ベランダでコーヒーを啜る
この文章は ツムラ#One More Choice プロジェクト 投稿コンテスト「#我慢に代わる私の選択肢」に応募する作品です。
「ご飯の後に甘いもの食べないでよ」
夫の言うことはもっともだった。
まだ食事中の子供たちの目の前でお菓子を食べたら「ママずるい。私も食べたい」と言われるに決まっている。そして与えたら食事は残されることもわかりきっている。
それでも私は朝食の後に甘い物を食べたかった。
毎朝食後にコーヒーを淹れて飲むのだが、その時にチョコレートをひとかけ食べたかった。
朝食の片付けをしつつ片手間にコーヒーを淹れていそいそとチョコレートを出そうとしていた私に投げかけられた言葉は決して甘くない。
「そうだねー」と何にも気にしていないような声色で返事をして戸棚をそっと閉めた。
子供が産まれて以降、毎日小さな我慢を強いられる。
買い物に行こうとしたタイミングでぐずり出したり、夕飯は生姜焼きの気分だったのにシチューじゃなきゃ食べないと言われたり、自分の好きな音楽をかけていたら違うのにしてと言われたり。今回だってそう。
どれも些細なことなのだ。子供を叱るようなことでもないし、私が反発しなければいけないことではない。
はいはいと受け流せばいい。それくらい小さなこと。
ただ、小さなことでも、ちりも積もればなんとやらでストレスになる。
たかが食後のチョコとコーヒーのことで我慢なんかしたくない。
我慢に代わる私の選択肢を考える。
「やり方をかえて、ゴールはかえない」ことでささやかな目標や予定を叶えよう。
たとえば買い物のこと。行こうとしたタイミングでぐずられると気分が悪いけど、私が達成したかったことは「買い物をする」だから何も今自分が行かなくてもいいはず。ネットスーパーを頼んだり、後の予定と入れ替えてもいい。
夕飯のメニューだって、生姜焼きとシチューの両方を作れば良いし大変ならどちらかをレトルトやコンビニに頼ってもいい。私の「生姜焼きの気分」は叶う。
好きな音楽をかけたかったのは、「今ききたい」からで「部屋に大音量で流したい」わけじゃない。自分はイヤホンで聴いて、部屋のスピーカーからは子供の望む音楽をかけてやればいい。そのために自分のイヤホンは性能のいいやつにしたって構わない。
ゴールさえ変えなければ、我慢した気にはならない。
私は、食後に甘い物を食べたかった。それは我慢しなくたっていい。
いつも通りコーヒーを淹れてタンブラーにうつす。誰も見ていない隙に戸棚からチョコを取り出しポケットに忍ばせた。
「洗濯物干してくるね」と一言残して私はタンブラーと洗濯物が入ったカゴを持ってベランダへと出る。
室内からは見えないようにカーテンは閉めておいた。
いつもより急いで洗濯物を干して、室外機の上に置いていたタンブラーの蓋を開けると白く湯気が立ち上る。顔を近づけるとすっかり冷えた鼻先がじわっと滲んだ。
冬。朝七時半にベランダで飲むコーヒーは格別に美味しかった。
ポケットに入れておいたチョコレートを口に放り込むとほろ苦い甘さがじんわりと私の心をほぐしてくれる。そのあとにまたコーヒーを一口。あぁ、この味わいを感じたかった。起きてすぐから頭と体をフル稼働させて洗濯と弁当作りに朝食の用意、子供たちを起こして朝の世話をし慌ただしく朝食をかき込んでようやく一息。どうしてもこのタイミングでコーヒーとチョコが食べたかった。
私はこの幸せを我慢なんかしなくてもいい。
風に揺れる洗濯物に囲まれて、狭いベランダでのコーヒータイムは決して優雅なものではないけれど、確実に私が望んで掴んだ幸せだった。
これで今日も頑張れる。私の朝が、始まる。
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