の哲学の時代が来る」ということ。チャビだからこそ、「これからのバルセロナのフットボール、すなわち『新たなバルサらしさ』を再定義する」権利があると言えるのではないでしょうか。
さて、冒頭から私は「『ロマン』と『現実主義』のジレンマ」というワードを多用しており、「そこからどう抜け出すのか」ということを議論の主軸に置いています。
ここまであまりに多くのことを話していることから主軸が曖昧になりそうですので、冒頭に述べた論点を再度ここで確認しておくと、
なぜ理想(ロマン)ではかつての輝きを取り戻せないのか。
なぜ強豪になるには現実主義が必要であり、その現実主義とはどのようなものなのか。
バルセロナは今後どのようにしてジレンマを克服するのか、その先には何があるのか。
という3つ。これらの問いこそ、このnoteで論じている部分であり、答えを出しておきたい部分です。ここまでの議論を踏まえ、一度フットボールの面についてはこのような形で答えを出しておきましょう。
なぜ理想(ロマン)ではかつての輝きを取り戻せないのか。
⇨バルセロナのフットボールがかつて持っていた独自性は既に他の強豪クラブが持っており、それを取り戻しても優位性が無いから。
なぜ強豪になるには現実主義が必要であり、その現実主義とはどのようなものなのか。
⇨フットボールに関する現実主義とは「『トータルフットボールのアイデアが組み込まれていて、かつそのアイデアが何かしらの形でアップデートされたフットボール』を身につけること」であり、独自性と優位性を失ったことでこの現実主義が必要となっている。
バルセロナは今後どのようにしてジレンマを克服するのか、その先には何があるのか。
⇨チャビという「哲学の継承者」によって新たなバルサらしさが作られようとしている。新たなバルサらしさとは「スペースを用いた攻撃をする、何よりも勝利を目指すフットボール」である。このフットボールこそ、「かつてのバルサらしさ」という「ロマン」と「現代フットボールに適応できる」という「現実主義」の両方の要素を持つジンテーゼであるはず。
さて、フットボールに関しては曖昧ながらも一応答えを出したので、続いては経営面、資金面に関する議論に進みたいと思います。
バルセロナが選んだ「新たな経営の形」とは
先程からの議論を通して、私は強豪クラブの経営面や資金面に関してこのような主張をしています。
クラブの強さと収益を安定化させるために、クラブ運営に関するノウハウを有する優秀なフロントが組まれている。
シンプルに金がある。
(ただし優秀な経営陣と豊富な資金、この組み合わせこそが重要)
ではバルセロナがこのような「要素」を持つにはどうすればよいのでしょうか。
まず結論から言うと、「民主的なソシオ制が続く限り、クラブが安定することはあり得ないため、このような要素を持つのは非常に難しい。」と私は考えています。その理由は既に述べていますが
ソシオはクラブ経営のエキスパートではないから。
どのような人物が会長になるのかがわからないから。
の二つ。それぞれの項目については既に詳述しているためもう掘り下げはしませんが、とにかく現状のバルセロナの制度では、できることに限りがあるわけです。しかし、クラブを安定させるためには、そんなことは言ってられません。現状できることを精一杯やり、中長期的に安定した地盤を築かなければならないのです。
ではそのような現状の中で、フロントはどのような取り組みをしているのでしょうか。
まず現フロントは、莫大な額に膨れ上がった負債を返済し、コンペティションにおける競争力を今すぐ取り戻すため、放映権の譲渡、及び子会社の株式の売却という手段を取りました。先述の通り、この取り組みに関しては賛否両論の声が上がっていますが、個人的には「なされて然るべき投資であった」と考えています。それは、「一度弱くなったクラブは、時間が経てば経つほど下位に定着するため、今すぐにでも強くなる必要がある」から。
私は先程「地道に地盤を固めながら、それなりの時間をかけてクラブをかつての姿に戻していくのだろうと思っていた」と述べました。しかしその反面、「それだとかつてのミランの二の舞になったりはしないだろうか…?」という懸念も抱いていたのです。これはどういうことか。(ミランの歴史に関しては、先程引用したクラックフットボールさんの動画を観ていただけるとよくわかると思いますが、一応端的に述べておきます。)
2010年代の華々しいスーパースターの時代を終えたミランは、11-12シーズンの終わりあたりで財政状況が悪化していきます。そのため、主力であったベテラン選手たちを放出し、その資金でそこそこの選手の補強を繰り返しました。そうして何とかして力を保とうとはしましたが、結果的に起きたのは「黄金期の強さからのゆっくりとした衰退」でした。金が無いからとケチな行動に走った結果、時間をかけて黄金期の強さを取り戻すどころか、その後スクデットを取るのに10年もの時間がかかるほどの衰退をしてしまったのです。(衰退に関しては中華資本のオーナーの責任も大きいですが…。)
バルセロナのフロント、そしてチャビが最も恐れたのはこの現象でしょう。今あるもので戦い、じっくり経営を健全化する。そんなことをしているとどうなるでしょうか?
まずリーガのタイトルは「いつか取れれば良いもの」になるでしょう。そして当然、CLのタイトルなんて手が届くわけがありません。補強費用をケチり、CLに出れるレベルにないカンテラーノを無理に起用すれば、リーガを取れなくなるどころか、ELやECLに定着するようなことが起きる可能性が高いでしょう。そしてバルセロナはいつしか強豪ではなくなり、世界中のファンの熱が冷めてゆきます。その場合起きることは、長期的な収入の減収とブランド力の低下です。収入が低下し、金は無くなり、ますます経営は苦しくなる。その結果、建て直しのための費用を用意できなくなる。そしてブランド力が下がることで、有望な選手たちもバルセロナを選んでくれなくなります。
この負のスパイラルに陥ると、クラブが元の地位に戻るのに数十年もの時間を要することになるでしょう。そんなことは絶対に避けなければならない。
だからこそフロントは、資産の売却を行って収入を得ることで、バルセロナを今すぐにでもタイトルを取れるような競争力のあるクラブに戻そうとしたわけです。
しかしバルセロナが行ったのは、投資企業に資産を売却することで臨時収入を得ることだけではありません。では他に行ったことは一体何なのか?
バルセロナが放映権料の10%を25年間売ることとなったSixth Streetによる声明には、次のようなことが記載されています。
この声明を見ると、中々興味深いことが書かれているのがわかります。それは、声明の中の「我々が独立して運営を管理できるようにしながら、重要な知識と資源を提供してくれるパートナー…」や「バルサが組織を強化し、戦略的目標を達成し続けるために、我々の柔軟な資金とスポーツ分野における深い専門知識を提供し…」の部分。
つまりバルセロナは、放映権売却による資金だけではなく、経営面に関するノウハウも得るのです。直接的な運営は会長を中心とした理事会の面々で行われるものの、25年間という長い期間、すなわち現フロントが交代して以降の期間も、バルセロナは経営に関するノウハウを得るわけですね。
個人的には、この取り組みをするということ自体が、バルセロナのクラブ運営の歴史における大きな転換点になると考えています。
資金源となる企業が運営に関するノウハウを提供し、実際の経営はクラブ内部の人間が行うという構造は、オーナー制のクラブのそれとよく似ています。つまりバルセロナは、ソシオ制による会長選挙のシステムを維持しつつ、会長が変わった後も長期的視野を持つ投資会社からノウハウが提供される、オーナー制クラブのようなシステムも導入するということに成功したわけです。これまでソシオ、及びソシオによって選ばれた会長と理事会のメンバーによってのみで運営されていたことを考えると、この仕組みの導入が運営の歴史における大きな転換点になるというのも納得できるのではないでしょうか。そしてこの新しい仕組みは、ソシオ制という「ロマン」の部分も残しつつ、長期的な運営のノウハウの獲得という「現実主義」の部分も持つことができたという意味で、運営面におけるジレンマも克服していると言えます。
さて、以上の議論から、経営面に関し、主題である以下の問いにこのように答えることができるようになりました。
なぜ理想(ロマン)ではかつての輝きを取り戻せないのか。(ここの問いに関しては、「なぜ理想(ロマン)ではクラブの強さを安定的なものにできないのか。」に読み替えましょう。)
⇨バルセロナのソシオ制では、ソシオがクラブ運営のエキスパートではなく、どのような人物が会長になるかわからないため、クラブが安定しないから。
なぜ強豪になるには現実主義が必要であり、その現実主義とはどのようなものなのか。
⇨時間をかけて強豪に戻ろうとするようなことをすれば、逆にタイトルから遠ざかった位置に定着してしまう可能性が高いために、現実主義的な考え方や行動が必要である。この場合の現実主義とは、「強豪に戻るためには早急に力を取り戻すべきだ」という主張である。
バルセロナは今後どのようにしてジレンマを克服するのか、その先には何があるのか。
⇨バルセロナは資産売却による資金獲得によって、競争力を取り戻した。そしてそれに伴い、ソシオ制による会長選挙のシステムを維持しつつ、会長が変わった後も長期的視野を持つ投資会社からノウハウが提供されるような仕組みを構築した。この仕組みは、「ソシオ制」という「ロマン」と「長期的視野を持った、経営のエキスパートによる安定のためのノウハウが必要だ」という「現実主義」の両方の要素を持つジンテーゼであるはず。
課題、そして議論すべき問題はまだまだ山積み
フットボールの側面における今後の課題
さて、これで経営面に関しても答えを出すことができました。ここで一度ここまでの議論を整理しつつ、議論の甘い点や、まだまだ解決すべき課題があることについて述べ、このnoteを締めくくることとしましょう。
ここまでの長い議論において、私はバルセロナのフットボールと経営に関し、「どのような方向に進むべきで、実際どのような方向に進んでいるのか」について述べてきました。そして現在行われていることに対し、概ね好意的な評価を下してきました。しかし、私も現状を手放しで賞賛しようなどとは思っていません。課題はまだまだ山積みです。
まずはフットボールの側面について。
私は、「今のバルセロナには『トータルフットボールのアイデアが組み込まれていて、かつそのアイデアが何かしらの形でアップデートされたフットボール』が必要だ」と述べ、一応バルセロナのフットボールが進むべき道に対する答えを出しました。しかし、課題や議論すべき点はまだあります。
どのような形でアップデートするの?チャビらしさって何?
クライフやペップが起こしたような革命は起きないの?それがバルセロナの新たな独自性になるんじゃないの?
そもそもペップやクライフの時代のフットボールって本当に時代遅れなの?実際やればまた無双できるかもしれないじゃん。
私の見解を読み、このような疑問を感じた方はいるのではないでしょうか。これらに関して、少しコメントしておきましょう。
まず一つ目の「チャビらしさ、チャビ独自のアップデート」という部分ですが、これは現れてくるとすれば、それは今年の終わり頃になるのではないかと私は感じています。それは、「今のバルセロナは、チャビの欲しがったピースのほとんどが揃い、もはや言い訳のできない状態。これである程度の期間戦った結果と内容が、年末頃には見られる。」から。
とはいえ現時点でのチャビのフットボールは、昨シーズンからの「エストレモの単騎突破に頼った攻撃になりがち」「プランAが上手くいかなかった時のプランBが見えない」などの課題をそのまま引き継いでいるように見えるのも事実です。第一節のラージョ戦ではこれらの課題が特に顕著になり、第二節のソシエダ戦も、デンベレを下げてアルバを入れた後には、チャビバルサによくある「ラテラルが張りすぎてはめられる」問題が再び現れていました。もしかしたら大きな変化は見られないかもしれません。
これらのことから、既に「素質」的な部分でチャビを諦めている分析家たちも多いですが、私はもう少し様子を見ても良いのではないかと思っています。ピッチ上で常に敵と味方の位置を把握し、適切なポジショニングをとり、長短のパスを自在に操り攻撃の起点となる司令塔。このようなプレースタイルから「ピッチ上の監督」と呼ばれたチャビは、タッチラインの外であったとしても正しくフットボールを見れるのだろうと多くの人は予想していたはずです。しかし、何せ指導者としての経験はまだまだひよっこ。私は、人間の経験を通した成長というのは未知数だと思っています。
それに、現状バルセロナの監督としてチャビ以上の存在はいないでしょう。そういう現実的な意味でも、チャビを信じて待つしかないわけです。
二つ目のトピックに関して、私は「クライフやペップが起こしたような革命は、チャビの時代には起きない。少なくともチャビの時代には、あの頃ほどの独自性をバルセロナが持つことはない。」と思っています。
そう思う理由としては、先ほどの一つ目のトピックに関する議論に被る部分がありますが、「バルセロナを勝たせる素質は開花するかもしれないが、稀代の戦術家になるほどの素質は開花しないだろう」と予想するから。これは予想というよりは、これまでのチャビのフットボールを見てきた上で生じたただの勘と言ったほうが良い程度のものですけどね。もちろん良い意味で裏切ってくれれば良いなとは感じています。
そしてもう一つの理由は「チャビ自身、そのような革命を起こすことに興味がなさそう」だから。
チャビは次のようなことを語っています。
この発言から、チャビがあくまで「バルセロナを勝たせること」にしか興味がないことがわかるのではないでしょうか。とはいえ、その過程の中で必要であるならば、何かしらの「革命」が起きる可能性が無いとは言えませんけどね。
そして三つ目のトピックに関しても、チャビ自身が答えを出しています。
チャビがこう言っている以上、改めて我々が議論する必要はないでしょう。私は、「『スペースを用いた攻撃』というのがバルサらしさの本質であって、かつてのティキ・タカなど『表面的なバルサらしさ』はその中の一部でしかなかった。そもそもペップの頃から得点シーンの約4割はカウンターから生まれていたわけだし、フットボールの表面的な見た目が変わっていたとしても、本質的に大切なことは何も変わっていない。」というのがチャビの主張なのではないかと考えています。世界で最もバルセロナのフットボールを知るチャビがこう言うのですから、私たちはその行先を信じるしかないでしょう。
経済面・資金面に関する今後の課題
そして経済面、資金面に関して。これらのジレンマに関しては、「投資企業への資産売却によって資金を手にし、さらに経営ノウハウを25年間という長期間得ることによって、ソシオ制の維持とオーナー制のような仕組みの導入の両方を成し遂げたことで克服した」という答えを一応出しました。しかし、こちらに関しても課題や議論すべき点がまだ残っています。
資産売却で一時的に金は入ってきたけど、その後は?
Sixth Streetの経営ノウハウは本当に信用に足るものなの?
そもそも資産の売却をしちゃって大丈夫だったの?
この辺りが浮かび上がる疑問になるでしょうか。これらに関するコメントをまとめて言ってしまうと、「今の段階ではどれに対しても明確な答えは言えない」になるでしょう。
現フロントの政策によって負債の額はかなり下がり、一般的なビッグクラブのそれと同程度になりました。そして、今シーズンの頭には莫大な額の資金を手にしました。しかし、これから先もそれほどの資金を用意できるわけではありません。競争力を維持し続けるための資金を安定的に用意する目処は立っていないわけです。
この課題に関しては、以下のような方法で解決するしかないでしょう。
一度チームを建て直したのだからここからは基本的に健全経営をし、選手の放出オペレーションで儲けていく。
ファンによる収入を増やしていく。
それでも資金的な面での競争力では他の強豪には劣るので、ラ・マシアを強化するしかない。
まず一つ目。今シーズンにこれほどまでの大型補強をしたのですから、バルセロナの移籍市場での振る舞いは、しばらくは大人しいものになるでしょう。というより、そうでもしないとお金がありませんからね。バルセロナは、毎シーズン数億ユーロもの資金を用意できるクラブではありません。
一方で放出(売却)に関しても上手にならないとまずいでしょう。近年のバルセロナは、高額で選手を買っても、放出する時にはフリーで出してしまったり、ほとんど値が付かなかったりと、売買があまりにも下手でした。ネイマール放出の資金の無駄遣いは、その象徴とも言える出来事です。(マドリーはこの辺りが非常に上手いんですけどね…。)この点に関しては、アレマニーを中心とした現フロントを信じるしかありません。何なら、アレマニーにどれだけ長くいてもらえるかが鍵になると言っても過言ではないでしょう。
二つ目に関してですが、これはクラブ自体の強さ、BLM(Barça Licensing & Merchandising)のこれからのプロジェクト、そしてエスパイ・バルサの成功にかかっていると言えると私は考えます。
先述の通り、クラブの強さは収入に直結します。そういう意味でも、投資によってクラブを強くすることが極めて重要であるということは先ほども述べました。
そしてBLMについてですが、こちらについてはロメウが次のような発言をしています。
バルセロナほど金になるフットボールクラブは世界でもそうそうありません。にも関わらず、これまでバルセロナのマーケティングの下手さと言ったら目も当てられないほどでした。グッズのデザイン、販路の確保…などなど、改善すべき点が山のようにあるのです。
このような点を改善すること、そしてより収益を上げられるプロジェクトを提供できる企業に株式を売却することで、売却資金による短期的な収入、及びグッズなどによる収益上昇によって長期的な収入が見込めるはずだというのが現フロントの考えなわけですね。これは是非ともしっかりと進めていただきたいものです。
そして最後に「エスパイ・バルサ」について。
エスパイ・バルサとは、新スタジアム「ノウ・カンプ・ノウ」を中心とした、スタジアム周辺の大胆な開発計画。年間2億ユーロの収入が見込める事業として、総額にして15億ユーロが全てゴールドマン・サックス社によるローンよって支払われる、極めて大きなプロジェクトです。
クラブ市場最高額の融資になると言われているこのプロジェクト。15億ユーロを金利1.89%で借り、これを35年かけて返すことになっているということを考えると、絶対に失敗は許されません。
そうは言っても、エスパイ・バルサは2014年に当時のサンドロ・ロセイ会長が発案したアイデアが元になっているプロジェクトであり、現時点では、プロジェクトの進行状況は極めて遅れていると言わざるを得ません。バルトメウ会長の時代に成し遂げたのは、Barça Athleticの専用スタジアムである「Estadi Johan Cruyff」の建設のみ。新スタジアムの建設期間中はカンプ・ノウが使えないため来場客数も減少し、クラブの収益も減少します。放映権の支払いがある時期での収入減少が痛手になることは間違いありませんが、クラブの強さやBLMのプロジェクトなどによって、何とか収入をカバーしてほしいものです。
そして三つ目に述べた「ラ・マシアの強化」ですが、これも今後は絶対に力を入れなければならないポイントです。
先述の通り、資金的には間違いなく不利な立場にあると言えるバルセロナ。それでも勝つためには、自分達でワールドクラスの選手を育てるしかないのです。だからこそ、ラ・マシアでワールドクラスの選手が育つようにしなければなりませんが、そのプロセスは以下のようなものになるでしょう。
確実にタレントを見抜けるスカウトの採用。
チャビの長期政権を想定し、チャビのフットボールを育成年代に定着させる。
トップチームのレベルにない選手の売却やローン移籍を上手に進める。
まず一つ目ですが、これが最も重要になると言っても過言ではないと私は思っています。二つ目に述べているチャビのフットボールを叩き込むことや、新たな育成メソッドの確立も非常に重要ではありますが、求められる境地に辿り着きやすい逸材を発掘することができれば、その分育成は楽になります。そして当たり前ですが、競争率が高くなることで、アンス・ファティやガビのような規格外のタレントが誕生する確立も高くなるわけです。
とりわけ、Barça Athleticの選手として格安で有望株を獲得することができれば、それがベストだと言えるでしょう。ある程度の年齢になっている分将来性も見出しやすく、上手く行けばトップチームで活躍できる安価な即戦力になります。ペドリやアラウホの台頭はその象徴とも言える出来事ですね。この2人を見出したラモン・プラネスはもうバルセロナにはいませんが、これからもこのような流れは続いてほしいなと感じます。
そして、二つ目。ラ・マシアの育成内容そのものもラ・マシアの長所ではありましたが、もう一つの長所は「下部組織からトップチームまで一貫したフットボールをしている、これによってトップチームに馴染みやすくなる」ことであったと言えます。よほど成績が低迷しない限り、チャビは長期政権を築くはずです。その間にラ・マシアから上がってくる逸材を増やすためにも、育成内容の充実は欠かせないはず。チャビが多忙なことは百も承知ですが、是非ラ・マシアの方にも目を向けていただきたいものです。
そして三つ目。ラ・マシアというのは、もちろんトップチームで活躍できる逸材を育てる組織です。しかし当然ですが、全ての選手がトップチームで活躍できる訳ではありませんし、むしろBarça Athleticからストレートでトップチームに上がってこれる選手の方が稀だと言えます。
ここから漏れる「マジョリティ」の選手たちにどうしてもらうのか。完全移籍させるのか、それともローン移籍してもらうのか、クラブは慎重に見極めなければなりません。場合によっては、その移籍金によってクラブに利益をもたらすこともできるはずです。しかし利益に目が眩み、逸材を変な売り方をしてしまうということも避けなければなりません。
これまでにバルセロナは、チアゴやククレジャといった、今では世界中のビッグクラブが欲しがる逸材を手放しています。勿論タイミングの問題などもあり、このような出来事が起きてしまうことは仕方ありません。しかしそれでも、自分達のクラブで育った逸材を手放してしまい、気付けばとんでもない値段が付いてしまったことでもう手に入らなくなるというのは、余りに惜しいと言えます。
下部組織の選手たちに『どのような形でクラブに利益をもたらしてもらうのか』を慎重に見極められる力は、これまで以上に求められています。
さて、話が長くなりすぎたので一度整理しておくと、ここまでは「資産売却で一時的に金は入ってきたけど、その後は?」という問いに対して、
一度チームを建て直したのだからここからは基本的に健全経営をし、選手の放出オペレーションで儲けていく。
ファンによる収入を増やしていく。
それでも資金的な面での競争力では他の強豪には劣るので、ラ・マシアを強化するしかない。
という三つの視点で解決すべき課題を語ってきました。
ここからは二つ目の問い「Sixth Streetの経営ノウハウは本当に信用に足るものなの?」と三つ目の問い「そもそも資産の売却をしちゃって大丈夫だったの?」についてコメントを…と言いたいところですが、これらに感するコメントは「これから何が起きるのか見てみないことにはわからない」に尽きるでしょう。
私は「バルセロナがジレンマの解消のために新たな一歩を踏み出したこと」に価値があると思っています。ここから先は本当に何が起きるのかわかりません。もしかしたらSixth Streetの経営戦略が悉く失敗するかもしれません。収入が減少し、放映権の譲渡が痛手になるかもしれません。
しかしそのようなリスクをわかった上で、フロントはこのような行動に出たはず。時間をかけずにバルセロナを再び強くするために、他の手段があったか?と言われると中々難しいでしょう。「時間をかけてゆっくり力を失うくらいなら、一世一代の大博打に出よう。」これがフロントの出した答えであるなら、私たちは一度静かに見守ることを選んでも良いのではないでしょうか。
最後に
強さのためにはジレンマからの脱却は必要。だけど、もがく姿もバルセロナの魅力!
既に22,000文字とあまりにも長くなってしまったため、そろそろこのnoteも締めに入ろうかと思います。
私はこれまで、「バルセロナが強くあるためには?」ということを主題にしてきました。そしてスポーツ面と経営面・資金面から、なるべく合理的な解決方法、及び考察を提示してきたつもりです。
しかし、その過程で一つ完全に無視していたことがあります。
強ければどんなやり方でもいいの?合理的なら何でもいいの?
そう、このような疑問を完全に無視していたのです。
私はバルセロナの魅力の一つとして「なんとも言えない不器用さがあるところ」を挙げられると思っています。語り出すとまた長くなるのでこのあたりのストーリーは一旦置いておきますが、バルセロナって本当になんとも不器用なクラブなんです。
(↓の書籍を是非読んでみてください。バルセロナのなんとも言えない愛らしくなる要素が伝わると思います。)
もしバルセロナからそのような不器用さが完全に無くなってしまい、バルセロナが本当に強くなるためだけの合理的な道に進んでいくとなるとどうでしょうか。勿論それはそれで嬉しいのですが、どこか寂しく感じそうなのも事実なのです。この感覚、クレの方ならちょっとわかってもらえるんじゃないでしょうか。
歴史的に見ても、バルセロナは絶対王者ではありません。強くなったり、弱くなったり、そんなことを繰り返しながら、不器用にでかくなってきたクラブなんです。
そんな不器用さの中でもがきながらも、一生懸命強くあろうとするバルセロナ。なんとかジレンマの中でも強くありたいバルセロナ。こんな姿こそ、バルセロナの魅力の一つなのかもしれません。
今のバルセロナが歩んでいる道のりを応援し、真剣に行く末を考える。その一方で、全てが上手くいくわけではないこのほろ苦い感じも楽しんでしまう。この「親」と「子」のような関係を楽しむことこそ、クレである魅力の一つなのかもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!