続・鉄のTシャツを脱ぐ
昨日書いた「ザ・コンソーシアムモデル構築講座」の合宿について、なんだか心が動き続けているので続編を書きます。
なんというか、久々に心が動いて書いている感じがします。
あぁ、書くということはこんなに楽しいことだったのだなと。
↓前回の記事はこちら。
他の参加者の言葉
「合宿」というだけあって、他にも参加者がいらっしゃるのですね。
で、他の方々も同じように感想を書いているのです。
その感想が本当に素晴らしくて、読んでいて泣きそうになりました。
それを大っぴらにリンク貼りして良いのかちょっと私には判断ができないので、ここでは伏せておきますが、まぁとにかく素晴らしいのです。
あー、もう抱きしめたい
続々と上げられる感想文を読みながら、私は泣きそうになりました。
皆本当に、素直な心で自分の殻と向き合って、ちっぽけで嫌いな自分と向き合いながら前に進もうとしている。
皆頑張ってる!素敵!
あー、もう皆抱きしめたい!ヨシヨシしたい!
いやね、セクハラよ。
基本参加者は女性が多く、きれいで素敵なおねぇ様方なので、こんな33歳男性が抱きしめてヨシヨシなんてしたらセクハラでお縄ですわ。
でも、心の中ではそんな感じ。
それは本当に。
人間賛歌。無条件の賞賛。
心の奥の怒り
ちょっと振り返って、私はどうなんだと。
鉄のTシャツを着込んでいるのはそうとして、じゃあその奥には何があるんだろうかと。
初日の夜、黒服の運転手さんにぐさりと古傷をえぐられたとき、私はめちゃくちゃ思いました。
黙れ!うざい!クソが!
表面では笑っているけど、心の中ではマジでぶん殴ってやろうかと(笑)
我ながらバイオレンスですね。
でも、これが私の奥底にある感情でした。
恥をかかせるな
何がそんなに怒りを搔き立てたのか。
それは、きっと「恥をかかせるな」という感情なんじゃないかなと思います。
普段私が鉄のTシャツを着込んでいるのは、自分を少しでも良く見せて、自分を守るため。
だって、その内側にいる私は、きっと自分が思う以上に弱く、情けない人間だから。
それを見られることは、何よりも恥ずかしく、情けないこと。
だから、それを見抜いてそのTシャツを脱がそうとするやつは、敵なのです。
情けない自分を表に晒し、自分を辱めようとする敵。
だから、自分の奥底にあるものに触れられた時、私の中には、「自分を辱めるな!」という怒りが生まれたんだろうなと思います。
笑われ者、ゆえに勝つしかない
今まさにこの文章を書きながら、なんでそんなに辱められるのが嫌なんだろうなと思いました。
なんとなく、幼少期から笑われてきたからとかあるのかなと。
小さい頃は凄く太ってましてね。
運動とかめちゃくちゃ苦手だったのです。
特に水泳は泳げなくて、泳げる人と一緒に水泳の授業とかあると、いつも最後まで無様に泳いで(おぼれて)いる。
泳げる人はそれを見て笑うわけですよ。
あるいは「早くしろよ」と文句を言う。
それが嫌だったのかもしれません。
だから、何か一つでも勝てるものがないと思ったのか勉強はめちゃくちゃ頑張りました。
学年5位も取りました。有名大学にも入学しました。
そうやって頑張って、、、
誰も別に私を気にしていませんでした。
今でも、活躍する人を見るのが嫌です。
自分ができていないように思えるから。
できない自分を笑われるのが嫌だ。
だから、自分は何かで優れていないといけないんだ。
そういう思い込みが、鉄のTシャツになっていったのかもしれません。
誰だって完璧じゃない
「誰だって完璧じゃない」
そんなことは分かっている。
でも、頭で理解しても肚落ちはしていないのかもしれませんね。
だって、自分自身が完璧を目指して鉄のTシャツなんか着込んでいるんですから。
でも、合宿や他の参加者の方の感想を読んで、そうでもないのかもしれないと思い始めました。
「そこにいるだけでありがたい」
これも同じ。
正直、これまでは意味が分からなかった。
だって、存在する以上価値が必要でしょう。
それがなかったいる意味がないでしょう。
そうやって自分を追い込んで、完璧を求めてきたのかもしれません。
でも、なんていうか、本当にそこにいてもらうだけでありがたいんだなって思うのです。
同じような悩みを抱えて、それでも毎日を生きていている人がいるというだけで、私は一人じゃないと思える。
この世界で生きていくことができる。
そういう意味なのかもしれません。
それでも生きている
完璧はない。
私たちはどうしても弱い。
ふがいない自分に嫌気がさすし、どうしようもない出来事に落ち込むこともある。
それでも、私たちは生きている。
前を向いて歩き続ける。
良いことばかりじゃない。
嫌なこともある。
人生山あり谷あり。
だからこそ、完璧や理想を追い求めて自分を追い込むのではなく、ふがいない自分も大切に抱きしめて、ありのままの一歩を積み重ねるしかないのかもしれません。
あれがだめだ、これがだめだじゃなく、今ある自分を大切にして、重苦しい鉄のTシャツを脱いで、弱いままの自分でも生きていく。
そういうことが、殻を破るということなのかな。