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死ぬために、実家に帰った話。


走り続けてきた。


平気だった。多少の辛さはもちろんあったけど、自分は最強だと思ってた。

世界が変わってしまった日から1年が経とうとしていた1月末。急に涙が止まらなくなって、金山駅の何列もある電車に向かって飛び込みそうになった。でも未遂に終わった。フェンスが高くて登れなかったのだ。

そこで急に冷静になったわたしは、

「あ。死ぬ前に親に会わなきゃ」と思い、泣きながら親に電話をした。



親へ死ぬ報告をする

「ママ、もう辛いから死にたいと思います。前に、死にたくなったら連絡しろと言っていたから電話しました。明日実家に帰ってもいいですか」

母「どうした、らしくないじゃん。明日は泊まりなさい」

「パパ、もう辛いから死にたくなった。明日実家に行くことになったから迎えにきてほしい」

父「どうしたの、わかったよ。明日楽しみにしてるね。明後日は休みをとるからどこか一緒にいこう」

泣きながら電話をしている最中に帰ってきた旦那は

旦那「大丈夫か?実家に帰るのか?わかった

と秒で理解をしてくれた。


ひとまず今日を終わらせる

落ち着かないまま、このあと約束していた岩盤浴へ行った。泣きすぎて体力はもうほとんどなくて、入店できないまま2時間が過ぎ、岩盤浴に行けたのはほんの少しになってしまった。誘ってくれた友人のGくんには申し訳ないことをした。その後の夕飯も良いところ行ったのに元気が出ず、買い物にも行ったが物欲すら消え去っていた。


そりゃそうか、死ぬつもりなのだから。


寝る前に、蓮くん(下宿人)が「辛いなら今やってることをすべて辞めて好きに生きればいい」とわたしに言った。しかし、自殺未遂に前科のあるわたしは、「今やってることのために生きているので、それが辛くなったので死にます」と返した。

蓮くんが何度も「死んでほしくない」と言った。いや、もっと色んなことを話したんだが、その言葉たちが大切すぎて端折ることにした。


死んでほしくない。そうか。どうしようかな。

ん、わたし意思弱っ



実家に帰る

実家に帰る日。夕方まで旦那と蓮くんと三人でダラダラ過ごした。その後旦那が車のオイル交換をしに行ってそのまま実家に送ってくれた。じゃ。と振り返らずに帰った旦那。こいつマジで心配してねえからいいんだよな~。


実家。

じいちゃんに「泊まってくなんて珍しい」と言われたので「色々辛くなっちゃった」と返したら

「ふ~ん」

長く生きてるとこうなるのだろうか。まあわたしは若くして死のうとしているのだが。


これはもはやブラックジョークだが(先に死んだので)先輩にあたるばあちゃんの仏壇へ。手を合わせる。

(ばあちゃん、わたし死にたいです…)

いや、死んだ人になんてことを言っているんだ…しかもばあちゃんは死にたくないのに死んだ人。失礼にもほどがあったけどそれほど死にたかった。


ここで想定外のことが起きた。甥っ子がいる

甥っ子。それは兄弟姉妹の子であり、1歳~4歳までは無感情で愛せる生き物である。5歳からは育児経験のないわたしにもう手が追えず、無理やり顔に押し付けられるみかんを食うしかなくなっていた。リズムゲームは全部邪魔され成績がCで終わる。

そんな生き物が居た。



説明をする

甥っ子が居たのでゆっくり両親に話をする時間などなく食事になった。わたしの母は世界一料理がうまいので、わたしが病むと(前科持ち)絶対にわたしの大好物であるお好み焼きを作ってくれる。余談だが母は実家がお好み焼き屋なので本当に最高のお好み焼きを作る。

うまい。うますぎる。一生食っていたい。

たった一枚のお好み焼きによって延命される程度のわたしの意思。

死ぬのはひとまず置いといてお好み焼きを食べつくした時、みかん押し付け屋が急にこんなことを言った。


「ねえね(わたし)のお母さんってどこに行っちゃったの?もしかして、死んじゃったの?


目の前の両親は唖然としていた。すげえ可哀想な顔で聞いてくるやん

わたし「えっ、わたしのお母さんはこの人だよ」

みかん「違うよ!ばあば(わたしの母)はママのママだよ!」

どうやらみかんには「母親は1人につき1人」という謎のルールができていた。もちろん父も、わたしの父ではない説が出てきていた。じゃあお前にとってわたしは一体なんだと思っているのか。

わたし「実は、お前のママはわたしの妹で、姉妹なんだよ」

みかん「知ってるし

えーーーー!



やり方を伝える

母「子供は変なことを考えてるよねえ~」と母はずっと笑っていた。そのうち妹も帰ってきてその話をしたが、妹はあんまり興味がなかったようでジェシーだったかミシェルだったか忘れたが推しメンの話をされた。一応、わたしが病んでいたことは(相互フォロワーなので)知っていたけど、ジョーイだったかステファニーだったかの話をしていた。

食後、みんなでテレビを見た後、風呂に入った。タオルを忘れてとんでもないことになった。洗面台にかかってたタオルで身体を拭いたが大丈夫か?

風呂から出た後、父が言った。



父「インスタってどうやるの?」



ワイの死にたい理由はもう話さんでいいか?

母と妹と甥っ子はもう寝とる!


もうすぐ60歳になる父は中古車屋を経営しており、その経営を少しでも良くするためSNSにチャレンジしたいとのことだった。足を悪くして多く動くことが困難になってしまったので、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。

父!ハッシュタグはプロフィールに付けるんじゃなくて記事の方にだ!

父!!YouTubeでバズるのにはもう難しいかもしれん!

父!!!もうわたしがやろうか?!?!

一通りレクチャーし、時間があるから自分でチャレンジしてみるとのこと。その後一服していた父が急に言った。



父「実は自分もずっと辛い。ほかの人にはわかってもらえない。でも、この家に帰ってきて、何も会話がなくてもママと一緒にいると本当に落ち着くんだ。たまに指摘されると自己嫌悪するけど、俺らの気持ちは俺らのものだ。

足を悪くしたとき、あと5年しか歩けないといわれて絶望の日々だったけど、リハビリを頑張っていたらあと10年に伸びた。光が差した瞬間だった。これも、俺自身の喜びだから、大事にしている。

自分にしかわからない気持ちや喜びを大事にしていけばいい。ほかの人にわかってもらえなくてもそれでいい。好きなものを見て頑張ろうって思えるならまだやれる。それを見て今は頑張ろうな」



その時わたしは、どうやって父の店をバズらせるかとか、週に一度は実家に帰ろうかとか、老後はわたしが父を支えるとまで考えていたので


死ぬことはもう忘れていた。




父「こうやってお前と話してるときが人生で一番楽しくて、落ち着くなあ」

わたし「わたしは、この世で一番尊敬してるパパと話せて楽しいよ」

父「そういうこと言われると涙出るわ~~~」


帰ったら、旦那と蓮くんに相談して、父の店を繁盛させたいな。



これで終わる

1日が終わる。明日が始まる。明日は父と母と三人でイオンに行く。楽しみで仕方がない。しかし家に帰ったら辛い仕事が山ほどある。

まあいいか、そしたらまた

電車飛び込もうとして泣いて親に電話して岩盤浴行って買い物行って大切な言葉もらってダラダラして車のオイル交換して実家行ってみかん押し付けられて推しメン見せられてインスタのやり方教えて寝て次の日イオンに行けばいい。




走り続けていく。

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