腐女子の変遷
世の中、L○BTだのなんだの推進されてますが、昔から日本はかなり寛容だったと思います。今でいう、腐女子の間では…(少し意味がズレてるとは思いますが、ご容赦ください)。
80年代に自身の性癖をカミングアウトしていたイアン・マッケランは、日本の10代女子が同性愛の漫画や小説を創作している事について『ファンタスティック!!』と驚いていたらしいです。異次元な印象だったのでしょうか…。
私が10代の頃、男性同士の絡み同人誌の隠語は、やおい本と呼ばれてました。姉が没頭しており、最初は不思議でしょうがなく、何故アニメキャラの男同士のカップル話で盛り上がるのか、理解出来ませんでした。それでも姉は同級生とイベントへ行き、本を買ったり出したり、たまに色紙にイラストを描いては、漫画家気分にも浸れたのでしょう。凄く楽しそうでした。
地方ではコミケには中々行けないですが、それでも5000〜10000スペースのイベントが近隣エリアであれば、電車やバスを乗り継いで行ってました。私自身はやおい本に興味が湧かず、当時はマイナージャンルだったゲームが好きで、必死でゲーム系同人誌を探してました。姉は某アニメのやおい本を買うために長蛇の列に並び、この日の為にバイトして稼いだお金でやおい本を買い漁ってました。ごく少数ですが、同人作家からプロの漫画家やイラストレーターになる人もおり、セミプロとその熱烈なファンの交流は、見ているだけでも楽しさが伝わってきます。
姉の支持する同人作家のスペースの端っこに、たまに突発的なゲーム本が置いてある事もあり。私の為に姉がその本を購入してプレゼントしてくれると、とても嬉しかったのです。絵のレベルも高く、色鮮やかなカラー本やグッズは、宝物のように輝いて見えました。色紙に、自分の好きなキャラを描いてもらえる事もあります。プロ並みの直筆のカラーイラストを間近で眺めたら、ぼーっとなってしまいます。
姉は、私と二人で何でもアリの、ペーパーを出さないかと提案してくれました。誰が読むのか?それは考えず…ただ二人でダラダラとイラストやフリートークを書き込む。ペーパーの題名も、ダジャレのような名で『ねこブス新聞』。主に家族が読んでくれました。
郵便でイラストを提出し、それらをまとめてコピー本にして出してくれるサークルというのもありました。好きなジャンルのイラストを皆で見せあうのです。ただやはり…10代の女子が管理するのはなかなか難しいらしく、いつの間にか自然消滅する同人サークルがほとんどでした。しかし個人情報も何も…お互いの住所氏名がダダ漏れな時代でした。よく皆してたものだと思います。
17〜18歳ぐらいになると、受験や就職、趣味の志向の違い等が如実に現れてきます。お互いが好きだったジャンルの話が通じなくなる…と、解散の流れです。結構皆、あちこちのジャンルに移ろいやすい感じでした。そんな中、ずっと同じジャンルを貫いてファン本を出している方は、とても真摯にみえました。絵もストーリーも、深く掘り下げて凝って描けるその道のプロのたたずまいです。私自身はそのタイプの同人作家の方の本をよく購入してました。姉はひたすらミーハー街道まっしぐらです。で、18歳ぐらいでやおい本関連に興味を無くしたようで、画材や同人誌等を処分しました。
姉は、今は全く絵を描いてません。でも何故か、私の姉はハードボーイズラブの漫画家になっていると噂されてました。地元の同級生から聞かされたのです。謎。