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新宿御苑 上の池

こんにちは😌
ご覧頂き、ありがとうございます。
過去に遡って、写真をアップしてまいります。

1ヶ月前に訪れた、新宿御苑の続きとなります。

庭園を横切って、日本庭園(上の池)を
目指し歩いて行くと、何やら気になる建物。

現代の御休所のようです✨

うーん、気になるけどそこまでおなかも
空いていないし、まぁまぁ良いお値段😅

でも、神様からの寄って行きなさいアピールが
すごいんです。

スポットライト当てちゃってます笑


とにかく中に入ってみましょう。


か、かわいい😍


結局、家族のお土産も兼ねて
お菓子の詰め合わせのハッピーバッグを購入🥮
福袋好きとしては、惹かれてしまいまして、、、🛍️


何だかんだルンルンしながら
日本庭園に到着です🐾

立派な木が至る所に🌲
台湾閣
あちらにも茶室が見えます
台湾閣と上の池の中間にある池
何だか大切な場所に感じます。

江戸時代の新宿御苑について調べてみました

新宿御苑の歴史が始まるのは、徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591)にさかのぼります。譜代の家臣内藤家2代目の清成は、多年の功労と江戸城西門警固の功績を認められ、現在の新宿に屋敷地を拝領しました。

家康は、清成に馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、その結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられています。 これが新宿御苑のルーツです。

石高3万石余りの大名としてはもとより、江戸の中でも非常に大規模な賜邸であったことから、その所在の地名が「内藤町」と命名されました。



その後、7代内藤清枚の時に、領地を信濃に移され、3万3千石の高遠城主となりました。この時上屋敷を神田小川町に賜り、御苑の地は下屋敷となり、いつのころからか「四谷荘」とよばれるようになりました。

高遠藩主内藤家の下屋敷は、のどかな田園風景そのままの庭園で、華麗な建造物などはありませんでしたが、地域の住民とともに楽しむ憩いの庭として親しまれていたようです。なかでも玉川園(現在の玉藻池)は、江戸の名園のひとつに数えられていました。元禄11年(1698)に、幕府は内藤氏の広大な下屋敷の一部を返還させて、町屋とともに馬継ぎの施設を設けて宿駅としました。これが甲州街道最初の宿駅で、内藤家の屋敷跡に新設された宿駅のため「内藤新宿」と呼ばれるようになりました。

新宿御苑ホームページより


内藤清成さんについても、少し調べてみました。

戦国時代から江戸時代初期の武将&大名。
家康さんに取り立てられ、戦で活躍。

鷹狩の際に、家康から「馬で乗り回した土地を全て与える」と言われた清成は、白馬で一気に駆け巡り広大な土地を拝領した。白馬は家康の元へ駆け戻った直後に息絶えた、という駿馬伝説である。新宿区内藤町の多武峯内藤神社には、この伝説による「駿馬塚の碑」が残る。

Wikipediaより

今度新宿を訪れた際は
多武峯内藤神社にも参拝してみたいです⛩️

ここに来て欲しかったんだよ〜🐉
と言われている気がする

さて、上の池に到着です🐉

鴨さんと龍ちゃん🦆🐉
水面に映る日の光、綺麗✨
龍ちゃんも喜んでいる気がしました🐉
この松も素敵🌲

下の池の方に、渋谷川の源流があるようなので
今度はそちらに向かいます🐾


最後までお読みいただきまして
本当にありがとうございます😌

素敵な一日を🌿

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