横浜中華街 極彩色の夏夜の迷宮
横浜駅から夜行列車が出発するのは22時15分。それまでの数時間、ひとり横浜中華街をぶらぶら歩いた夏の終わりのある日の記録。
悟空茶房でお茶ランチ。凍頂烏龍茶、茉莉花茶、プーアール茶、、台湾茶の数々。台湾の店員により香りまで楽しむ方法が教示され、目の前で淹れられた麗しい茶器で茉莉花茶をいただく。大きなガラスの急須から小さな薄い茶碗に何度もお湯を注いで。おこわと角煮まんももふもふ食べる。台湾茶はシンプルで質実剛健に見えてとても贅沢で洗練された文化。ずっと憧れ。だけど、中国留学生が「ヒトをコーフンにするお茶」と言ってたみたいに、カフェイン量が結構多くて日常生活に取り入れるのにはややハードル高い(香りまでゆっくり愉しむ淹れ方は休日しかできないけど休日はカフェイン休みたいもの)。凍頂烏龍茶の茶葉を少しだけと鮮やかな茶器を購入。
露店で大鶏排。鶏肉を叩いて叩いて薄くしたものだそう。ぼんち揚くらいの薄い唐揚げに絶妙なスパイスがたまらない。香りだけでアルファ波出る。扁平で広いから、一口ごとに、「薄い」にも「辛い」にもさまざまあるのだと知る。飽きない。最近編み出された流行だろうか…数年前に来た時にはなかった気がするけど、数年後も続くにちがいない美味しさと食べやすさだった。
開運水族館。中華街にアクアリウム…⁇しかも開運…⁇しかし怪しげなこともない、しょぼいこともない。創意工夫に富んでいて嘆息。入口で御神籤を引いて本日私を開運してくれる魚たちが番号で示されているという導入。メッセージ性があり展示の美的感覚も好みのタイプ。日本という小さな島国の、中華街という特殊な区域の、雑居ビルの中の小さな水槽に、どこかの海からちゃぽんちゃぽんと運ばれて、本能のままに生きている魚類と両生類のいじらしさになんか笑えて元気でた。可哀想だとは思わない。私たち人間だって宇宙からみたら狭い地球に生きて全て分かった気になってる生き物じゃないか。自由は心の中にある。
もう薄暗くなってきた。
足が疲れて頭もぼんやりして、立ち止まって休みたいと思いながらも、人の波に押され途切れることのない色彩豊かな店の流れの中を朦朧と徘徊する。
1人で時間を潰すには喫茶店が欲しいなあと思う。甘い甘い冷たいコーヒー(練乳が半分くらい沈んだベトナム珈琲のイメージ)があれば最高。タピオカミルクティーでお腹いっぱいにしたくないんだ、まだ…
要するにお腹が空いたので食べ歩きの波に紛れて小腹を満たす。流れゆく人々の顔を見ながら食べるのも憚られて壁を見ながら1人でほうばりスープを啜り損ねる小籠包。
9/10は中秋節で、月餅を食べて家内安全を祈るそう。月餅の中にはアヒルの卵の黄身が入っていて満月をイメージしているのだって。どおりで美しい日だ。安穏に健康に生きていって欲しい人達の顔を思い浮かべながら購入。心から幸せを祈る人がいるって、泣けるほど嬉しい。それはもう嬉しすぎるから泣いてもいいんだと、私はもう知っている。
夏夜のネオンサインはなぜこんなに湿り気があって色っぽいのだろう。不思議な色気は中華街の魔法でしょうか。GoogleMapがなければどこにも行けない方向音痴のくせに今日は気の向くままにふらふら路地に入る。同じところに何度も辿り着いてることに気付いて、今日の徘徊はおしまい。何時間も歩いたのに狭いのか広いのか分からず。こまごまと欲しいものを買ったのに、本当に欲しいものは置いてきてしまったみたい。気怠さとわくわくがないまぜになった、夢の続きみたいな鈍的数時間。地図を片手によりは朦朧と徘徊したい、祭りの終わりの寂しさをいつもたたえた中華街。
極彩色の夏夜の迷宮。