4分20秒
突然奪われた日々に、少しだけの辛抱だと思って我慢した去年の4月と5月。
1日1日がとても長く辛い日々だった。
耐えるだけ耐えた。大好きなバンドの曲を聴いた。
ライブに行くことが呼吸のような存在なわたしたちは、息苦しく耐え難い日々を送った。
ついに6月、2ヶ月ぶりにライブハウスに戻った。ついに念願の、やっといつもの日々が取り戻せる!と浮き足立っていたわたしが、今では世間知らずのように見える。
もう遅かった。
椅子がずらっと並べられて、床には距離が取ってあるテープ。
人と人とが手が取り合えないスペース。
限られたところですごさなくてはいけない。
そしてなにより、「声を出してはいけない」という難しい条件の中どんどん進められていくエンターテイメントの世界。
当たり前にしてほしくないのに、残酷にも日々が進みついに新しい常識ができる、そんな時期だった。
椅子を並べながら声が出せない状態でも、それなりに楽しめたDJイベントだった。
不服ではあるけど今できる事は精一杯楽しんではずだ。
DJの出演が全て終わり終盤に差し掛かった頃、
いけないことだとわかってはいたが、
たった1曲だけ、好きなようにお客さんと遊んだ時間があった。
たった4分20秒。
お客さんに「椅子を片付けろ」と言い、この4分20秒だけは私たちの時間、私たちの自由だとMCをし、
当たり前のようにあった日常を取り戻そうとした。
笑顔で楽しんでくれると信じていたが、曲が終わるとそこには涙する人たちで溢れていた。
嬉しかったのだと言うが、その涙は辛かった反動で流れているものには違いない。
早く日常を取り戻すためにも、活動を止めるわけにはいかない。とその時強く思ったのを今でも思い出す。
その時の1曲がa crowd of rebellionのNex:usだった。
今日a crowd of rebellionのライブに行った。
(これを書いたのは2021/10/15)
コロナ禍に入ってからだと前回のクラブクアトロを含め2回目だ。
「名古屋、負けるんじゃねーぞ。俺たちもがんばるからな。必ずまた会おう」と何度も言っていた。
メンバーはみんな、ありがとうと、みんながいるから頑張れる、みんながいるから意味がある居場所があると、何度も頭を下げて私たちにお礼を言った。
お礼を言いたいのはこちらの方だ。あなたたちの音楽があったから、今日までわたしたちは辛い日々を乗り越えてきた。
でも言いたくても言えない。マスクの下でありがとうを言い続けた。
最後に差し掛かるその時、a crowd of rebellionはNex:usを演奏した。
「色彩は掠れて 夢の島 ゴミと化した」
「たったこれっぽっちの棄てられた僕達 焼却炉」
(何時だって歪んで泣いて)
「あの日のままLet me hear your voice.(あなたの声を聞かせてほしい)」
「繰り返す絶望に花束を贈ろう」
「Pray to you anytime. Not one but yourself.(自分を信じろ)」
「泣いて塞いだ」
「下らねえ日々を」
※()内はオフィシャルではなく自己翻訳及び自己解析です。ご理解ください。
「繰り返す絶望に花束を贈ろう」という歌詞に泣いた。枯れるまで泣いた。
まるで自分のこと言われてるように、あの時の4分20秒の自由は間違いではなかったんだよと、お前らはよくやったと。
そう言われているようで、勘違いのままでいいからその感覚を忘れないでいようと思い今文章を書いている。
あの日辛かったなーと思い出話になるその日まで、薄れていく記憶の大事な1曲。
涙を流して遊んだあの1日があってこそ、この曲が輝いて見えるんだと思うと、
わたしのDJの存在意義がわかった気がした。
空間をデザインする能力がDJにはあるが、DJとバンドのストーリーを掛け合わせることでもっと素晴らしい空間になるのではないかと、新しい可能性すら感じた。
あの日みんなが流した涙とは全く別の涙が止まらずに4分20秒が終わった。
最初から最後まで、昔から今に至るまで長い期間をかけた楽曲がたくさん演奏されたその中でも、
今日のNex:usは、わたしに「あの辛さを忘れずにこれからも諦めるな」という強い力をくれた気がする。
はっきりとは言わないが最近大好きなバンドに少しがっかりしたことがあった。
尊敬しているその人は今どこにいるのだろうか?と私は背中を見失っていたのだ。
そんな時、宮田大作さんは明るく元気よく愛を持ってわたしたちに接してくれた。
どんな時だって笑顔で楽しく誰かのことを思いながら歌うその人は、新しい私の憧れの人になった。
いつもバンドのライブを見た後は「早くDJ出かけたいな!」とか「みんなでライブハウスで遊びたいな!」とかそういう気持ちでいっぱいだけど、
今日だけは違った。
ライブが凄すぎて、バンドをやりたいという気持ちがすごく前に出た。
バンドマンってやっぱりかっこいい。こんなのは15年ほど思い続けているけど。今日は特にそうだった。
0から始めて共鳴し、努力を重ね演奏して涙を流し汗を流し、お客さんを想い歌う人が何よりもかっこいいなと、そう感じた。
それはバンドにしかできないことか?と言われたら別の話になってしまうけども今くらい許しておくれ。
バンドってかっこいいな、バンドやりたいな、と思わせるバンドが何よりかっこいいんじゃないかと、
今は心からそう思う。
それでも自分はこれからもDJを続けていく。
その憧れを抱き続けながら、
自分を信じている。