2020/01/03(金)2020年1月の所信表明
今日はお正月休みの最終日なので、明日以降への指針を練ったりして過ごしました。
以下、その箇条書き。
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・「わからないことだらけなのは仕方がない。だが、わからないままにしていてはダメだ。わからないことが恥なのではなく、わからないままにしているのが恥なのだ(これは『できないこと』『知らないこと』についても同様である)」
・「できないことや知らないこと以上に『ちょっと努力すればできるのにやっていないこと』『ちょっと調べればわかるのに調べていないこと』がたくさんある。それらを潰していくだけで相当のことができるはず。空いた穴を放置していては穴のままだが、塞げばそれらは伸びしろとなる」
・「なにかに腹が立ったり文句が言いたくなっている時、その本当の対象が『他人』ではなく『自分』である可能性を常に念頭に入れる。『鏡の中の自分』に向かってムカついたりキレたりしている、ということが割とある」
・「やるにせよやらないにせよ『今からの行動』にできるところまで掘りさげて、ちゃんと肚に落としこむ。中途半端にモヤモヤを抱えこみ、悩んだり迷ったりして立ち止まったままではいけない。モヤモヤすることはどうしたって日々起こる。モヤモヤを放置せず、ちゃんと向きあい、具体的な行動に移すことが大事」
・「『○○のせい』にしない。○○には、時代とか、年齢とか、能力とか、経験とか、容姿とか、人間関係とか……自分の外側のものも内側のものも両方含まれるが、いずれにしても『せいにしない』こと。いや、してもいいけれど、するならそれを越えたり避けたり脱したりする方向で。留まりながら『せいにして』はいけない」
・「たとえ長年続けてきたこと、持っていたものであっても『ときめかないもの』は捨てていく。最初から二兎は追えない。一度捨てたり別れたりしても、縁があればまた出会うはず。恐れすぎずに変えていこう」
・「文章も、日々の暮らしも『抽象的』から『具体的』へと切り替えていく。例えば『がんばる』とか『つらい』とか、これらは抽象的。どうがんばるのか、なにがつらいのか、そして、それをどうするのか。どうしたいのか。具体的にすることが行動の大元であり、行動こそが変化の大元」
・「『努力』とは『変化の回数』と『継続の日数』の積。変わりながら続ける。変わることを続ける」
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以上です。
いやー、なんというか、意識高い系っぽくて照れますねぇ。
いや、意識が高いのは悪いことじゃないんですよ。地に足ついていて行動が身にともなっていれば。
私は長い間ともなっていなかったので、こういう感じの御大層なことを書くと「まーた口先だけで終わるんじゃねぇかコイツ?」と、自分に対する疑念がムクムクと湧いてきて予防線張りたくなっちゃうんですよねえ。
でも、そもそも「自分に対する疑念」っていったって、つまるところそれを招いているのは「もうひとりの自分」じゃなくて「自分そのもの」ですからね。自分のつくったルールを自分で破り、自分で嘆いて自分不信になったって、それこそまさに「ひとりずもう」というやつです。
そうした「ひとりずもう」を脱するためにも、こうして文章として残すというのはいい方法ですね。客観視ができます。
今までも「紙のノートに手書きで書き出す」ということは日々やっていたのですが、それは箇条書きだったり走り書きだったりすることも多かったため、こうしてちゃんと「他人に読まれてもいいレベルの文章」にしてみると客観視や具体化のレベルがぐっと上がるものなのだなあ……ということを今さらながら実感しています。
もちろん、書いている時はノリノリでも、しばらく経ってから読み返したみると「ア゛ーーーー!!!」となる、いわゆる「真夜中のラブレター現象」が起こる可能性も大いにありますが、それはその時に修正すればいいのです。そもそもこれはラブレターと違って自分から自分に送っている文章なので、過去の自分から受け取った未来の自分が添削・推敲してまたさらに未来の自分に送ればいいだけのこと。
「とりあえずやってみるか」という感じで書きはじめてみたのですが、思ったよりもいい感触です。「抱負は年に一度だけ」などという決まりはないので、毎月書いてもいいかもしれません。だいたい新年の抱負なんで数ヶ月したら忘れちゃうことも多いのですから、抱負を思い出し、最新のものに更新する機会を定期的に設けてもいいのかもしれませんね。