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夜行列車で朝を迎えにいく-サンライズ出雲乗車記録-

横浜での仕事を終えて、1か月前に押さえていた切符を握りしめ、ずっとずっと憧れていたサンライズ出雲号に乗る。



座席はのびのび座席、両隣には中年男性。のびのび座席は頭元だけしきりがあるものの首から下はただの雑魚寝!


妙齢女子として不安は若干あったものの、仕事の早起きと、夜10時まで時間を潰すために中華街とカフェをうろうろして溜まった疲労に飲み込まれ…リュックを枕に秒で寝落ち。写真の足元にあるのが掛けシーツ。これを腰にかけて今日の寝床に。

2時間後に目覚めると、車窓には満月(そういえば中華街で中秋節に満月が重なったとんでもなく縁起のいい日だと言っていたな…)。がたがた揺られながら茫然と月を見る。

隣の中年男性を伺うとわたしの不安をよそにリュックで壁を作りセルフエアマットと簡易カーテン(なんと吸盤で天井から布をかけてパーテーション自作)で快適な眠りにつかれたよう。ベテランサンライザーの快眠に賭ける想いの強さに脱帽。想定以上の猛者であった。
もう片側の中年男性も仰向けで寝息を立てている。

そんなわけで再度安心して眠りにつく。
アップルウォッチの振動アラームを4時半にセット。サンライズに乗ったからには日の出を見たかったから。

途中何度も眠りが意識すれすれまで浮上した。がたがたという電車の振動とキーキーという車両摩擦音が意識を揺さぶる。
トワイライトエクスプレスなどの夜行列車に思い描いたロマンティックなイメージより現実的に、夜行列車って物理的振動がわりと響く、、骨伝導で身体の芯まで揺らしてくる、、きついぞ、、となんかおかしくなる。横を向いたら腰骨に、仰向けになったら尾てい骨に、冷たく硬い床が刺さる。痛みと寒さに、身体をなるべく硬く小さくして、腕で自分の体を守る。

4時に目が覚めて眠れなくなってしまった。進行方向と逆向きに車窓にぴったり体を寄せて体育座りで座って、飛んでいく真夜中の世界を眺めていた。ちょうど滋賀を走る列車の窓に映るのは真っ暗な琵琶湖だけ。数年前滋賀で働いていた時のことを思い出しながらくるりのアルバムを聴く。

「jubilee よろこびとは 誰かが去る悲しみを 胸に抱きながら溢れた 一粒の雫なんだろう」

この曲に出会ったのは10代最後の浪人時代。別れの中に喜びを見出す歌詞がどうしても理解できなかった。この曲を教えてくれた大人びた友達に、「離れても元気でやれよ」てそういうことじゃない?と教えてもらった。

それから10年以上経って、世間知らずでぼんやりしたわたしも、出会いと別れを繰り返して、全ての人と分かりあうことの難しさ、分かり合えた人の尊さ、でもその関係を変わらず持ち続けることの難しさも知った。関係がかつてのようには運ばなくても心の中にある愛しさと感謝がその出会いの残した宝物なのだとわかるようになった。

くるりを聴きながら、かつてたくさんの人と出会い別れ、たくさんのことを考えては忘れた滋賀の景色が車窓を飛んでいくのを見ていた。10代にして、別れの中にある「元気でやれよ」っていう思いの美しさを理解してたあの子にまた会いたいな。

センチメンタルジャーニーのようでいて、じめじめはしなくて、心がきりりと引き締まるような時間だった。ちょこっとしんみりしたけど。車窓の景色は明るくなって、容赦なく前方へ飛んでいく。

もう姫路に着くらしい。家に帰ろう。お風呂に入って、柔らかなベッドで寝直そう。

サンライズといえば、どのブログも動画もビールがお供みたいだけどお酒飲めないし、よくおすすめされてるシャワーもへとへとで諦めてしまった。けど、狭い座席に小さく眠って小さく座って、自分の身体と心に向き合う時間はシンプルで最低限で、のびのび座席みたいだった。快眠を追求したらもっと何かできそうだし、べつの部屋だったり友達とだったりならば全然違うんだろうな。ひとつひとつ一晩の物語ができるんだろうな。

もっと知りたい仲良くなりたいサンライズ

あまりの非日常さから、物理的に運搬されているという事実を超えたロマンを感じる。それが夜行列車初乗りの感想でした。



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