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私にとっての熊野〜神々と精霊たちの愛がふりそそぐ地

もともと熊野は好きで、頻繁にたずねていたんだけど、

今年のGWに1週間、陶芸の窯焼きの手伝いをするために、友人に誘われて、熊野の山里に滞在した。

そのときは、失恋の痛みから抜け出せずにいて、GWもやることもないので、とくに窯焼きには興味もなかったけど、参加することにしたんだけど。

そこで、不思議な体験をした。

とくに何があったわけでもないのに、

どんどん平和で、幸せな気持ちになってくる。

ただ、幸せで、涙がこみ上げてくる。

「ああ、私は愛されているんだ」

と、なぜか、そういう確信と安心感が溢れてきた。

そんなときに私を見守ってくれていたのはこの熊野のやさしく深い大自然。

取り囲む山々のやさしさ、

あまりにも美しい夜の星たち、

まるで私たちをつつみこむような朝もや。

空と雲が私たちの間近にあるように感じて、

雨さえもその美しさを彩ってキラキラしている。

何を見ても、その美しさ、やさしさ、大きさに心を打たれて。

ものすごい感動が心をやさしく満たしていくのを感じて、

いてもたってもいられなくなって。

「もっと、ダイナミックに生きなさい。あなたは一人ではない。」

と繰り返し、声が聞こえてきた。

そして、それがきっかけで、帰ってから2週間後、熊野に住み始めた。


ご存知のように熊野は古くからの巡礼の地。

私は熊野の歴史や宗教については、まったく詳しくないが、たった一つ気に入って覚えていることは、

多くの巡礼地が修行中の男性のみを受け入れる中、
古くから、老若男女、罪のあるなし、浄・不浄(たとえば身分の低い人たち、病を持った人、生理中の女性など不浄とされた)を問わず、すべての人を受け入れてきた懐の深い聖地だということ。

そういうおおきな包容力は、きっとこの土地の緑と青の深い大自然のもっている性質なのだと思う。

ここでは、鳥たちはもちろん、木々や苔や、草のいきづかいが聞こえていくるよう。

大自然の中に確かに、神々や精霊が棲んでいるって、感じることができる。


やらなくてはいけないことで頭がいっぱいになったり、

人と自分を比べて落ち込んだりするときには、

川や海、滝が、不安な気持ちはざーっと洗い流してもらえる。


いつも、熊野の海も山も私に

「おかえり」

と大歓迎をしてくれる。

ここは帰る場所であり、返る場所。

蘇りの地としても、知られている。


まるで、母なる大地の子宮の中のように。

栄養も空気も、愛も必要なのはすべてある。

何もしなくていい。ただ、そこにあるものを受け取る。

何もしなくていい。ただ、そのままの自分でいる。

絶対的な安心の空間。


そして、父なる天がすぐ近くで、見守ってくれている。

雲が近い。

空が近い。

宇宙が近い。

この宇宙に生きていて、自分が宇宙そのものだと気付かされる。


そうやって、天と地の間にくつろいでいると、

何かに悩んでいても、何を悩んでいたのかわからなくなって

悩んでた自分を、くすっと笑いたくなる。

そして、そのたびに

体の中からあたたかいエネルギーに満たされる。

「愛されてるんだあ。」

って、胸が熱くなるほどの喜びが湧いてきて。

何もする必要がない、

誰かに認められる必要もない。

ただ、生きていることが嬉しい。

そんな不思議な気持ち。

ここにいると、確かに、一度死んでしまって、そして生まれ変わったよう。

まるで見える世界、感じる世界が変わってしまった。

私にとって、そんな特別な場所。


どの都市からも遠い上に、あまり交通の便利も良くないので、秘境的な側面もあって、神々や精霊たちも、守られているのかも知れない。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


この熊野の神々と精霊の愛の恩恵を多くの人と分かち合いたい。

そんな思いで熊野でリトリートを実施しています。

7月のリトリートについてはこちらをご覧ください。















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