大切なものが離れる前に言っておくよ
2018年から今日まで6年間。
小学生が入学し卒業するまでの長さに匹敵する。
たしかに我々の活動は小学生生活のようだった。
友達のような、先輩のような後輩のような、先生のような生徒のような。
長いようであっという間の青春時代だった。
「環境」
SAKAE NEONというライブハウスが閉店した。
閉店に至るまで色んなことが起きたんだけど、その時わたしは思った。
「どんなに頑張っても覆せない事がある」と。
その答えが「環境」だった。
そもそもばあちゃんが死んだときに、
世の中には理不尽なことが当たり前に起きるんだと感じていた。
努力でなんでもできるわけではない、
死ななくてもよかった人が簡単に死んでいったのだから。
(余談だが、本当に苦労して亡くなったじいちゃんについては、お疲れ様でしたと敬意を感じている)
これも「環境」の1つ。
コロナ禍を経てわたしの好きなものたちも随分と変わった。
Crossfaithのメンバーが変わった。
Crystallakeのボーカルが変わった。
a crowd of rebellionが活動休止した。
UVERworldの見たい景色がわからんくなった(頼むぜマジで)
これらは長年追いかけてきているバンドたちだが「絶対に変わらないだろう」と思っていたので自分の中では大きなニュースになった。
世の中のエンタメで分かりやすい例えると、
ジャニーズですら無くなってしまった。
現在はすっかりインターネット内のエンタメが大体を締め、
動画やSNSをしっかりやれないと廃れていく文化すらある。
逆にSNSをうまく使って復活したコンテンツもたくさん見てきた。
これも全て「環境」の変化だと思う。
時間が経てば経つほど、周りがわかりやすく変わっていった。
自分も大きく変わったのは、バスケの業界に足を踏み入れたこと。
音楽以外のことをやり始めたことは大きな変化だ。
俯瞰で大きく見た結果、とても良い経験をさせてもらえてて
長年やっていきたいな~と思いながら活動しています。
やっとポジティブな「環境」の話。
「変化」
そんな中、斬るえむのメンバー内にも変化があった。
あるメンバーは結婚して、
あるメンバーは家を買って、
あるメンバーは引っ越して、
あるメンバーは昇進したり転職したり。
気が付けば、18歳で入ったRENNが25歳になっていた。
あんなに大人しくてか弱かったのに随分大きくなって…(色んな意味で)
そうした中で気になることが起こり始める。
斬るえむのLINEグループでの返事が段々と遅くなり、
月1でのミーティングが人数が集まらなくなり、
年4回の総会では欠席者が出るようになったのだ。
最初は「やる気がなくなったんかな?」と思ったが、
どうやら違う。各環境に変化があったからだ。
昇進して仕事が忙しくなった。
引っ越ししてなかなか名古屋にこれなくなった。
自分自身のDJへのモチベーションがなくなった。
パートナーが活動に対して苦い顔をしている。
(↑ちなみにこれに関しては全然理解できるので安心してほしい。旦那が休日にライブハウスでDJしてたら心配だろうそりゃ。当然だと思う)
その時思った。
「そっか、変えなきゃいけないんだな」と。
今までのわたしだったら「なに~!?」って怒っていたと思う。
というか怒る事すら間違ってたと思う。
だってこれは仕方ないことだから。人生は進んでいく。
自分だって変わったくせに、周りに寄り添わなくてどうする。
と思ったんです。
一方で、環境が変わった側のメンバーは優しかった。
やっぱり斬るえむが好きで、居たいとは思ってくれていた。
でも、環境が変わって思うように動けない自分にジレンマも感じていて、
随分苦しい思いをしていたみたいだ。
やめると言い出せない、やめたくない自分もいる。
でもなあ…ってぐるぐると。
わたしの方もこれは安易に想像できていた。
正直、わたしも言い出せなかった。
だってみんなが居なくなったらさみしいもん。
「終わり」
そんなある日、SAKAE NEONの閉店が決まった。
SAKAE NEON。名古屋のライブハウスであり、
コロナ禍で斬るえむが路頭に迷っていたときに助けてくれた大切な居場所である。
SAKAE NEONのオープンから2年間で39本のイベントを実施し、斬るえむと言えばNEONだよね、と言われ始めていた矢先のことだった。
閉店の理由は書かない(書けない)が、わたしの力ではどうにもできない内容だった。
春まだ肌寒い日、夜の栄の公園で何時間も話を聞いた。
話している最中も胸がざわざわし続けていたけど、すべての理由を尊重したかった。
(全然受け入れれなかったけど笑)
結果、どうしようもなかったので、
わたしはNEON最後のDJイベントを作って、
それはそれは盛り上げて、良い思い出を作ることに決めたのだった。
「壊す決意」
SAKAE NEON閉店当日。
「さよならNEON」と題し、急遽フロアDJイベントを行った。
フロアにDJセットをドーンと置くことで、お客さんは360°どんな方位からでもDJを楽しめる。ステージはがら空きの状態だ。
これをやった理由は、お客さんにもNEONのステージに立ってほしかったのと
最後だからパーッと派手にやりたかったので。
(余談だけど、わたしはこの日衣装を着なかった。いつもフロアに居るときのTシャツでDJをした。だってフロアだったから。)
それはそれは盛り上がった。
良い思い出どころではなかった。
カメラマンも駆けつけて、素敵な写真を山程撮ってもらった。
めっちゃ素敵なシーンばっかりでしょ。
これ、営業最終日、最後だったんですよ。
そりゃ寂しかったけど、それよりもすごいことに気がついたんです。
「わたしが一生懸命作ったものは、わたしにしか壊せないんだな」
「壊すとしても、こんなにも素敵に壊せるんだな」
からっぽになったステージにひとり上り、思った。
自分から、斬るえむの各メンバーに
「もう大丈夫だよ」と連絡しようって決めた。
身動きできなくて、でも辞めるって言い出せなくて。
そんな優しいメンバーたちを、わたしが開放してあげなくちゃなと思った。
これがその時の写真です。
「此処から」
来年からの斬るえむの方針を決めた。
項目を5つほど作り、それを遂行できる人のみを
「1年単位」で所属してもらうことにした。
これはバスケチームで知った流れだ。
チーム内のバスケ選手たちは1年単位で変わっていく。
残る選手もいれば、移籍したり引退する選手もいるし、新人も加入する。
(最近は複数年契約もあるそうだが複数年途中で移籍する選手もいてちょっと意味はわからない)
斬るえむも来年からこれを採用してみることにする。
この1年単位所属により、運営もアーティストもやりやすくなるんじゃないかと思って。
「こういう項目を作ってみたけど、来年はどうする?」
と各メンバーに連絡をした。
そして腹を割って各自と話した結果、
今回の発表となりました。
(斬るえむオフィシャルTwitterを御覧ください)
過去を思い出すと、「辞めます」の相談はメンバーの方から連絡をもらう事しかなかった。
実はこういう事があって、
こういう事情があって、
斬るえむを卒業したいです、と。
今思えば、その子たちにはすごい苦しい思いをさせたなと。
言い出すのが相当勇気いっただろうなと思った。
今回わたしから「どうする?」と言ってみて、結果良かった。
でもたぶん、わたしがこれを言わなかったら、
もっとずっと一緒に居れたと思う。
どれだけ出席率が足りなくても、
同じ斬るえむメンバーでは居れたと思う。
だけど、それじゃ誰も救えない。
自分も、メンバーも、斬るえむも、お客さんも。
さみしいけど、思い出はしっかりある。
沢山あるよ、山ほどある。
楽しかったね、6年間も一緒に居たんだ。
だから大丈夫、その思い出を持って、各自進んでいこう!
「11月に感謝祭を行う理由」
2018年のある日のこと。
自分の限界を悟り、斬る'em ALLを終わらせる決断をした時があった。
当時いつも集まっていた「Macy’s」に全員を集めて、
2018年11月に開催するイベントが最後だということを伝えた。
最後のイベント、ということで「斬るえむ感謝祭」と名付け、
メンバーは全員DJ以外の出し物を提供することで
お客さんに今までの感謝を伝える1日にしようと、一致団結した。
ところが、当時Twitterにて
「斬るえむ感謝祭にて重大発表があります(斬るえむが終了すること)」
と書いた一週間後、
わたしの身に運が舞い降り、斬る'em ALLを続けていけることになったんです。(これは具体的な話ができないが、運が付いていたとしか言いようがなかった)
この時から毎年11月は、斬るえむを続けていく意思表示として感謝祭を行うことになりました。
そういえば「斬るえむ」という名前をつけたのも「Macy’s」だった。
みんなの誕生日会とか、歓迎会や送別会も全部そう。
そんな始まりの場所で、お別れ会をやります。
詳細はこちらから。
ぜひ皆さん遊びに来てね。
一度終わりそうになった斬るえむは、
2025年2月22日に活動10周年を迎えます。
現体制メンバーで最後のイベントは、この日。
開けておいてくれるとうれしいです。
各メンバーへの想いは、その現場で伝えるね。
最後に、この歌詞を送ります。
最後に。
KJ、ゆうゆう、RENN、これからもよろしくね。
この瞬間、隣りにいてくれてありがとう。