歌詞ー東海音頭 (※茨城県東海村)
東海音頭の歌詞がネットで見つからなかったので文字起こしした。
子どものころはなんの疑いもなく歌い踊っていたが、2024年現在から見ると、1999年のJCO臨界事故、そして2011年の東日本大震災による福島第一原発の事故などを経た今では隔世の感がある。
東海村の原子力発電所が初めて臨界に達したとき、村はそれはそれは盛り上がったという。その当時、原子力というエネルギーがいかなるものか、どれほどの村民が理解していただろうか、実はけっこう理解していたかもしれない。東海村やその周辺には原子力関連の技術者がもちろん多く住んでいるだろうし、少し南の勝田市(現・ひたちなか市)には日立製作所もあった。
歌詞には原子力のことだけでなく、東海村のさまざまな名所が歌われている。幼少のころ、僕にとって世界というのは東海村がすべてだった。もちろん、親に連れられて車や電車で遠くへ行くこともあったが、身近に、自分の意志で行ける範囲は東海村とその周辺だった。それはたぶん故郷というものがほかの誰にとってもそうであるようなかたちで故郷なのだ。
川で魚を取って遊んだ日のことを、村松虚空蔵尊の裏を通り白浜を走って海へ遊びに行った日のことを、自分は死ぬまで忘れないだろう。
東海音頭
※1「十三詣り」……東海村周辺には子どもが13歳になると厄除け、開運、知恵授けのために村松虚空蔵尊にお参りするという習慣がある。僕は知らなかったので行かなかった。
※2「晴嵐」……晴嵐荘病院のこと。戦前に軍人のための結核療養施設として設立された。現在では国立病院機構 茨城東病院と名称が変わっている。話にはよく聞いたが僕は行ったことはないと思う。
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