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落合陽一

かみさんがはまっているメディアアーティスト落合陽一氏。スーパードライのCMに出ていた落合信彦さんのご子息なんですね。初めて知った。またメディアアーティストってワードが強過ぎて胡散臭く感じちゃいますが、なかなか面白かった件つらつら綴って行こうと思います。

散歩のBGMにxtalk(クロストーク) #3 小島、成田、遠藤氏のポッドキャストを聞いたところ非常に面白かった。
と言うことでxtalk#3を聴いた後、落合陽一氏自身が最初に読むならこの順番と書いていた魔法の世紀と、新しい半歩先を読む思考法を同時並行的に読み進めた。私の感性にも挿さる世界観が広がっていたので、順序不動、思い付くまま感じたことを記録しておく。

優秀な人材を学校に迎えるのは、どうやって外から研究費を引っ張ってくるかが目的。
人事権を持つことでスピーディーに集客力を伸ばすことが出来る。座席数とお財布の出所が大学では重要。企業も一緒かなぁ。偉くなるほど金を集める、仕事を作ることが求められる。

イノベーター2.5%、アーリーアダプター13.5%、アーリーマジョリティ34%、レイトマジョリティ
34%
→イノベーター理論による分類。世の中をダイナミックに動かすにはどの層に響くキャンペーンが必要な時期か見極めが重要らしい。

課題解決するためと言う名目で無駄に体制、定例会が組閣され、オンライン会議で発言者は限定され、上層部の高圧的発言により聞き役に徹する人が多い会議体に成り下がる。
どんな環境でも働き蟻は2割と聞くし、どんな学校、社会集団にもヒエラルキーは存在する。大企業の委員会は必要悪なのか?
会社で面白いコラムを紹介された。元CIAによる組織の生産性を下げ弱体化、駄目にするサボタージュマニュアル。その手法はさもそれっぽいこと言って意思決定を出来るだけ遅延させることであり、大企業病に通じる話である。五人以上の委員会を組閣させろ、決裁は3人以上、どんな例外も認めるな、どんな些細なことにもこだわれ…。うちの上層部にも工作員がいるのか?笑。いかに正確に迅速に意思決定をして情報伝達するかが鍵となる職種、全く反対の舵取りが大事なんだよねと私のチームには紹介。3.11の際も発電所に技術者が集い、政治家が乗り込み、自衛隊まで参加してと聞くと、まぁ相当非効率な打合せを連日させられていたんだろうなと容易に想像出来る。日頃から信頼出来る厳選されたメンバーでネットワーク構築しておくのが大事。一瞬で最短経路を信号が流れるイメージ。余裕のあるときに視野や考え方を広げる会に参加する程度にしたいものです。

社会のために自分の時間を割いて政治、政策に参画しても世間から叩かれるだけ。たかが数千円の食事をご馳走してもらうのも駄目。笑。本当に悪いことしてる役人には腹立つけど、そのせいで国のために頑張っている人が報われないのは悲しい世界ですな。国立大学の先生たちも同じ扱いでリクルート活動とかも色々と面倒なんですよね。

人生、最終的には出家。自分の欲が無くなり他人が悟りを開くことを助ける活動へ。この人生観は小生と似通っている。難しい話は出来ないけど、落合氏が理解しやすい言葉を使ってくれるなら意気投合出来そう。笑

豊かな人生って?
多くの体験が刻まれ失われていく中、意識を高め社会と接続し価値を生み出していくこと。この行為自体は宇宙から見ればちっぽけな点の一瞬の演算に過ぎない。デジタルな記録を活用し、走馬灯のように思い返せる人生最後を迎えたい。記憶のフックになるのはデジカメのデータかも知れない。Instagramかも知れない。ブログかも知れない。Twitterかも知れない。NOTEかも知れない。最近のマイブームはYouTubeのvlogが一番色濃く記憶に定着すると考えています。喋りが苦手なので字幕入れてますが手間が面倒、コスパが悪い。コメント欄は140字を超えて5000字まで書けるようだ。だったらコメント欄で色々表現すれば簡単ですね。自分史、ライフログ、その時の思考をvlogとして記録するYouTubeの利用。共有出来ない丸秘のネタは非公開扱いにすれば良い。まぁ死ぬ間際に見るには動画は長編過ぎるけどね。
走馬灯用の映像としては画像なんだろうね。だって死ぬ間際に自分の人生って…振り返るのにせいぜい1分とすれば24fps×60s=1440フレーム。75歳程度でこの世を去ると想定すると1年は20フレーム以下になっちゃう。はぁ…。「ほんのスプーンいっぱいくらいの思い出があればそれでいい」by初恋の悪魔第7話。これ名言過ぎるでしょ!

最近世の中に興味を持てなくなってきたなぁ、自分の興味が枯れたからではなく、周りが話すトピックが一周して完全に飽きただけ。大切なことは興味を失わない自分を維持できること。この感覚は天才じゃないけどわかる。小学校の帰り道、学校で配られた科学学習を読みながら歩いた面白さが思い出される。高校生になり読む雑誌がNewtonに変わった。大学の図書館ではファイマン物理学を楽しく読んでいた。しかしそれ以降心躍る感じは無くなり、学問としての物理学には興味が無くなった。

質量のある現実と計算機が生み出す質量の無い仮想現実。この両者が相互に影響し合う環境、場をデジタルネイチャーと表現している。ネイチャー→地球由来の物質と解釈、想像してしまうことに問題がありそう?彼の真意を掴めていないかなぁ。計算機上に現実世界を再現させて、計算機上でのアクションが現実世界に何らかのフィードバックがあるってことなんだろうか?バーチャル発電所とかデジタルツインとか、言葉を変えてるだけでコンピュータが記憶して演算出来るってことから1mmも変わって無いと思うのは私だけかな?見た目を再現するよりも必要な情報を見やすくデザインして表示するって方がスマートだと思います。どんなUIで現実を制御するのが好みかが問題なのかな?IoTとかDXとか全く自分には刺さらず今頃高らかに何を言ってるの?恥ずかしく無いのか?ってスタンスですね。

アフターコロナでリビングへの流刑→高解像度、臨場感を高めるインフラ整備。コロナ禍になってマジでリビングにプロジェクターが欲しいと思うようになった。デジタルテレビを購入した当時、実際の顔より大きく見えちゃう画面サイズってどうよ?と思っていたが、カメラの高解像度化に伴って引きで撮る映像が増えたのか、壁一面に映像投影して動画見たい欲求に駆られている。そう言えば会社の会議室の新しいプロジェクターの高解像度の映像は、ちゃんと?楽に?EXCELとかメールが読めるのに驚いた。高解像度大画面ディスプレイ欲しい。笑

ディスプレイの変遷みたいな話もどこかに書かれていましたね。見る側が動的な場合、静止画の方が印象的。見る側が静止してるなら動画の方が印象的。ここをロジカルにマーケティングして行くとテレビが普及する時代の後にスマホが普及するのは当然。コロナで移動制限がかかるとまた据置ディスプレイの進化が求められる。コロナが終息するとモバイル端末が求められる。小生的にはモバイルプロジェクターの究極の進化として、いつでもどこでもAirPlay出来るディスプレイが街に溢れてる未来かな?勿論SNSでシェアすることも出来るけど、せっかく集まった友達、家族が各々のスマホを睨めっこしている未来はちと怖い。今年久しぶり帰省して本当にそんな感じだった。未だiPhoneやMacBookをリビングテレビにつないでコンテンツを一緒に楽しむ時代の方が健全だったと思う。

祝祭、民藝とは人間が密に集い、幸せを感じ、同じ感覚、あたかも集団が一つの脳として同じビジョンを見る場である。人は何が幸せか。金・富・健康ではなく(ここはある程度必要だよねと言うご意見には賛同です。一線を超えるとの解釈)、「同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること。集団の中で自分の価値を認めてもらえると幸せであると認識される。これが人を動かす、場を作る力学ってことですな。
場を定義するのはベクトルで、影響を受ける物質、人が固有値?ちとイメージがついていかない。理論の勉強が足りて無いのかな笑。この物質、他人は色んな軸の振動を持っていて、傾きながら回転していて、波長が合う人とは良い方向にどんどん増幅されるし、波長が合わない人とはお互いの意見、やりたいこと、進むべき方向が噛み合わす相殺される。そう言う世界に我々は生きている。

久しぶり韓ドラを控えて、文字コンテンツを頭の中で熟成させて通勤時間を充実させてみました。

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