一周年記念とやらに。
ここに書くことになってから、1年経ったとのことで。大したことでもないのですが、記念に以前残していた文を。。
雪の影響が少しずつ少しずつ、弱まっていきます。
あれほど、もう雪はいらないと言っていても、こうやって姿を変え、小さくなって消えていく様を見ていると、何かしら、寂しい気もしてきたりするから、不思議なものです。そのせいでか、久しぶりの彩り豊かな夕暮れはどこか、ちぐはぐ感が否めませんでした。
久しぶり、と言えば、話は前後しますが、午前中に金沢駅まで行こうと車を走らせて、家の近くの路線バス停に差し掛かった時、以前借家住まいをしていた時にお隣だった老夫婦を見かけました。実は2、3日前にも同じ場所で姿を見かけたにもかかわらず、こんなバスが来るかこないかもわからない寒い時に、声一つかけるのを戸惑う自分に呆れていたので、今回こそは、と迷わず、車を路肩に停めて、声をかけました。そして私の車で玉川町の図書館まで行きましょうと提案したところ、快諾してくれました。
お二人は久しぶりの再会をとても喜んで下さり、近況報告も賑やかに、楽しいひと時を過ごしました。
以前は自衛官で寡黙、物静かな方と思っていたご主人でしたが、こんな話をされました。
「トモさん、ワシね、ほとんど毎日図書館と市立病院の往復や。この間病院の看護師に、毎日姿を見ていますよ。もう受診してない診療科はないでしょう、と言われたもんで、ワシ、こう言ってやった。まだ産婦人科は受診してないぞ、と。トモさん、まだまだやな、あんた。ここで笑ったらいかん。それでな、ウチに帰ってから女房に、50年前も今も隣におってくれとるこの人のことやけどな、話したんや。そしたらこの人、何てゆうたと思う?
それを言うなら、まだ小児科に戻っていませんと言うべきやろと。これから、また子どもに戻っていくんやからな、ワシら。この人に一本取られたわ。相変わらず頭上がらんわぁ。」
私は運転しながら大きな口をあけて笑い、なぜだか涙が出そうにもなりました。
昔も今も変わらずに、助けていただき、ありがとう、と。
子どもたちがまだ小さい頃、若い私たち夫婦にはもう既に頼る親も親戚もいませんでした。自分たちもいずれ、この娘を残して消えなくてはいけない日が来ると思うと不安だけが募り、とりあえず娘が困らないように、と自分たち親子の暮らす家を建てることだけを考えてきました。娘は生まれた時から心臓病を患い、数回にわたる手術、入退院を繰り返していて、病院で過ごす日が多かった頃です。生活のために仕事を探し、病院に通い、2年後に生まれた息子をどうしよう、誰か昼の間、託児してくれる人はいないものか聞こうと、お隣りへ相談に行ってみて、その時初めてお隣の奥さんが保育園の園長をしていると知りました。そして「私の保育園に連れて来なさい。あなたもお母さんを失ったばかりだというのに、辛かったでしょ。大丈夫よ。大丈夫やから。」といって、子どもを毎朝晩送迎して下さったのでした。
病院からの帰りや仕事の帰りの遅い日は大抵、息子は園長先生の所にいました。鳥を飼い、花や草木を育て、おやつにはクッキーを焼き、、、と、二人の子どもはそこでたくさんのことを見聞きし、教わりました。それ以来のお付き合いです。
私たちは園長先生夫婦を本当の両親の様に頼り、家も歩いて10分とかからない所に求めました。
それでも、月日と子どもの成長、家族の環境は比例するかの様に変わり、子ども達も大きくなり、園長先生の話は自然と食卓にのぼらなくなりました。
「今では孫たちも独立して、二人と単身赴任の長男嫁との三人暮らしなのよ。」と園長先生がちょっと寂しげな表情で言いました。
相変わらず本好きのご主人と二人でバスに乗り、三、四時間図書館で過ごし、帰りに近くのデパートの地下でパンと野菜を買って帰る生活だそうで、「一日も長くこの幸せが続くといいと思っとるんや。いずれは子どもに、赤ん坊に還るのだけどね。」と、二人で顔を見合わせて笑いながら。
道の雪がとけてきたおかげで、程なくして図書館に到着しました。まだまだお話したかったけど。、ここでお別れです。
私の乗る車を、何度も何度も振り返って手を振る二人の姿を見ていると、ふと、長い年月生きた鳥が路面の残り僅かな雪の欠片から放たれた光をうけて輝きながら、大きく羽ばたいているように見えました。
この文を書いたすぐ後日に、コロナ問題が始まり、町の図書館の利用もデパートの利用も自粛が求められるようになり、以来バス停で二人の姿を見ることがなくなりましたが、そのおかげと言っては何ですが、この一年間は以前のようにお宅に訪問させていただき、おいしいお茶とおやつをごちそうしていただく機会が増えました。ご主人の楽しいお話も健在です。笑
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