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香港で「外国人じゃない」体験をしている

香港で生活を始めて「地元になじんでるじゃん、わたしっ!」なんて感じている。みんなが私を「香港の人」と思っているからだ。

今まで住んできた国では、自分がそこで「外国人」と認識されていることをヒシヒシと感じてばかりだった。

アメリカの片田舎に大学留学した10代、「このアジア人は英語が話せないんだろうな」と思われたのか(実際、そうだったのだが…)、白人の中でたったひとりアジア人の私は目立っていた。みんなすぐに名前をおぼえてくれ、宿題に助けの手を差し伸べてくれ、授業の後いつもいつも質問しに来るこの哀れなアジア人学生のことを教授は気づかってくれた。

社会人になって仕事でアメリカに住んでいる時も、人種のるつぼとはいえ、私は「日系アメリカ人」ではなく、「日本人」として認識されていたように思う。

例えば、アメリカ人が集まるホームパーティに行けば、だいたい名前をすぐにおぼえてもらった。「ジャパニーズのともこさん」は覚えやすい存在なのだ。

一方で、私はいっきに大勢のアメリカ人の名前を覚えるのが苦手だった。数日後に「ハァイ、トモコ!」と町で声を掛けられると、そうとうあせる。あっちは覚えていてくれたのに、私は「どっかで会った気がするけど、名前なんだっけ?」状態だからだ。

タンザニアでも、アフリカ人の中で私はあきらかに目立っていた。「アジア人=中国人」と思っている彼らは、道ですれ違う私に「ニーハオ!」「チンチョンチャン#@&!(中国語をバカにした感じで)」などと声をかけてきた。

だから、こっそり言うが、私がスワヒリ語で最初に習った表現は「私は中国人ではない。日本人だ!」だった(香港でこの事実は口がさけてもいえない)。

こうやって10年以上にわたり、外国で見たからに「外国人」とわかる日本人として暮らしてきた私にとって、初めての「アジア圏での海外生活」は非常に心地よい。なぜなら、みんなが私のことを香港人と思ってくれるから。とにかく目立たないのが、こんなに落ち着くとは久しぶりの解放感だ。

町を歩いていれば、いつも広東語(香港で話されている言葉)でしゃべりかけられる。スーパーでもレストランでも、電車の中でも。

私の住むアパートにはアメリカ人家族が多く住んでいるため、時々、ホームパーティも開催される。人の名前を覚えるのが苦手な私でも、何度かパーティで会えば、さすがにだいたいのアメリカ人の名前はおぼえる。

ある日、近所を歩いていると、あちらからトレイシーが歩いてくる。上の階に住む女性でパーティで何度か会っている。「ハァイ、トレイシー!」と元気にあいさつしたところ、彼女は、びっくりした表情で私を見て、「…… あ、ハ~イ!」と気まずそうに返事をしてくれた。

私にはわかるよ。彼女が私を覚えていなかったのを。道を歩くどこかの香港の人と思ったのだろうね。明らかに、「誰だっけ?」という表情だ。「うん、いいんだ。よくわかるよ。私も同じこと何度も経験してきたから」

ある日、別のアメリカ人の友達の体験を聞いて、思わず「うしし」と心の底でほくそえんだ。

「香港人の友達とローカル市場に買い物に行ったら、彼女に伝えた2倍の値段を私に提示してきたわ。明らかに外国人とわかる私には、外国人値段をふっかけてきて、頭きちゃう!」

彼女の話を聞きながら、「きっとそれは私には起きないだろう」と確信した。

香港に来て、アメリカ人のご近所さんにすぐに名前や顔を覚えてもらえず、香港の人たちからは広東語で話しかけられながら「海外にいるのに、地元の人と思われる」体験をこっそりと楽しんでいる。

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