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『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』 鈴木 忠平著、文藝春秋

 なぜいつも一人なのか。
 著者の鈴木忠平が落合を語るのに投げかけた問いだ。
 なぜそんなに孤高であり続けられたのか。
 この本を読みながら、私の頭に何回も出てきた問いだ。

 野球人として、突出した理論と技術。残してきた圧倒的な数字。選手としても監督としても輝かしい記録。しかしそれに熱くなることなく、いつもクールに見える。薄情なのか、無関心なのか。批判され揶揄される。にもかかわらず、平然としている。どうしてそんなに強くいられるのか。そんな理由を少しでも知りたい。そんな思いで本を読んだ。そして、わかった。いや、わかった気がした。それは真実からは程遠いかもしれないが、私なりの自信を持って落合の強さの秘密を見つけたと言える。それは何か? 
 でも、いきなりその話はやめておこう。まずは、この本と著者、鈴木忠平氏が書いた中から、ゆっくりと共に考えていこう。そして、落合の凄さを触れてみたい。

書籍のカバー

●プロ意識〜自己管理をするのがプロ!
 落合はプロ意識にこだわる。職業野球をするから当然に思えるが、落合がこだわるプロ意識を持つ選手は多くないようだ。自分の能力を100%出せるようにコンデイションを整えていく。評価されるのは数字だけだと理解し、そこにこだわっていく。そんな意識を持つ選手が集まるチームは強いだろう。逆にそんな選手が少なかったりいなければ、チームの弱さやもろさに繋がる。
 落合は監督就任して、まず、選手たちにその意識があるかどうかを投げかける。それがキャンプ初日の紅白戦である。通常のシーズンなら、そこから調整をしていくのに、初日で調整が終わっている状況を要求したのである。果たしてそれができるかどうか、と。
 また、監督就任1年目には、誰一人としてトレードや新規選手を獲得していない。現有戦力だけでその年に挑むと言い、それでリーグ優勝してしまう。それ以外にも、制約や規則の撤廃をして、完全にコンディション作りを選手任せにする。これもプロ意識があるかどうかの見極める視点だろう。
 この本の中で紹介されている、福留選手と落合の関係は興味深い。打撃の技術の向上のために、練習をする、しかし人間関係がベタベタすることはない。あくまで技術を伝えようとし、また福留選手も技術を学ぶことだと割り切っている。中日が優勝した瞬間、福留選手がヒットを打ち決勝打を放つ。技術を丹念にシンプルに探究してきた二人が、その試合後、涙しているところを著者は活写している。
 ベタベタした関係でなく、プロとしてシンプルに追求した結果として、勝利をそして優勝を決めたところで感情の発露があったのだ。

第3章の扉ページ

●体質改善への戦略〜川崎への開幕投手の起用
 私はスワローズのファンだ。だから、巨人キラーのヤクルトの大エースだった川崎健次郎投手が、沢村賞や最多勝を総なめした翌年に中日ドラゴンズにFA移籍したのは、一人のファンとして納得できなかった。それでも活躍してほしいと思っていた。だから、川崎選手が肩を痛めて、1軍で投げられないのは残念だった。この本で知って驚いたのは、その川崎選手を開幕投手としての起用した落合の決断である。
 川崎が「どうして、3年間、1軍で投げていない私が開幕投手なんだ?」という疑問をずっと抱いている。「誰にもいうな」と言われ、川崎選手は孤独に耐えていく。監督と自分しか知らない秘密として、なぜという疑問が渦巻いていく。
 落合は、監督就任の1年目にチーム改革をする地ならしをしていると著者は述べている。現有戦力を誰一人解雇せず、実際の力量を自分で確かめる。その上で優勝した翌年は容赦無く、選手、コーチ、そして球団スタッフも解雇している。川崎憲次郎投手が書かれている第1章の終盤に、球団の体質を変える、意識を変えるためだという。落合の言葉を引用してみよう。
 「このチームは生まれ変わらなきゃいけなかった。ああいう選手の背中を見せる必要があったんだ。川崎は三年間、もがき苦しんできたんだろ。そういう投手が投げる姿を見て、選手たちは思うところがあったんじゃないか。あの一勝がなければ、その後もないんだ」
 この試合、2回途中、打者11人、37球で、5失点で、川崎の開幕登板は終わる。対戦した広島は当時のエース、黒田が投げていた。しかし、ドラゴンズはその試合をひっくり返し勝利する。そして開幕3連戦を飾って、6月下旬に首位になりそのままペナントレースを優勝していく。
 中日はどこかもたれ合うような体質があったようだ。そのチームの体質を変えるために、選手の意識改革をするための一つの打ち手という意味もあっただろう。
 それと同時に内部事情が外部にリークされるのが当たり前になっていた意識を打ち壊す意味もあったようだ。当時、予告先発の制度がない時代、誰が先発に来るかどうかは、試合の勝敗を左右する貴重な情報だった。指揮官はその情報を悟られないようにするのも戦略だ。にもかかわらず、その内部情報が翌日のスポーツ新聞にでる、OBがそれをテレビで語るなどが横行していた。落合はその組織の爛れた部分を探し出し、膿を出して行こうとする。そのための誰もが考えつかない抜擢が、川崎の開幕投手という采配にあったようだ。
 それでも川崎へかける言葉から、落合の一人の選手への尊敬と温かさを、私は感じた。それと同時に、組織改革をなそうとする冷酷までなクールな指揮官という顔も落合の中に見つけていた。選手としても、監督としても圧倒的な数字を残した落合博満。まず、チームや組織の体質を見極め、その本質の改革から乗り出したところが凄すぎる。

第1章の扉


 
●なぜ孤高であり得るか、なぜ強くいられるか。
 私がこの本を通じて一番知りたかったことは、落合博満のメンタルの強さである。それは、選手としても監督としても圧倒的な数字を残してきているのだが、あれだけ孤高になっても平然としている強さを知りたいという好奇心である。落合は語る人である。自分の野球に対する考えを言語化できる。  
 それはかつての名選手、名監督の野村克也と通じる。野球理論に関する落合の本は、基本の大切さをしっかりと理論づけてくれる本である。2023年現在、Youtubeでどんどんアップデートされる「落合の俺流チャンネル」では、自分の経験や野球に関すること、今の日本プロ野球のことなどはっきりと言語にしている。そこで出てくるのが、ロジカルであることが落合博満の強さの源泉なのか、という問いだ。それもある。しかし、他にもっと根っこになるものがあるのではないか。そして見つけた、そう、私は思っている。
 それは、無条件にその人を理解し共に戦ってくれる同志の存在ではないだろうか。それは、家族であり、ほとんどの場合は奥さんだ。まず、落合博満には、個性的で豪胆な奥さんがいる。同じように野村克也にも強烈な奥さん(監督自身がドーベルマンとまで形容した)がいた。私がそう思ったのは、たびたび川崎健次郎選手との話でのやり取りからだ。
 「かあちゃんと相談しろよ」という言葉かけだ。開幕投手を伝えた時、やるかやらないかを、かあちゃんと相談して決めろ、という。また、引退するかどうかを決断する時も、一人ではなく、かあちゃんと相談しろと言う。この部分から、私はなぜ落合があそこまで孤高になれたか、そして強くなれたかがわかった気がした。
 話は少し飛躍するが、この話からある映画のラストシーンを思い浮かべる。それはオリバー・ストーン監督の『JFK」だ。少し説明をすると、これは、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領がダラスで殺された時間の真実を求めるひとりの検事の物語である。
 この映画によれば、それは時の政権の中でのクーデーターであると、ルイジアナ州の検事が訴訟を起こす。政府にたいして、その陰謀を明らかにするという物語の中で、ジム・ガリソン検事は、周りのからの失笑、脅かしから生命の危険も感じながらも、ことの真相を追求していく。
 映画のラストで、その暗殺に加担したとおもわれる人物を有罪にしようと、ガリソン検事は立憲するが、裁判では負けてしまう。裁判所を出たあと、たくさんの報道陣から、検事を辞職するかと言われるが、「何回でも真実を求めて法廷で戦う」と言って去っていく。裁判所を背にして、どんどんと歩いていく姿がシルエットになってロングショットになる。その姿の隣には、奥さんと子供がいて、3人が手を繋いで歩いていく。そこにタイトルバックがかかっていくと言うシーンである。
 私はこのラストが大好きだ。なぜなら、世間を敵にまわしても、家族が支えてくれれば強くなれると伝えている名場面だと考えるからだ。それが人生の中で何よりも大切だと思うからだ。そして、なぜ嫌われた監督と言われても、孤高であり、語り続けられるのは家族の力だと思うからだ。

DVDのジャケットカバー

 人は一人では強くなれない。しかし一人の理解者がいれば強くなれると教えてくれる。無条件で友の戦ってくれる同志が一人いれば、嫌われようが、嫌がらせをされようが、強くなれる。少なくとも戦うことができる。もちろん、落合は奥さんだけが理解者であったわけではない。チームを強くしていく中で、信頼のできるコーチもいた。
 ただ、大元の人として踏ん張れる源泉になるところは、奥さんという家族の力が大きいのに違いないと私は納得したのである。著者の鈴木忠平が私が到達した考えに賛成してくれるかはわからないが、私は確信している。落合が川崎投手に何度も投げかけた言葉、「ちゃんとかあちゃんと相談して決めろ!」が私にも届いたようだ。ここに俺流の源泉がある。

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