2020/04/15(水)「できない」禁止令
ぼくは腰にヘルニアがあるらしく、日々リハビリテーション科に通っては牽引治療をうけています。
「ヘルニアがある『らしく』」ってなんやねん、と思われたかもしれませんが、要は無痛無症状だけどCTで見るとヘルニアがある、という状況なのです。
無痛無症状なのでほったらかしにしてしまいたい気持ちもあったのですが、これから仕事などを頑張っていくにあたり不安材料は早めに潰しておいたほうがいいと思い、かなり真面目に通院を続けています。今日も午後に行きました。
ただ……ヒマなんですよね。治療中。機械の上に寝たり座ったりしているだけなので。症状による痛みも治療による痛みもない状態でリハビリできているのですから、とてもいいことではあるのですが。
でも、やっぱりヒマです。動けないので、やることといったら「考えること」しかないわけですから。
* * *
ところで、今日は午前中「ああああ、やることがいっぱいある。あれもやらんきゃいかん、これもやらなきゃいかん。〆切〆切義務〆切プレッシャー納期。ああああああ」と気分が落ちこみ&パニクりまくっておりまして。
牽引治療用の椅子に座りながらそのことを振り返り「ああ、ダメだなあ。なんか毎日負けっぱなしだなあ。やるべきこと、やらねばならないことあるのに、ぜんぜん進まん」なんてことを思ったりしておりました。
で、そこでふと閃いたんです。
「おれ『どうせできない』と思いながらやってないか?」と。
「『どうせできない』という諦めと『やるべき・やらねば』という義務感の両方でがんじがらめになった状態で、できるわけがなかろうが?」と。
そして、そこからさらに、先日読んだばかりで、現在実践中の「先延ばしは1冊のノートでなくなる(著:大平信孝)」という本を思い出しました。
この、4月10日のほうの記事で、すでに自分で書いていたんですよね。
「10秒でできることを書き、実行しよう!」という「10秒アクション」もいい仕組みですね。「がんばる」とか「やる」というと「長時間・高負荷じゃなきゃダメ」と思い込みがちですが「10秒でOK」だと思うと、逆にいろいろなことができるので、とっかかりがラクになります。
人間の脳というのは「やりはじめないとやる気が出ない」「やりはじめるとやる気が出る」「やると、途中でやめても忘れない」という仕組みになっているそうなので「何時間もがんばらねば……と思ってしんどくなってやらない」よりも「10秒だけやろうと思って本当に10秒だけやってやめる」の方が物事が進んでいくようです。
どんな面倒なことでも「10秒やったらやめていいんだヤッター!」と思えばおおむねやる気がでます。「ハードルを下げる」の極地ですね。
なんだよもー。すでに書いてるじゃーん。
「どうせできない」と思いながらやっても、できるわけがない。
だが「絶対にできる」ことだけしかやらないようにすればどうなる?
「どうせできない」と思うこと自体ができなくなる。
* * *
「どうせできない」と思いながらやることの弊害って「できなかった時に自分で自分に言い訳しやすくなる」というのがあると思うんですよね。
ただでさえ「できる気がしない(=そもそもやる気がない)」のに、できなくても「しょうがない(=だからできなくてもいい)」と思ってしまう。
あ、そりゃダメだわ。
じゃあ、どうすればいいかというと「先延ばしは1冊のノートでなくなる」に書かれている「10秒アクション」をガチでやればよかったんですね。
もちろん、10秒ではたいしたことはできないのですが「10秒だけやる」という目標すら立ててこなかったからこそ、ずっと「進捗0秒」で負け続けてきたわけで。
「10秒だけやる」というのは失敗することがほぼ不可能な目標となります。それゆえ「どうせできない」と思うことができません。
つまり、言い訳も逃げもできない。
たとえば「毎日1万歩歩く」だと「できないかも……」という気になるかもしれませんが「毎日10秒歩く」だと、できないでいる方が困難です。お地蔵さんでもない限り逆に無理です。
「やるべきことが難しすぎてできる気がしない」「だから、内心『できっこない』と思いながらやってしまう」「その結果、本当にできないし『できなくても仕方がない』と自分に言い訳をしてしまい、ムキにもマジにもなれないまま先送りしてしまう」「そして、ますます難しく感じてしまい、最終的にはやろうとすらしなくなる」
負のループですね。
でも「10秒」なら、このループを崩せそうです。
だって「できない」が不可能なのですから。
牽引椅子に腰を引っ張られながらのこの思いつき。さっそく帰宅後やってみました。
まずは「洗濯物をたたんでしまう」という作業。
地味に面倒くさいです。
これを「10秒アクション」でやってみるとどうなるか。
10秒でも、洗濯物2、3枚はたためます。
で、たたみはじめると、リズムが出てきてうまいこと進みます。
10秒でやめてもいいし、そのまま続けてもいい。
そうすると、おおむね15分くらいでほとんどたたみ終わりました。
残った分は、明日また「10秒」やればそれで終わります。
他にも「日記を書く」「創作活動をする」「家計簿をつける」など、今日はチマチマと10秒を積み重ねています。
繰り返しになりますが、10秒ではたいしたことはできません。
でも、大事なのは「自分で決めたことをやり遂げた」という達成感を得ることと「自分の人生を自分でコントロールできている」という自信を得ることです。
「10秒やる」と決めて、できた。
これの積み重ねが「ああ、自分は自分を裏切るだけではなく、自分との約束を守ることもできるのだな」という自負になります。
10秒やって物足りなければ10秒以上やっていいわけですし、そこから先はいつやめてもいいわけです。だって「10秒」というゴールはクリアしているのですから。
もちろん、〆切や納期があるものの場合、これでは間に合わないことも多いでしょう。しかし「〆切や納期があるのに先延ばししているもの」についてはおおいに有効だと思われます。「進捗0秒」だったのが「進捗10秒」になれば、そこから10分、20分にするのは容易なので。
10分、20分を積み重ねて「やれそうだ!」と思えれば、苦手意識や逃げ癖も減っていくので、そこからはさらに時間を伸ばしていけるでしょう。
さらに言うと「10秒」を積み重ねていくためには作業の細分化が不可欠です。「困難は分割せよ」「チャンクダウン」「ハードルを下げろ」などいろいろ言われていますが「10秒でできることを挙げよ」というのはある意味究極の細分化なので、これをやることで漠然とした「やらなきゃいけないものの塊」が「できることの粒」になるわけです。
漠然とした塊だと「……無理そう」という気になりますが「粒」だと「これならさすがにできるな」と思えますし、この細分化の過程で「言語化」も不可欠になるため「いま、なにをやっているのか」を自分自身で理解しながらできるようになります。それはつまり、他人にも説明できるようになるということでもあります。
「毎日なにかしら進んでいる」「そしてそれは他人にも説明できることである」
このふたつが揃うと、だいぶ気がラクになります。
なにより、本当の「できない」にぶつかったときに、状況を説明して、助言や応援を頼むこともできるようになります。わけがわからないまま一人で抱えこんで沈没、ということが大幅に減るはずです。
* * *
「『できない』禁止令」というとなんだかブラックな響きですが、なんとなくモヤモヤとした「できない」を無理やりやるのではなく、クッキリと明瞭になるところまで細分化し、なおかつ心理的抵抗が極限まで減った「10秒」という区切りで積み重ねるという話です。
ここまで思いついたのですから、あとは「やる」だけです。
やってみます。