リチャードチェイス 「鍵が開いているのは、やってもいいの合図だ」 サクラメントの吸血鬼
おはこんばんにちは、Tomo8erです。
今回は少し長めの記事にしようと思っています。
記事の説明
今回は、リチャードチェイス(シリアルキラー)についてのお話をします。
過激な文章、資料、画像などが含まれます。苦手な方はブラウザバックしてください。
いや、これシリアルキラーの中でも(やばさ・過激さ)1位レベルなんですよ
ってことで長くなると思いますがよろしくおねがいします!
Tomo8erの他の記事もこのような解説やプログラミングの解説をしているので、
リチャード・チェイスとは?
リチャード・チェイスとは、本名リチャード・トレントン・チェイスで、(Richard Trenton Chase)はアメリカ合衆国で6人を殺害したシリアルキラー。その残虐な犯行、被害者を殺害し血を飲んだことから、「サクラメントの吸血鬼」という異名を持つ。
ただ、この犯行での1番の異常性は、その犯行動機、「被害者の血を飲む」そして、「生きるために、血液を補充するために」殺害するということである。
幼少期
生まれ
リチャードチェイスは、1950年5月23日、カリフォルニア州サクラメントで生まれた。
父親は厳格な性格で、今でいう虐待(時代の差も大きい)をしていた。
チェイスが4歳の時には妹ができていた。
また、夫婦の仲も悪かった。
子供時代
子供時代のチェイスは、火遊びや動物いじめ、虐待をすることが好きだった。
さらに、酒や麻薬などでどんどん落ちぶれているように見えるが…
学校では、賢く、優しい子供だと思われており、先生からも評価が高かった。
写真
高校はミラロマ高校に入学している。
初めての逮捕
高校に進学してすぐに、マリファナ所持で逮捕された。
最終的に、寛大な処置の、清掃をすることに決まった。
それまで成績がよかったのに対し、どんどん成績が下がり始め、また、両親の不仲は深刻なものになっていた
学校生活
学校での人気は変わらなかった。
このとき、彼女ができていたのだが、これが犯行のきっかけになっているかもしれない。
性交渉をしようとした時に、勃起を維持できず、性行為ができなかった。それが続き、わかれてしまった。
その後,精神科にいき、理由は不安は抑圧された怒りが原因だとつげた。
このころ、血液が必要だということも知る。
精神はさらに壊れていった。
高校を卒業し、アメリカンリバー大学に進学した。
家を出る
といっても、独り立ちだ。
友人の家にはすぐに追い出されるので、友人のところを転々としていた。
大学も退学になり、これからも精神状態は変わらなかった。
精神病
よく、病院を訪れていたのだが、その理由は「心臓が止まる」「肺が盗まれた」など到底考えられないものであった。
ビタミンCが吸収されると信じてオレンジを頭にのせていたり。
精神科医は妄想型統合失調症と考えるのだが、薬物を乱用していることを知ると中毒性精神病だという結論を出した。
その病院で、72時間観察下に置かれる。
その後、釈放されたものの麻薬所持でまた逮捕される。
引越し
「母親に毒を盛られる」と訴え、父親は引っ越しをさせた。
チェイスは自分の血液が粉状になる病気であると信じており、一人になると、うさぎをころし、内臓を生で食べたりするようになる。
血をコーラで割って飲んでいた、のような話もある。
入院
ウサギの血を静脈に注射し、敗血症で病院に運ばれ、精神病院に入院させられた。
1976年、脱走し、母親の元に行くとすぐに捕えられた。
もう一度精神病の患者が入る施設(ビバリーマナー)に行ったのだが、スタッフにはウサギを殺す話をしていたという。
スタッフは信じていなかった。ただ、口の周りや衣服が血まみれの姿で発見され、鳥が血を抜かれてしんでいる姿を発見され、本当では無いかと信じるようになっていった。
スタッフからはドラキュラと言われるようになった。
治療を受けた後、チェイスに危険性はないという風に判断がされ、釈放された。条件は、両親がチェイスの生活を助けること、であった。
自由への帰還
精神病院から釈放されたチェイスは、しばらくの間母親のもとに戻りました。しかし、母親は彼が服用していた抗精神病薬を勝手にやめさせてしまいます。チェイスの状態はますます悪化し、誰もがその異常性を止めることができなくなりました。
両親がサポートを続けていましたが、結局チェイスは一人暮らしを再開し、次第に人目を避けるようになりました。チェイスの狂気は進行し続け、彼の妄想は日々エスカレートしていきました。
殺人
最初の殺人
1977年12月29日、チェイスはついに殺人へと手を染めました。彼はドライブ中に、51歳のエンジニアであるアンブローズ・グリフィンを無差別に射殺します。これはチェイスにとって、初めての殺人であり、彼の残虐な行為の始まりにすぎませんでした。
この事件は、当初警察により無差別の発砲事件として処理されましたが、後にチェイスの犯行であったことが判明します。チェイスは、この事件によって殺人に対する躊躇を失い、徐々にその欲望がエスカレートしていきました。
第二の犯行:妊婦の殺害
1978年1月23日、チェイスは22歳の妊婦、テレサ・ウォレンを自宅で襲撃しました。彼は彼女を射殺し、血を飲むなど残虐な行為を行いました。チェイスはまた、彼女の臓器を摘出し、自宅に持ち帰るなど、さらに狂気を増していったのです。この犯行では、チェイスの目的が単なる殺害ではなく、血を飲むこと、そして臓器を手に入れることであることが明らかになりました。
彼の行為は非常に計画的で、犯罪現場を荒らすことなく、短時間で目的を達成していました。この事件により、警察は連続殺人事件の可能性を考え始め、地域住民に警戒を呼びかけるようになりました。
サクラメントの吸血鬼
チェイスは、自分が「血液がなくなる」という妄想に取り憑かれ続けており、さらなる殺人を犯す動機を持っていました。彼の次の標的は、36歳の主婦であったイヴリン・ミロスでした。1978年1月27日、チェイスは彼女の家に侵入し、イヴリン、彼女の6歳の息子、友人のダン・メレリン、さらには22ヶ月の赤ん坊までも無慈悲に殺害しました。
チェイスはその後、イヴリンの遺体を冒涜し、臓器を摘出し、自らの病んだ儀式を行った後、彼女の血を飲んだとされています。また、現場からイヴリンの赤ん坊の遺体を持ち去り、その後も猟奇的な行動を続けました。
捕縛
この凶悪犯罪は地域社会を震撼させ、警察は迅速に捜査を進めました。目撃証言や現場からの証拠が集められ、ついに1978年1月28日、チェイスは逮捕されます。彼のアパートを捜索したところ、血まみれの衣服や殺害に使用された銃器、そして一部の犠牲者の臓器が冷凍保存されていたことが判明しました。
また、チェイスの家には血液で汚れたミキサーも見つかり、彼が人間の臓器をミキサーにかけて「血のスムージー」を作っていたことが明らかになります。彼の異常行動はその後の裁判でも詳細に語られ、「サクラメントの吸血鬼」として全国にその名が知れ渡ることとなりました。
裁判と死刑
チェイスの裁判は1979年に始まり、その内容は非常に注目を集めました。チェイスは精神疾患による責任能力の欠如を主張しましたが、裁判所は彼を有罪と認め、死刑判決が下されました。彼の残虐性と無差別殺人の動機は、法廷でも大きな議論の的となりましたが、最終的に彼が自らの行為に責任を持つべきであると判断されました。
チェイスの最期
死刑が執行される前の1980年12月26日、チェイスはサン・クエンティン州立刑務所で自殺しました。彼は独房で隠し持っていた抗精神病薬の過剰摂取により命を絶ったのです。彼の死はあまりにも突然で、法の裁きを受ける前にこの世を去ったことに多くの人々が衝撃を受けました。
以上がリチャード・チェイスの概要と彼の犯行の一部始終です。彼のような存在は、社会においていかに早期の介入が重要であるかを示す一例でもあります。彼の人生は、精神疾患の放置とそれに伴う暴力の連鎖が、いかに悲惨な結果をもたらすかを教えてくれます。
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