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文系がITエンジニアを目指さなくてはならない理由。👊

現代を生き、未来を築く私たちは、情報技術について学ばなくてななりません。その理由は、これからの時代がデジタル技術を前提として社会全体が構築されていくからです。🙆‍♂️


「Society5.0」という少し先の未来

まずは、内閣府つまり国が提唱する「Society5.0」という概念について、 内閣府HPより説明します。

Society 5.0とは 我が国が目指すべき未来社会の姿であり、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会です。第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日閣議決定)において、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」としてSociety 5.0が初めて提唱されました。

Society 5.0 - 科学技術政策 - 内閣府

これからの時代は、かつてはあらゆる人々が狩猟を行っていたように、だれもが科学技術を扱うことを前提とした概念や仕組みが作られていくでしょう。

そして、そして、国が提唱しているのは、サイバー空間やフィジカル空間を融合させたシステムを前提とした社会を構築することです。

さらに、内閣府HPの同ページより、

Society 5.0では、サイバー空間において、社会のあらゆる要素をデジタルツインとして構築し、制度やビジネスデザイン、都市や地域の整備などの面で再構成した上で、フィジカル空間に反映し、社会を変革していくこととなります。

Society 5.0 - 科学技術政策 - 内閣府

デジタル技術を基盤として社会を再構築し、前時代にはなかったさらなる変革をもたらすでしょう。

これからの時代はデジタル技術が前提であり、それをもとにさまざまなサービスが誕生していきます。したがって、Society 5.0の時代を生きる私たちはデジタル技術を当たり前のように使いこなし、前時代では起こりえなかったようなさらなる変革を起こしていくことになります。

このとき、果たして社会のデジタル化に乗り遅れるのか、それともデジタル化を先導していくのかで私たちの将来、日本の将来が決まってくるのではないかと考えています。

「GIGAスクール構想」による新たな格差の発生

GIGAスクール構想(ギガスクールこうそう)とは、2019年(令和元年)に開始された、全国の児童・生徒1人に1台のコンピューターと高速ネットワークを整備する文部科学省の取り組み。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

児童・生徒が1人1台のコンピューターを持ち普段使いするようになると、本来期待される形でのデジタルネイティブになるでしょう。そのデジタルネイティブに私たちの世代は含まれておらず、高校生であれば私たちより2歳下、小学生であれば11歳下の世代以降がそれに該当します。

私の高校の在籍期間はちょうど2019年4月から2022年2月まででしたが、デジタル機器はほとんど普及していませんでした。コロナ禍を経て2021年4月になってからようやく一人一台のタブレット端末が配布されました。しかし、そのタブレット端末を十分に活用していたのは少数であり、授業中にwebサイトでゲームをしている人も少なくありませんでした。

つまり、私たちは言ってしまえば「デジタルネイティブもどき」であり、PCが使えないというのは日常茶飯事です。大学生でもブラインドタッチができない人が多くいるのが実情です。

マイナビの調査によると、 パソコン操作の基本スキルであるタッチタイピングに関する習熟度を尋ねたところ、「できる」(17.7%)、「まあまあできる」(36.2%)となり、半数近くがある程度習熟しているよう。その一方で「全くできない」(12.7%)と回答する人も10%程度存在し、 「ブラインドタッチが全くできない」または「あまりできない」と回答する人が38.2%に達し、約4割がパソコンスキルに自信をもっていないことがわかります。

「タッチタイピングがまったくできない」大学生の割合は?

教育のデジタル化が急速に進むことで、以前の教育を受けた私たちは下の世代に対して、明らかに後れを取ってしまいます。

これはれっきとした情報格差(デジタルディバイド)であり、以前は高齢者と若者のICT利用能力の差を指すことが多かったが、これからの時代はICT教育を受けた世代とそうでない世代に新たな格差が生まれる可能性があります。

情報格差(じょうほうかくさ)またはデジタル・デバイド: digital divide)とは、インターネット等の情報通信技術(ICT)を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のこと

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これから社会に出て時代を築いていく私たちはICT技術を使いこなす側に立つ必要があり、決してIT化の波に乗り遅れるべきではありません。

単に乗り遅れないだけでなく、先導するつもりで自己成長をさせていく必要があります。それほどの思いをもって始めて、世界や私たちの下の世代と有利またはトントンな状況に持ち込めるのではないかと考えています。

大学入試、共通教育科目の「情報Ⅰ」がもたらす変化

これからの時代、文理が関係なく「情報」の知識を学びます。

2022年から高校生は情報Ⅰを必須科目として受講します。現在、私は20歳の大学3年生で、いわゆる26卒ですが、最短で3歳下の学生全員がすでに一般教育課程でプログラミング的思考や情報の基礎知識を学んでいます。

2022年からは小学生もプログラミング教育を受け始めます。私が小学校へ入学したのは2010年4月ですので、彼らは私の12歳下です。もし彼らが、22歳で大学を卒業し就職をしたとき、私はまだ34歳です。現役世代のど真ん中にいます。そんな私たち26卒にITの知識が欠けていると、間違いなく彼らの足を引っ張ってしまいます。

これはたった14年後の将来のことです。私はこういった事態を危惧しています。私たち学生が情報を学ぶのは必須なのです。文系だから関係ないなんてことはありません。

まとめ

現代を生き、未来を築く私たちは、情報技術を学ばなければなりません。

これからの時代はデジタル技術を前提とした社会が構築されるためです。

内閣府が提唱する「Society5.0」とは、サイバー空間とフィジカル空間を融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会です。この新たな社会では、デジタル技術を基盤として社会を再構築し、変革をもたらします。

しかし、これからの日本では情報格差が発生し、特に若者においてはICT利用能力の差が顕著となるでしょう。ICT教育を受けた世代とそうでない世代との格差が広がる可能性があります。

私たちが社会に出て時代を築くためには、ICT技術を使いこなす必要があります。大学入試や共通教育科目の「情報Ⅰ」の導入など、情報の知識を学ぶ機会が増えています。

これからの時代、文理を問わず情報の知識は必須です。私たち学生が情報を学ぶことは、将来を見据えた重要な課題です。

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