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第550歩 『インフォーマル・パブリック・ライフ〜人が惹かれる街のルール』飯田美樹著、ミラツク


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飯田美樹さんの本


 本にもいろいろなものがある。一度読めばもういいもの、何度も読みたいと思うものなど。この本は、私にとって、一旦読み終わっても、またページを開いて途中からでも読んでしまう本になっている。その理由は、インフォーマル・パブリック・ライフのような場を探したい、作りたいという私の思いにつながっているからだろう。この本を3つの問いを立てて紹介してみたい。そして、少しばかりの私の感想も述べていく。

● インフォーマル・パブリック・ライフとは何か? どんな状態を意味するのか? その原型はどこにありどんなものか?

 飯田は「はじめに」で「インフォーマル・パブリック・ライフ」とは「気軽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない、あたたかみのある場所である」だと教えてくれる。また「肩書きや社会のコードから一旦離れ、リラックスし、自分らしくいられる場のことである。そこは魔法のように人を惹きつけ、人を吸い寄せる力を持っている」というのだ。(p31、第1章インフォーマル・パブリック・ライフ、第一部 人を惹きつける街にあるインフォーマル・パブリック・ライフ)

 そして、その5つの特徴をあげている。

「・朝から夜までどんな時間でも人がいる

・誰にでも開かれており、そこでゆっくりすることが許される

・あたたかい雰囲気があり、一人でも、誰かと一緒にいるような安心感がある

・そこに行くと気持ちが少し上向きになる

・そこでは人がリラックスしてくつろぎ、幸せそうな表情をしている」(p32、同上、同上)

 まるでユートピアのようだが、どこかにあるのだろうか、と私は考えてしまった。私の限られた経験の中は、何箇所かの日本の生活しか考えられないからだろう。飯田はその例としてヨーロッパのことを教えてくれる。

 「インフォーマル・パブリック・ライフの原点となるイメージはイタリアやフランスのリラックスした広場や公園、オープンカフェである。前述したサン・マルコ広場や、十三世紀につくられ、今でも市民に愛されているシエナのカンポ広場はまさにその代表例だ」(p35、同上、同上)

 フランスのカフェだ。やはり人が惹かれる街の要は、カフェそれもオープン・カフェが大切になるようだ。人々が安心しておしゃべりができ、いろんな人がつながる可能性を持つ場所である。なんとも魅力的な場所が、インフォーマル・パブリック・ライフであることがわかる。

● 日本に「インフォーマル・パブリック・ライフ」というものが存在するのか?あるいは存在したのか? またその状態に近いものはあるのか、あるいはあったか?

 こういう視点で考えると、なかなか明るい情報を得られそうにない。著者は、自分の子供を持った後、引っ越しを余儀なくされて、ニュータウンでの生活に馴染めなかった経験を語ってくれる。その話は、私の自分が住んできた住環境と酷似していることに気づいた。閑散とした街、そのスペースで過ごす人はほとんどいない。子供も遊ばない公園や空き地など、決して他人事ではない様を想像してしまう。そして、それは日本にだけではなく、世界でも見られるというのだ。

 「エピソードとして印象に残っているのは、飯田さんの息子が、ただ遊具が置かれているだけの公園を「子どもをなめている」と言って憤慨したものだ。他の子どもたちもそんな公園風の空き地に寄りつくことはない。子どもたちは、瞬間的に遊べる場と直感してすぐにでも駆け出していくという。そんな子どもたちの特徴から、飯田は、「実は子どもこそ、インフォーマル・パブリック・ファイルを測る優れたバロメーター」だと言っている」(p123ページの部分を編集)

 私はここを読んで、子どもの時のことを思い出していた。京都の北区に住んでいた私は、小学生の時、毎日のように学校が終わったら、すぐ近くの公園に行った。多くの友だちはそこで、野球、コマまわし、メンコ、ビー玉遊びなど、暗くなるまで遊んでいた。きっと子どもが集まりたい条件があったんだろう。

 今年(2024年)、京都に行く機会があり、懐かしくなりその公園をのぞいてみた。閑散とした公園には、当時と同じ遊具がまだあることに驚いた。無関心に放置され、ただ時の移ろいだけを教えてくれるようだった。昔、たくさんの子どもが走り回っていた公園は、今は、がらんとした空き地としてそこにあった。何かが変わったんだろうか。それとも手を加えることも改善されないことで、もはや子どもたちは「子どもをなめている」とそっぽを向いたのだろうか。

 私はこの本を読んでいて、これまでなんとなく心地悪く感じてきたことの正体を見つけた気がした。私がこれまで住んできたところは、賃貸マンションではあったが、どうにもしっくりこない感を持っていた。それは、人との繋がりの希薄さと、人とのつながりが生まれる空間がないことだったと気づいた。東京や横浜のマンションに住んでいると、いつ誰が引っ越して行き、いつ誰が新たに入居するかはほとんどわからない。引っ越しに来ても挨拶をしにくる人などまずいない。ある日、マンションの敷地内に見かけたことのない人を見かける。出会う回数が増えることで、その人が引っ越してきたのがわかる。相手もよほど顔でも合わせないと挨拶さえしない。こんな状態は、安心できる環境でもないし、心地よく暮らせる場所でもない。

 この本でしばしば、インフォーマル・パブリック・ライフを作っていく要の場所としてオープンカフェが紹介される。しかし、日本でそんなカフェを見つけることができないように思えてしまう。どこの街にでもあるスターバックスやドトールがそのような場になるとも思えない。せいぜい、その場で勉強したり、仕事をしたりする人の快適な空間ぐらいだろう。むしろ、日本一の古書街に点在する神保町の昭和風の純喫茶みたいなところの方が、よりオープンカフェに近い、安心感や常連客を中心としてネットワークが生きている場なのかもしれない。狭いが故にちょっとしたことから、人が新たに語り合うことも、昔の雰囲気の中でなら起こりうる素敵な偶然になるかもしれない。

●  日本に「インフォーマル・パブリック・ライフ」を作っていこうとする時、どうしていければいいのか? 単にオープンカフェをつくることで街が変わるのだろうか?

 飯田は、この本の中で、「インフォーマル・パブリック・ライフ」を生み出す7つのルールをまとめている。ぜひその内容についても紹介したい。ぜひ、街でも、コミュニティでも、小さな集まりのような場でも、魅力的にするヒントがあるに違いない。

1.エリアの歩行者空間化

 「歩行者空間は、独特の安心感があり、人々の動きを変える力を持っている。ヤン・ゲールによれば、歩行者空間化した場所のほとんどで、そこを訪れ、滞留する人の数が増加するという。歩行者空間化は単に歩行者の数を増やすだけではなく、街のアクティビィを増やす、つまり街を活気を呼び戻すための方法として重要視されている」(p308〜309、第9章インフォーマル・パブリック・ライフを生み出す7つのルール、第四部インフォーマル・パブリック・ライフの生み出し方)

2.座れる場所を豊富に用意する

「人は歩くと疲れる存在であり、人間の継続歩行距離は四百〜五百メートル程度といわれている。特にまちづくりを行うときは、歩行者は脆弱でわがままな存在だということを肝に銘じ、そんな歩行者をどう街に引っ張り出すかをしっかり考える必要がある」(p 328〜329、同上、同上)

3.ハイライトの周りにアクティビティを凝縮させる

「ハイライトとは、そのエリアで重要な歴史的建造物や、その地名を聞いてパッと思い浮かぶ場所のこと。そのハイライトの周りにアクティビティ、つまり焦点や魅力的な要素を持たせ、強力な磁場にする。例えば、その歴史的建造物は、単に歴史的な意味だけではなく、シンボリックな意味が重要だという。例えば、「ここからフランス革命が始まった」「これはモネが描いた風景である」「映画のラストシーンで使われた」などがあげられるだろう。

4.エッジから人々を眺めていられる場所をつくる

 「広い空間や街路全体ににぎわいをもたせる2は、まずそのエリアのエッジ、つまり境界部分に人を滞留させることが重要である。人が集い始めるのはいつも空間の中心からではなく、エッジからである」(p368、同上、同上)

5.歓迎感を感じられるエッジをつくる

「インフォーマル・パブリック・ライフを生み出す五つ目のルールは、『統一感』と『歓迎感』を感じられるエッジをつくることである。それによって、そこを通る人々は、自分は場違いではなく歓迎されているという印象を持つことができる」(p379、同上、同上)

そこで大切なのは、建物の低層階の扱いが重要である(ヤン・ゲール)という。それは歩く人たちにとって、一階部分で起こっていることしかほどんど目に入らないから、これは人間の視覚の特性による」(p379、一部編集)

6.朝から夜まで多様な用途を混合させる

「これは、商店と飲食店、住宅、オフィスのように、用途の異なるものを同じ小さなエリアの中に混ぜていくことである」(p400、同上、同上)

7.街路に飲食店があること

「にぎわいをもたらすためにエッジに設置すべきアクティビティとは、老若男女、観光客や外国人も対象となり、人の滞留を促し、足取りをゆっくりさせるものである。そう考えると、多くの人を対象にし、立ち止まったり座ったりできる飲食店は、まさにエッジに設置すべき存在だとわかる」(P413、同上、同上)

 この7つのルールを考えてみて、ざっくりとではあるが感じたのは、今、私たちの生活をスローダウンすることの大切さである。歩くことで、急いでその場を通り過ぎるのではなく、その周りのことに注意を向け、そこにいる人と語らう余裕がある大切があろうだろう。歩けば疲れる。そして休めばまたそこで見つけられるものもあるだろう。座れる場所が多ければ、そこに行こうとする気力もあるだろうし、少なければ誰だって椅子取りゲームなどしたくはなかろう。人が集まるところ、その境界を超えられる仕掛けがあれば、ちょっとのぞいてみたいと思うだろう。臆病さを取り除いてくれるのも、足を止める工夫があってこそだろう。そこで歓迎されればその場にいたくなるだろうし、いつ行っても感じられると最高に嬉しいだろう。お腹もすけば、腹ごなしができる場があればいうことはない。そんな様子を想像して気づいたのは、私たちはいつでもあまりに急ぎすぎているし、忙しいのが良いとしているような気がした。

 人が惹かれる街のルールは、人が惹かれる活動のルールにつながると思う。その活動が、この本で語られるフランスやイタリアのオープン・カフェのような性格を持つようになれば、人の生活が潤い、人と人がおしゃべりをして心地よい空間が生まれ、そこからたくさんのアイデアが生成されるのではないだろうか。

 ここ数年、キーワードになっているウェルビーイングも、仕事と家庭の間のサードプレスが担保されてこそ存在し得るだろう。この本は、人がどこかの街に住む限り、自分の環境を見つめ直し、自分のウェルビービングを探求するために役立つだろう。私は常に「インフォーマル・パブリック・ライフ」のようなスペースを必死になって探してきたのかもしれない。また、この本は、ぜひ、飯田の前作、『カフェから時代が創られる』も併読すると、魅せられる場所の理解がさらに深まるだろう。


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