五臓六腑に染み渡る味。
朝からお茶漬けジャンジャン。
写真は参考まで。私の作ったものではありません。
昨日、実は別に暮らしている息子に会う用事があり、彼はあの激しい雨の中水浸しになって、やってきてくれました。
車から家屋まで10歩もないのに、もうべちゃべちゃでした。笑
でも久しぶりにゆっくり顔を見ることができて、もう大人ですが、いつまでも面影が残る横顔にほっとしました。
別にケンカもしていないし、仕事も自立してきちんとこなしている長男です。
仲良しの親子ですが、それでも久しぶりに会うと別れるのが寂しくなって、夕食のおかずを持たせて「ありがとう」なんていうと、そんな言葉ゆーな、と言いたくなります。笑
結婚してから二十数年。
夫と子どもの弁当作りに勤しむ毎日が続きます。
ご飯作りは嫌いでもないけど、好きでもない自分。
学生時代を含む独身時代は、毎日のように外食とコンビニ弁当が続き、大学一年の時などは米の研ぎ方1つ知らなくて、友達が割りばしでくるくる回していたのを見て、ああ、あんな研ぎ方が新しいやり方か、と真剣に学んだつもりでいたくらいです。
やがて結婚し、子どもが生まれていくに従って、私の生活も様変わりしてきました。
でも、それはやむを得ず、です。
子どもは母親が作って出すものを疑いません。
給料が上がった時に、めったにいけないレストランに連れて行っても、子どもたちは決まって、お母さんのご飯が一番おいしい、お母さんのお茶漬けが食べたかったと言ってくれました。
三人いた子供が独立して二人になり、遂に現在の、
一人になってしまいました。
今頃になって、あんな面倒くさかったはずのご飯作りが、懐かしくてたまりません。
ただ、娘・息子が帰宅した時に必ず用意する献立があります。
それは、
「五臓六腑に染み渡るようなおいしいお茶漬けとカレイの煮つけと切り干し大根」です。
これは私の亡き母が、
「心臓が悪くて、一口のご飯が楽に入らなかった娘」の為に、そしてその看病で心身ともにつかれていた娘、私ですね。私達母娘の為に考案して食べさせてくれた献立です。
娘と母が触れ合うことができたのは、わずか三年で、そのうち二年近くは娘が入退院を繰り返し、母は娘が元気になり始めた翌年、亡くなりましたが、口癖のように、
「子どもがほっぺが落ちそうと喜んで食べてくれるご馳走こそが五臓六腑に染み渡るご飯なんだよ」
と言い続けていました。そして
「忘れないで。上手でなくてもいいんだよ、お母さんのご飯を忘れないで」と。
それそれの家庭でよくよく口にするものですが、我が家ではこの献立メニューの日が自ずと決まっています。
「子どもたちがそろう日」ですね。
今年はコロナ過という事もあり、それなりに仕事が多忙で、帰郷しませんでした。
おいしい切り干しを取り寄せ、煮つけにするのにちょうどよいカレイを販売している市場のお店も見つけたけど、仕方ない。
自分の力で生活できて自立、と子どもに言い続けてきたのだから、一度帰ってこれなかった夏があったところで、どうという事はない。
そう心に言い聞かせて、日曜日の朝はせっせと
「五臓六腑に染み渡る自分なりのお茶漬け作り」
に励みます。笑
材料はまず炊き立ての温かい白米、あごだし汁、自宅で作った青じその葉、みょうが、しょうが、京都九条のねぎ、山葵で付けた塩昆布、そして表面だけ焼いた甘鯛、細かく刻んだ海苔、しらす干し少々、お中元で頂いた九州のもみじ子を少々。
そして最後熱い加賀ぼう茶を並々と掛けました。
普段の朝は、今もまだお弁当作りが続くので、こんなのんびりとお茶漬けをすすれるのは休日しかありません。
昨晩の切り干し大根と油淋鶏の残りも最後には一色単に、笑。
昨日からの長雨のおかげで、ちょっと涼しくなった庭の軒下に運んで、ゆっくり1人でおいしくいただきました。
母を思い出し、小さくても一生懸命だし汁をすすっていた娘を思い出して、ウルウルになりながらの朝ごはんでしたが。笑
母親のご飯は、子どもにとって、いつでも「五臓六腑に染み渡る食事」であるものです。
皆さんのおうちの「ごちそうご飯」は何ですか。
ここ数日間、よくよく頭に残っていた小林麻耶さんのお母様もきっと、「我が子にも孫にもおいしいとうならせるくらいのメニュー」をお持ちのはず。
麻耶さんが、手遅れにならないうちに、心残りにならないうちに、お母様の手料理を嗜みに行かれることを真に願います。
今しかできないことが、必ずあるのですから。
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