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僕らのきびだんご戦争

岡山県といえば「ももたろう」

そして、「きびだんご」
ということで、お土産はきびだんごをよく買っています。
東京に住んでいた時、「きびだんご」をお土産にすると、
100発100中でみんな喜ぶ
「食べたら家来ですよ♪」
みたいなやりとりは鉄板。

しかし、なんで団子好きなんだろう?って思ってたのですが、
関東は「すあま」とかよく食べてて、
そういった餅的なもの、お好みなんでしょうね。
うん、うん。
美味しいよね。

さて、岡山にはきびだんごのメーカーさんはいっぱいあります。
その中でも目にしやすいのは「廣栄堂」「廣栄堂武田」です。

五味太郎(廣榮堂)とNoritake(廣榮堂武田)という構図でもあります。
どちらもカワイイ。

いつ知ったか忘れましたけども、この2社の原点は同じだったようです。

「広栄堂武田と廣榮堂の謎」

「広栄堂武田」と「廣榮堂本店」は元々は同じ「広栄堂」という和菓子屋さん。
昭和三十年代前半に「廣榮堂本店」が新しい会社を起こして独立、先に会社組織(法人)となる。遅れて「広栄堂」も会社組織にするが、商法の関係で広栄堂が登記できず「広栄堂武田」を屋号に。

創業者は同じご先祖さま(きびだんごの父:武田半蔵)なので、両方とも「安政三年創業」という事にはなる。
が、明治年間に武田浅次郎(きびだんごを全国的に広めた人物)が特許庁に出願した登録商標は「広栄堂武田」が所有している。

岡山銘菓きびだんご

これは、アディダスとプーマみたいなこと

まずは「廣榮堂」

安政3年(1856)武田浅次郎 岡山市中納言にて創業
※池田藩筆頭家老で大茶人の伊木三猿斎の指導で古くからあった黍団子をお茶席にも向く求肥製にしたのがきびだんごのはじまり。
明治32年 武田充平 2代目店主となる
昭和6年 武田常夫 3代目店主となる
昭和26年(資)広栄製菓設立、武田貞子が代表となる。

廣榮堂

つづいて「廣榮堂武田」

安政3年(1856)
武田半蔵が茶道を通じての友人でもあった池田藩筆頭家老・伊木三猿忠澄の依頼を受けてきびだんごを商品化。この年、廣榮堂武田を創業する。
明治10年(1877)
武田浅次郎が二代目就任。「いいものを使い真心をこめて作ればきっとよいものができる」という浅次郎の信念は現在も引き継がれている。
明治45年(1912)
備前国印の釘抜きを、当時としては貴重な登録商標として特許庁に出願。この登録商標は現在も廣榮堂武田が所有している。
昭和36年(1961)
岡山駅東口駅前に商業施設「岡山会館」が開館。廣榮堂武田はオープン時から地階に店舗を構える。

廣榮堂武田の歴史

たしかにスタート地点は一緒ですね。
どういう理由で2つの屋号となったのかはいまいちわかりませんでしたが、いずれも「きびだんご」の歴史を残すことの企業努力をされているのがよくわかります。
安政三年創業の歴史を残して、一流のイラストレーターによりキャラクターを立ててブランディングし手に取りやすくしています。
本当にどちらも可愛くて大好きです。

最近は、他社もカワイイパッケージで工夫を凝らしてきているので、アレもコレも買いたくなるんですよね~。
順々に全部買って、全国に家来を増やそうかな。


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