産婦人科医の不妊治療体験記③ 採卵まで(OHSSに見舞われる)
「お金と時間と体の負担の無駄遣いさえなければ不妊治療に過程は関係なし、結果よければ全てよしのポリシーで突き進むのみ。」と前回の記事②に書いていたけれど、読み返してみて、私たち夫婦の最優先事項は時間で、「とにかく早く妊娠したい」だった。そのためには手段もお金も選ばない、という道筋だったように思う。
いざ体外受精を開始するにあたりまずは私の体内の卵子を体外へ運び出すことが必要である(採卵)。
排卵誘発剤で卵巣内に眠っている卵子たちを叩き起こして排卵直前の状態まで持っていく。それは、卵子を内に抱えた卵胞(さくらんぼくらいのサイズ)をたくさん作り出す工程だ。
しかしそう簡単には言っても、出生時に100−200万個の卵子のもとを抱えて生まれ落ち、毎月1回の排卵で1000個消費しながら、一生で400−500回排卵する女性の絶妙な卵巣の仕組みを人工的にホルモン剤で調節し、欲しい数だけ卵子をとってくるなんてことが簡単にできるわけもない。卵巣刺激にはかなりたくさんの方法があり時代とともに試行錯誤されてきた。その細かなホルモン補充の方法については割愛するが、最大の敵はOHSS(卵巣過剰刺激症候群)である。文字通り卵巣がホルモン剤に過剰に刺激されて本来親指の頭くらいのサイズの卵巣が時に赤ちゃんの頭くらいまで腫れ上がり、体液バランスを撹乱するような化学物質を放出し、胸水や腹水貯留、強い脱水から血栓症を起こし死に至ることもある恐ろしい病だ。腫れ上がった卵巣が捩れるとせっかく作った卵胞を含めて卵巣を摘出したり、卵胞を潰して腫大卵巣を縮小させる手術が必要になることもある。
それは微妙なホルモン剤の調整で避けることもできるはずであり「生殖専門医にとってOHSSを作ることは恥なんだ」と生殖専門医であった指導医は言っていた。
他人事のようにその話を聞いていた私だったが、OHSSに苦しむこととなった。
もともとAMH(卵巣の中に卵子がどれくらい残っているかを調べる値)が比較的高かった(28歳相当くらいで実際より6歳若い しかし排卵しやすいということはホルモン剤に反応しやすくOHSSになりやすいということである)。
上記のスケジュールでホルモン剤を内服・ホルモン剤ジェルを塗布した後、自分で腹部に排卵誘発剤の皮下注射を行った。これは医療者でなければ注射教室や院内注射など来院の手間が増えるようだったけれど、私自身が医療者のため自分で家で行うことが許可された。(注射には必ず来院が必要としているクリニックもあるようなので受診回数をコンパクトにするには調べておいてもいいかもしれないです。)
医療者とはいえ、自分でお腹の皮膚を引っ張り上げて細い針をプスッと刺し薬を注入するのは最後まで慣れなかった。お腹にぷすぷすと小さな穴が空いているのを見ては、まだ若き後輩産婦人科女医の「不妊治療なんて絶対やだ、お腹に自分で注射するなんて!!」という言葉を思い出した。そこまで忌避しなくてもいいものだったよ、こうすることで少しずつ妊娠へのステップを上がっていると考えたら、痛みなんて、自分で自分に針を刺す行為なんて、なんてことはなかったよ、と彼女に伝えたいものだ。まあ私もあの子くらい若い頃は自分が不妊治療するなんて考えもしなかった…
それよりも、かなり高容量のホルモン剤に長期間暴露されていることの方が不安感があった。乳癌や子宮体癌や血管疾患などに漠然とした不安があるも(これについては正しい知識が必要!おいおいまとめたいと思います。)、目先の妊娠という目標に向けて、中途半端な治療にだけはなりたくないし少し多めくらいでもいいじゃないと自分を納得させていた。
そして卵巣の具合とホルモンの値を見るために数回(週2回くらい)クリニックへ受診して採血と内診を受ける中で、あれよあれよと卵巣は腫大し最後はブドウのふさくらいまで腫大し腹水も溜まり妊娠中期のサイズくらいまでお腹が膨張した。そしてホルモン剤の影響で眠気と倦怠感が強いこと…その頃オンライン講習会があったけれどZoom画面の私、終始爆睡していた。。それでも食事と水分は積極的にとるようにし、ステーキなど滋養がつくものとともに大量の水分摂取をしていたからか採血結果には異常は出ず、入院は免れたのだった。そして卵巣が捻転しないようにゆっくりゆっくり歩いていた(効果は不明)。お腹の張った緩慢歩行の女、妊婦と間違われて道を譲ってもらったり複雑な体験もした。
自分で同時並行で生殖医療を勉強していたので、ここで別の薬に変更したりここで薬を減量していたらOHSSは避けれていたんじゃないの?と方針をベッタリ変えなかったクリニックに不満を抱くこともあったけれど、その後実際に妊娠できてからの、悪阻と子宮の張りとお腹に命を抱えた重責とに押し潰されそうな数ヶ月間の日々に比べたらOHSSの苦しみは数日程度で、打ち上げ花火的・イベント的であり、最終的な結果に結びつけてくれた以上クリニックのやり方に異議はありません。完璧で精密でオーダーメイドの医療なんてなかなかに困難で、自分が提供してこれているかというと自信もないというのが医療の現実…
そしてここから、卵子を体外に取り出す採卵処置が始まる。
上図のように経腟エコーガイドの元、卵巣に卵子一個がギリギリ通る太さの針を刺し卵胞内に洗浄液を注入して吸引してくる。何回か繰り返して、胚培養士さんの「卵子あります!」の声が掛かるまで洗浄液を注入、吸引を繰り返すのだ。
この時患者はプロポフォールという麻酔薬で眠っており処置の記憶はない。(だから上記の処置風景は専門医取得のために不妊治療クリニックを見学したときの情景です。)麻酔に初めてプロポフォールを使ったけれど、かのマイケルジャクソンが「僕のミルク」と呼んで入眠誘導に使用していただけのことはあり、目覚めはかなり爽快で、こんなに気持ちよく眠ったのは久しぶり!とさっぱりした気持ちで処置を終えることができ、クリニックの高級マットレスと高級羽毛布団に包まれて安らかな経過観察タイムを終えたのであった。目覚めに痛がらないように座薬を入れていただいていたのも功を奏したのか痛みはほとんどなかった。
採卵個数は目標5−6個で十分と言えるけれど、処置を終えてクリニックを出る私の手には「8個採卵できました」との紙があった。OHSSになるくらいたくさんの卵子の準備ができていた、OHSSになって苦しんだ甲斐があったということでもあり。これできっと、受精卵を数個くらいは作成してもらえることになるだろうと安心して帰路についた。