ADHD生存記4ーー信じてもらえない自分は生きていていいのか?

躁うつ気味なのだろう、ときどき強烈な鬱が襲ってくる。それこそ何もできなくてただ布団に寝ているくらいに。今までよく死ななかったな。

今までいろいろなことを言われたが、「能力」というものが自分はよく分からない。自分はお世辞にも金を稼げる人間ではない。だが、「できること」ならばある。それもいろいろと。たとえば普通の人より手先が器用ではあるようだ。ただし、できることがあれば生きていけるというほど、世の中は甘くない。それだけでなく生きていくためのある種の嗅覚のようなものがなければ、人は生きていけないようだ。自分にはまさにそういうものがない、あるいは欠けてしまっているーー。
または、ADHDというのはそれだけで致命的な欠陥を持っている。人は何かができる人間よりミスの少ない人間を好む、少なくともそういう人間を使いたがる。何か人にできないことをしてみせるより、たんたんと言うことを聞いて波風を立てない人の方が好まれる、それはなんとなく分かってきた。

何か自分を腹立たしい思いで見ている人がいることには、若い頃から気がついていた。
「お前は生意気なんだよ」
そういう風にわざわざ言われたことを、小学校時代のこととして憶えている。
あるいは、自分の言うことを誰も信じてくれない、という感じーー。
これは、幼少期から現在までずっとある感覚だ。

オオスカシバというスズメガがいる。
これは緑色をしていて、体長は4センチくらい、蛾の仲間なのに鱗粉のない透けた羽をしているのでそのような名がついたのだろう。
これはハチに擬態しているとされ、花の蜜を吸うためにホバリングしているときなど、たしかにスズメバチに見えなくもない。それを幼少の僕は知っていた。
Kくんの家の庭で友だち何人かと遊んでいたとき、そのオオスカシバが庭の花の蜜を吸いに来た。みな大きなハチだ!と驚いて逃げ出したが、僕は一人、あれはハチではなくて蛾なのだ、と言った。ただ、僕の声は聞かれず、友だちはみなKくんの家に逃げてしまい、自分はひとり庭に取り残された。「自分のことを信じてもらえなかった」、その時のことをずっと忘れられないでいる。

自分はどこか不器用で不安定な人間なので、信用されるということがなかった気がする。あるときは面と向かって「器が小さい」と嘲笑された。
「甘やかされてるんだよ」とも言われた。
本当のところはどうなのだろう?自分では自分の考え信じたことを自分なりに言ったつもりが、ことごとく反発をされてきた、そんな気がする。そして気がつけば身体が動かなくなった。
動かなければならない、とは分かっている。動くだけでいいのだ、と分かっている。ただ動き続けることだけでいいはずだ。

だけど、もはや身体が動かない。過去の恐怖の記憶が自分にささやく、「どうせお前はまた信じてもらえない」。そう思うと足が鉛のように重くなり、一刻も早くその場に崩れて寝てしまいたくなるのだ。今まで何度もそうだった、今この時もそうだ、そしてきっとこれからも。

自分は生きていていいのか? 答えは「生きていていい」なのだろう。ただ、そう分かってはいても、もう身体が動かない。


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