祇園精舎の鐘の声
こんばんは。ともです。あと、7日で40歳になる、ともです(2回目)なんか、40歳って微妙な感覚です。嬉しいやら、悲しいやらですね。20代の青春から外れ、また老化していく体を抱え(笑)。
で、タイトルなんですが、この頃、中学生の時に覚えた「平家物語」の序文の「祇園の精舎の鐘の声」が頭の中をめぐっております。
ご存知ない方もいらっしゃると思うので、書きます。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏 ひとへ に風の前の塵におなじ。(平家物語)
え~。古文学者ではないので、「おい、とも、これは違うぞ」といわれるかもしれませんが。
諸行無常とは、「あらゆる行いも常(つね)ではなく」。という意味です。だから、強いものもいつかは衰え、滅びていく。平家の奢れる人も、壁にとっては小さな塵(ちり)と一緒だと言っています。
この40年間、世界は変転しています(僕の生きる限り)。でも、この言葉を聞くと、落ち着くんです。仏教思想にも通じるのですが、僕達の人生は「運命」という不条理な力にも満ちているんですが、すべて何か大きな力に生かされていると感じます。
大きな力とはなんでしょう? 仏教にもあったと思うのですが、自分で動いているようで、孫悟空のようにお釈迦様の手の中にあるのかもしれません。
平家物語の序文のように、一切は塵なんです。永遠にみえる世界の一瞬の煌めきだと思っています。だからこそ、人生精いっぱい生きて、「ああ。やり残した事ないなあ」といって、80歳で死ぬのが夢です。
死ぬって不幸のように感じる人もいるのでしょうが、死から逆算する生き方もあるとは思っています。僕は、そう思って生きたいと思います。
なんのこっちゃというブログでした。ではでは。