スイスで働いて1年
前回の記事の続きとして、ジュネーヴ・スイスについての仕事事情から書き始めたい。
ジュネーヴ・スイスの仕事事情
ジュネーヴには国際機関の数が多い。かつて国際連盟の本部がジュネーヴに置かれたことで、国連(国際連合)関連やNGOなどのオフィスがたくさんある。一方でスイスのビジネスの中心はチューリッヒにあり、AmazonやGoogleなどを始めとした多くの外資テック企業のオフィスがチューリッヒに大きいオフィスを構えている一方で、ジュネーヴではそうしたビックテックに勤めるチャンスはフルリモート以外ほぼないと言っていい。ロンドンやベルリン、パリなどと比べるとその差は歴然だろう。転職したいと思った時に候補の幅が少ないのはやや悩ましいところでもある。また隣のフランスや周辺国から高い給与を求めて人が入ってくることもあり、様々な職種で候補者の数がロールに対して圧倒的に多く、採用されるのは狭き門だと聞く。
それではチューリッヒに引っ越しては?と思うかもしれないが、ドイツ語のチューリッヒはもはや別の国で、夫婦でフランス語に多少なりとも時間を投資しつつある身としては今から英語以外の別言語圏に行くのは少なからず負担になる。
僕の仕事について
改めて僕が今どんな仕事をしているのか、ソフトウェア関連の仕事をしていない人でわかるように説明してみる。今はSonarというソフトウェアの解析ソフトウェアを作る会社でSite Reliability Engineer (SRE)という職種についている。Sonarはスイスに本社を置く数少ない非金融テック企業の一つだと思う。 ソフトウェアの解析とは具体的になにをしているかというと英語学習者がお世話になるGrammerlyのようなもので、書かれたコードに間違いがあるかチェックして、最終的にClean Code(綺麗なコード)になることを目指すものだ。
SREは何をするかというと、会社によってまちまちだが、僕がやっていることはシステムが365日スムーズに稼働するように事前に監視の設定をしたり、実際に問題が起きた際に先陣を切って対応したりすることだ。言語は主にPythonとSQLを書いている。ソフトウェア技術の理解も基本として必須だが社会性的な力も重要で、他のチームが今やってることやシステムの全体像をなんとなく把握したり、過去の傾向からどんな問題が起きうるか予測したりすることで問題を未然に防いだり素早く鎮圧することに貢献できると思っている。
海外で働く目的
僕は旅行をして日本の外に出た時の日本と全く違う空気が好きでたまらない。ただ旅行で海外に行く度に毎回帰国日までの日数を考えて憂鬱になる。なので、なるべく長く海外にいられる方法を考えた時に、ああ、海外で仕事を持って生活すればいいんだという単純な結論に至った。なので、第一の目的はなるべく海外に長くいてその空気を満喫すること、なのかもしれない。それに加えて後付けで海外で働く目的もいくつか思いついたので、書いてみたいと思う。
まず、「日本と異なる文化圏の人との働き方を知り、それに適応する」というのは僕がしたかったことの一つだ。これは達成できていてると思う。
ただ単純に異なる文化圏の外国人と働くと言うだけであれば日本でも可能ではある。しかし現地に来て働くことの意義はやはり日本と全く違う文化を体験できることだろう。例えばスイスで働く人のワークライフバランス、つまり、「オフ」への本気度合いが日本人とは全然違うことを身をもって感じられた。基本的に夜6時以降のオフィスには人はほとんどいないし、皆必ず一週間以上の長期休暇をとって有給は全て使い切るのが基本だ。僕も日本ではハードワーキング寄りだったしむしろそれを望んでいたが、「仕事に時間を使えば使うほど自分の人生を嗜む時間は削られる」という感覚をこっちに来て持つようになった。
他にも実現可能かわからないがぼんやり考えているのは、今後日本に帰ったり他の国に行くことになった時も、今スイスで作ったコネクションを生かして仕事ができたら嬉しいなということだ。たまたま見つけたこのブログでも職場は人間関係を効率的に広げられる場所として挙げてられているので、同僚と技術の話をするだけではなく、仕事の外で同僚をうちに招いたり、ランニングが好きな人と昼休みに一緒に走ったりするなどして多面的な関係性をもてる人を増やしたいなと思っている。幸いジュネーブオフィスは数十カ国からきた300人程の従業員が在籍しており、人間関係を広げるには素晴らしい環境でとても満足している。
ヨーロッパの文化・価値観
文化圏の話が出たので、同僚を通して学んだ文化の話についてさらに触れたい。僕の会社にはヨーロッパおよび周辺の各国から人材が集まっている。ランチは基本同僚とご飯を食べるのだが、休み時間で話すたびに新しい学びがあってとても面白い。例えば3月にあったイースターについて、日本では卵にペイントするくらいしかしたことがなく、それ以外のことは何も知らなかったか忘れていたが、こっちに来るとイースターがとても大きいものであることがわかる。今年はスイスでは金曜日と月曜日が休みで4連休で、帰省して家族と過ごすと言う人が多かった。例えばフランス人の同僚は、ラムを使う料理を作ることが当地での伝統だと言い、そこにトリュフを混ぜて料理をして家族に振る舞うんだと言っていたし、ギリシャ人の同僚はギリシャ正教会ではより重要なイベントなので、40日間肉を食べない断食をしてイースタに臨む習慣があったと言う話をしてくれた。
議論の難しさ
仕事をする上での難しさは、自分の意見を的確に述べることにある。そもそも僕は人と対立する意見を述べることは日本語でも得意ではないので、英語だとなおさら難しい。さらに、今の会社に来て、これまでの会社と比べるとチームメイトの技術レベルはより高いと感じるし、強みだと思っていたAWSのインフラ構築やCI/CDの整備に至っても僕より知識や経験レベルの高い人がゴロゴロいる上に、自分の経験がない規模のシステムなので、意見をするにもまずそれを裏付ける知識や経験が足りてないと感じることが多々あった。
一方で僕が新卒で顧客対応をするサポートエンジニアとしてキャリアを始めたこともあり、ユーザー対応が絡む調査やタスクはかなり初期から主体的に問題に足を踏み入れて貢献できていた思う。
入社してから半年は主にSREとしてオブザーバビリティの改善などプラットフォーム寄りの仕事をしていたが、今は組織改変によっていわゆるProduct SREとしてよりチームに深く組み込まれる形で働いている。その結果、新サービスのAPI設計などをバックエンドエンジニアと議論する機会なども増え、そんなことはやったことがないのでコンフォートゾーンの外に放り出される毎日である。わからないことが多くて疎外感を感じたり自分が無能なのではないかと悩んだりする日々だったが、一年経ってようやく自分のバリューの出し方がわかってきた感じがする。気持ち悪いと思うかもしれないが、今はサザエさんの時間に憂鬱になるどころか翌日が楽しみになるくらいにはワクワクしながら働いている。
今後のこと スイスにきて1年
スイスでの新しい生活は、スイスに来ることを決めたときの予想よりもはるかに大変で、日本にいたらもっと楽だったのにと思った事は、正直何度もある。慣れ親しんだ日本であれば悩みは圧倒的に少ないし、友人や家族も周りにいてかなり気楽な生活を送ることができたはずだ。妻は働き始めて1年しか経ってない仕事を辞めざるを得なくなり、多くの犠牲を強いてしまった。
それでも、はじめての子どもが生まれたばかりの大変なタイミングにもかかわらずどうしても海外にきたかったのは、このチャンスを逃したら次のチャンスを得るのは難しいだろうと思ったからだ。それに加えて、できるだけ若いうちに来ておきたいと思った。おかげで、すでにこの一年で苦くて酸っぱいながらも刺激的で素晴らしい経験と思い出をたくさん作ることができた。2,30年後に振り返ったら、自分の思い出の重要な1ピースになるような気がしている。
今後自分達が何年間スイスにいるのか、今のところ一切予想がつかない。自分個人としては、せっかく来たので少なくとも3-5年はいたいと思っているが、その後のことはわからない。海外にいるのは楽しいし、子どもの教育のことを考えると外国語を学びやすく教育の質も高いと言われるスイスにいるメリットは大きいと思う。それでも僕は28年間日本で育ったので、限りある日本にいる友人や家族との時間も大切にしたいと言う気持ちもあるから、いつかは日本に帰ると思う。こうやって悩みながらいろんなものを天秤にかけつつ、今後も自分達の感覚を信じて進んでいきたい。
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