英語のクラスに来る外国人先生に専門知識は必要か?
高校生の時、英語のクラスに初めて外国人の先生が来た。
外国人の先生が来たといっても、当時はおまけみたいな位置付けで。
何がおまけかって、それはただ教室に来て、ちょっと教科書をネイティブ発音で読んで、それが日本人と異なる発音で、「おー。」みたいな。
また、日本人の先生がその外国人の先生と会話をしているところを見せて、「私もちゃんと英語しゃべれるんだよ」と威厳を示すために。後者について、これはこれで意味はあったと思うけど。
まあ時代もあったし、公立高校だったし、そんなもんだろう。
大学に入り、英語を専攻したので、そこには外国人の先生がたくさんいた。
私にとって、それが本当の意味での初外国人先生体験だった。
はじめての体験だったので、めちゃくちゃ緊張した。
英会話の授業なのに、自分の発音に自信がない、そもそも外国人にびびってる、と言うことで、ほとんどしゃべれなかった。
成績も最悪だった。
そもそも、カッコつけだった。
だから、恥ずかしがって、人前で英語を話せなかった。
英語なんて、カッコつけてたら絶対に上達しない。
英語を話すには、まず外国人慣れが必要だ。
そんな外国人慣れが容易にできるのが英会話スクールだったり、外国語系の大学だったり。
では、英語の先生がみんな外国人だったらいいのかというと、そういうことではない。
日本人は日本人講師に英語の細かいところを教わった方が腑に落ちる部分も多い。特に、大人になって英語を本格的に学び始める人にとっては。
ただ、日本人としか英語を話したことがないとなると、それはそれは緊張して、本番で使い物にならない。
だから、適度な外国人慣れが必要になる。
外国人慣れするためだけに、1時間5000円も6000円も英会話スクールに払ってられないだろう。
一方で、大学に入って英語を専攻すれば全て解決というわけではない。海外へ行って、「私は大学で英語を専攻しました」と言うと、「英語って専攻するものなのか?」という顔をされる。実際私はそういった経験をした。だから、「大学での自分の専攻が英語である」と言うことが恥ずかしかった。つまりは英語なんて、本腰を入れてやるものではなく、片手間でやるものだと言われているようなものだった。
では、何が経済的で効果的か。それはやはり海外留学だ。
ここで勘違いしてはならない。
海外留学は、語学を学びに行くものではない。英語を学びにいくものではない。
海外留学は、外国人慣れしに行くものだ。
慣れるのには1年ぐらいあればいいだろう。
逆に、1年で結果が出せなければ5年たっても10年たっても結果は出せない。
日本の大学の外国語学部を否定するわけではないが、自身が人に外国語を教える立場になるつもりがなければ、特別に語学を学ぶために大学に通う必要はないだろう。
と言うことで、どうせ学校に外国人の先生を送り込むのであれば、どんどん子どもたちと触れさせて、勉強じゃなくていい、ゲームとかでいいから、どんどんコミニケーションをとらせて、外国人に慣れさせて欲しい。
外国人の先生に教科書を読ませるとかそんな無意味な事はさせないで欲しい。教科書読むのであれば、外国人が読んだ音声でも流しとけばそれでいい。
もっとインタラクティブなコミュニケーションを外国人講師とどんどんとらせてあげて、子どもたちには外国人慣れさせてあげて欲しい。
大人たちは、なんでも子どもに教えてあげようという考えからそろそろ脱却したほうがいい。
環境を整えてあげれば、それで大人の役目は終わりだ。
だから外国人先生に、外国語を教える専門的知識なんていらない。子どもたちの中に飛び込んできて、上手にコミニケーションを取れる人であればそれ以外に基準を設定する必要はないだろう。
日本人の国際化の為にもどんどんどんどんそのような形で外国人先生をご招待していてあげられないものだろうか。
ただ、外国人慣れのためにはあまりオンラインの環境は向かないかもしれない。外国人が目の前にいる、隣にいる、面と向かって話している、そんな経験が「慣れ」には必要だからだ。