産婦人科医の不妊治療体験記①クリニック初診まで
結婚してもうすぐ一年。キャリアのこと、年齢のことを考えるとそろそろ子供が欲しい…しかし夫婦とも多忙で家では疲れ切っていることが多く、このままではなかなか自然妊娠はできないなーと思った。時間があればじっくり自然妊娠のための妊活に向き合うこともできたと思うけれど、高齢出産の35歳目前。産婦人科医仲間には、高齢だったり多忙だったりで妊娠可能性と高齢妊娠のリスクを検討して結婚後すみやかに不妊治療を開始する女医達も多く、不妊治療の力を借りることに大きな抵抗は無かった。年齢を追うごとに下がっていく妊娠率、その一方で上がっていく流産率と染色体異常の率のグラフを学会や試験で嫌と言うほど見てきたし、不妊治療で妊娠出産した女性達も数多く見てきた(14人に1人が体外受精で産まれている時代だ)から、自然妊娠に対する拘りはそこまでなく、妊娠したい→体外受精へ、という思考は割とすぐ繋がった。
夫に、不妊治療クリニックに行きたいと言ったら、俺はこのままでもいい、2人の人生でもいい、とあまり気乗りしないみたいだった。でもここは、お付き合いの言葉(このまま友達ってこと?)も、プロポーズの言葉(私もういい歳なんだけど今後のことどう思ってるの?)も自ら絞り出すことで慎重すぎる優柔不断な旦那氏の背中を押すに足る鋼のメンタルをすでに手に入れていた私は、はっきりと、私あなたに似た子供が欲しいんだよ!二人でその子を育ててみたいんだよ!と言えるようになっていたのだった。旦那氏は、私がそんなに欲しいなら…という感じでぼそぼそ言いながら頷いてくれた。
病院探しは日本産婦人科学会の不妊治療認定施設一覧を眺めて決めた。一つのクリニックで完結出来るように、もし男性因子が明らかになった時に泌尿器科的な治療もそのまましてくれる、そして顕微受精まで対応していること。さらには、買い物やカフェのついでみたいに立ち寄れる、病院へ行く、という重苦しい気持ちが軽くなるおしゃれな都会の中にあるクリニック。週末のデートの流れで夫を誘いやすいし、痛い思いや辛い思いをした時に気を紛らわせる繁華街の雰囲気もいいと思った。
ホテルのロビーのような贅沢な調度品の置かれた絨毯張りのエントランス。アロマが炊かれており美しい受付嬢が並び、患者として訪れているのも裕福でインテリジェンスの高そうな女性たちばかり。
医師として外来をする際、椅子に座って患者のやってくるのを待つばかりだったし、また1週間後来てくださいとさらりと帰す効率第一の外来回転マシンとして稼働してきたけど、患者自身自分のスケジュールの中で手間と時間をかけて予定を調整して病院まで電車やバスを乗り継いでやってくることに思い至る。また、病人になった訳ではないけれど、先生の指示に従うしかない無力さと結果説明までの不安も、その一端を知る。そして、外来診療の数分ではその人のことを何もわからないということを(私自身産婦人科医であることはもちろん、私の心の本当の声を医師の前で明らかにすることはなかった)。
そう、私は自分が産婦人科医であることを伝えそびれたまま診療を受けたのである。医療素人として扱われたからこそ見えること考えることがあったからその辺もこの体験記に記せたら良いなと思う。
不妊治療について一般の方たちはどのような考えを持っているのだろう?晩婚化のせいだとか、そこまでして妊娠したいのか?とかだろうか…昨年春から保険適応になったことから社会において認められてきたことは間違いない。
私は不妊治療に踏み切る夫婦を100%応援する。いざ妊娠したいと思ったら年齢的に難しかった…という方は、早く結婚妊娠を叶えた人より目の前の仕事に夢中で、向上心があり責任感がある、ちょっと不器用な人たちだという気がして勝手に共感できるし、病気があっても子供が欲しいという気持ちと子供を育てるという生活が素晴らしいものであるという認識を産婦人科医から発信しなければならないと思う(この記録を書くことがその一助になるというほどの自負はないけれど)。大きな視点では少子高齢化の沈みゆく船である日本の未来のために、そして卑近な視点では我が子を抱く喜びを経験したい私という一人の人間のために、不妊治療と仕事の両立が始まった。
そしてその困難さをこれから思い知ることになる…