自分の過去とコンプレックス
中学生の頃から
"劣等感の塊"みたいな人間だった。
関西学院中学部に合格した自分は
その後、受験を経験することなく
関西学院高等部・大学に進学する。
多くの生徒が受験の代わりに与えられた
膨大な時間を「主体性」を持って過ごす。
そんな、中学と高校だった。
自分で音楽をつくる生徒や
文化祭でリーダーシップを発揮する生徒、
映像制作のスキルを身に付ける生徒まで。
彼らは個性的で、輝いて見えた。
こんなことを書くと、
「あぁ、そんな特殊な学校に通っていたから、
君も学生起業をしようと思ったのね!」と
言われそうだが、それは違う。
僕はそこそこに勉強や部活に励む、
どこにでもいる普通の生徒だった。
そして、「普通であること」の物足りなさと
そんな自分への"劣等感"を抱えた生徒だった。
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【周りの目を気にしていた中学時代】
周りの目に惑わされることなく、
何かに熱中している友人たちを
心から尊敬していたし、
彼らと共に過ごす時間は何よりの宝物だった。
その一方で、いつまで経っても
「普通」から抜け出せない自分と比べては
劣等感を感じていた。
挑戦したいことがあるなら
僕もやってみればいいのに、
その1歩が、なかなか踏み出せない。
「周りにどう思われるんだろう?」
「失敗したら恥ずかしい」
ずっと周囲の目を気にしていた。
とことん他人の軸で生きていた。
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【頑張っても報われない野球部時代】
部活は大事だと思って入部した野球部でも、
相変わらず「普通」から抜け出せずにいた。
特別うまいわけじゃないけど下手でもない。
才能のある下級生には追い抜かれてしまう。
自分には才能がない。
努力しても報われないのではないか。
忍耐、礼儀、挨拶、人間関係、努力、、、
部活動から学んだことは、あまりに大きい。
部活や学校生活を支え続けてくれた両親に
どれだけ感謝をしてもしきれません。
その一方で、、、
頑張っても報われないという経験は
多感な思春期の自尊心を蝕んでいく。
僕は少しずつ自信を無くしていった。
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【そんな自分を変えたい】
冴えない青春だったが、
(ちなみに男子校で彼女も出来なかった!笑)
大学入学をキッカケに、
何にも挑戦できない自分を変えたいと思った。
「見返したい。認められたい」
「普通のままでは終われない」
「もう、あんな思いはしない」
そんな、ドロドロとした「負のエネルギー」を胸に
僕の大学生活が始まった。
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【自分の軸で生きた大学時代】
大学ではボランティアや地域活動を始めた。
この活動が、想像以上に自分に合っていた。
プロジェクトを立ち上げ、アイデアを実現する。
1つ、また1つとプロジェクトを終えるたびに
僕は「小さな成功体験」を積み重ねた。
大学2年生になる頃に、
自分の中から「劣等感」が無くなった。
ただ素直に誰かの課題を解決すること、
誰かに喜ばれる楽しさに、夢中だった。
寝る間を惜しんで、活動しても平気だった。
やりたいことと、アイデアが次々に浮かぶ。
「次は、あの人に会ってみたい」
「こんなスキルを身に付けたい」
「もっと、誰かに喜んで欲しい」
これまでの自分には無かった、
前向きでポジティブなエネルギーを感じた。
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【大学3年生、仲間と一緒に起業する】
就職活動を控えた、大学3年生の秋。
進路を考えるため、自己分析をした。
僕は信頼できる仲間と、ワクワクする目標を立て
達成することに、これ以上ない喜びを感じていた。
もはや目標無しでは生きていけない。ある意味、
「目標依存症」「目標中毒」なのかもしれない。
大きなビジョンを掲げて、
まだ無い事業を生み出し、
世の中に大きく貢献できる仕事……。
僕にとって、その最たる存在が起業家だった。
その先には、責任や困難、試練が待っている。
でも、絶対に乗り越えたいと思った。
そんな極端で偏った性格だったから
「起業」という道に迷いはなかった。
言い換えれば、そうせざるを得なかったのだ。
僕はこの三田キャンパスで出会った仲間達と
「学生起業」という道を選んだ。
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【自分の過去をどう思っているか?】
ぼくは自分の過去を否定したり、
後悔しているつもりは全くない。
思い悩んだ時代も、自分にとっては大切な時間で
今の自分を確実にカタチ作ってくれた。
あの時、強烈な劣等感に突き動かされたおかげで
今もこうして、挑戦を続けられている。
過去の意味は、今の自分が決められる。
つまりは、過去を変えることができる。
散々な過去に対し、悔いることもできるけれど、
数年後に思い出して、「あの日々があったから
今がある。」そんな風に思うことだってできる。
過去の意味をつくっていくのは
未来であり、これからの自分だ。
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【浮き沈みの激しさ】
起業から2年が経った。
心から納得できる道を進んだが
苦労や悩みが無いわけではない。
若く起業した分、立ち向かう課題や
知らないことは、あまりに多かった。
ところが、なにかに切羽詰まったり
突然のピンチやトラブルが起こると
すぐに、心と体に影響が出てしまう。
分かりやすく言うと落ち込みやすい。
この性格は昔からコンプレックスで、
いまだに、治っていない。
湯船にゆっくりつかってみても
心が満たされるのは一瞬だけで、
根本的な解決にはなっていない。
だからこそ、自分の至らなさに目を背けず
ストレスの原因と向き合うことにしている。
目を背けても状況は好転しない。
どれだけ困難な状況であっても
「これからどうするか」
「自分に何ができるか」を考えて行動する。
きっと、そのストレスや困難を越えた先に
自分の成長を必ず、実感できると思うから。
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【ストレスを飼い慣らす】
成長には必ず、ストレスを伴います。
受験やテスト勉強、部活動での努力、、、
これまでの人生で、全くストレスが無いのに
成長できたことが、一度でもあっただろうか?
自分の現在地(出来ないことや失敗)を認め、
目標までの方向と距離を正しく理解すること。
初めてとなる、大きな目標に挑戦すれば、
大なり小なり、失敗や挫折が付きまとい、
上手くいかずストレスを感じるでしょう。
しかし、これに負けず努力を重ねて、
乗り越えていくことで、
出来ないことが、出来るようになる。
そうして、成長していくのだと思う。
実は、ストレスが無いということは、
「なにも成長できない」ということ。
成長には、適度なストレスが必要なのです。
「これは自分を成長させるストレスなんだ。
正しく、適切なストレスがかかっている。」
こんな風に自分を客観的に分析して
ストレスを真正面から、
受け止めすぎないよう心がけている。
その甲斐もあって、最近は少しずつ、
ストレスを飼い慣らせるようになってきた。
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【完璧にはなれない自分】
相変わらず浮き沈みは激しいし、
部屋や机は全く片付けられない。
好奇心が止まらなくなると質問攻めにして、
相手をビックリさせることも日常茶飯事だ。
それから、1年に3回ぐらい財布をなくす。
そのたびに、
「なんで俺はこんなに注意力散漫なんや!」と
落ち込みながら、必死に探し、
いつも、なんとか見つけ出す。
そんな日々を繰り返している。
会社の掃除当番はうっかり忘れるし
イヤホンも充電器も失くしてしまう。
でも、不思議と、
そんな自分が昔ほど、嫌いじゃない。
大学生になると、
そんなコンプレックスだらけの自分を
おもしろがってくれる大人に出会えた。
どんどん質問しても、可愛がってくれて、
丁寧に教えてくれる経営者の先輩がいる。
失くしものが絶えない僕を見計って、
書類を上手に整理できるよう
工夫してくれる仲間達がいる。
本当に、有難い環境だと思う。
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【人は不完全だから助け合える】
誰もが弱さや欠点を抱えてるからこそ、
誰かに助けてもらえて
誰かを助けることもできる。
時に誰かに感謝されて
時に誰かに感謝できる。
そうして互いの役割や存在を認め合う。
弱さや欠点を、素直に打ち明ける人は
支えたくなるし、親しみを感じられる。
一方、完璧な人や弱さを見せない人に
親しみを感じることは、難しいと思う。
きっと、、、
僕の短所や弱さも誰かの役割をつくり、
自分自身の親しみやすさを生んでいる。
そう考えると、
コンプレックスも悪くはないなぁ〜と思えた。
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【コンプレックスは飼い慣らせない】
「‥‥‥あれ、さっきまで "iPhone"
ここに置いてたはずやのにな〜?」
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こんな真面目なことを書いてながらも
今日も自分のスマホを探し続ける僕は、
やっぱり完璧なリーダーとは程遠いのだろう。
それでも、いい。
それで、いい。
僕は自分の弱さや欠点と共に生きていく。